第49話 敵か味方か

 何で?


 どうしてこんな近くに迫られるまで気付かなかったのだ?


 決まっている。俺がアラウンドサーチのスキルを使っていない所為で、敵が近くに潜んでいたことに気付かなかったからだ。


 いや、そんな状況を分析するよりも、早く身を守るために動かないと……


 一瞬のうちにいくつもの考えが浮かんでは消えるが、迫りくる顎を前に、俺の体は思うように動いてはくれない。

 それどころか、迫りくる化物犬の牙が何故だか異様にゆっくりに見える。

 化物犬の鈍く光る四つの紅い眼球がギョロリと俺を睨む様子や、口内から粘性の唾液が地面に滴り落ちる様子まで、まるで世の中の全てにスローモーションがかかったかのようにゆっくりと動いていく。


 ああ……これは、あれか。人が極限状態に陥ると発動すると言われている世界がゆっくりになる現象だろう。

 この現象、正確にはタキサイキア現象という脳が誤作動を起こしている状態らしいが、世界がゆっくりになっているせいで、こうして死を長く感じてしまうのは何て残酷な現象なのだろうと思ってしまう。

 その理由は簡単だ。脳は高速で動いてあれこれと考える余裕があるのに、体は全くついてこないので、結局、現状を打破する術が一切ないのだから……。


 ああ、せめて死ぬ前にカレーが食べたかったな。


 そんなどうでもいい事を考えながら、俺は迫りくる死を覚悟して目をきつく閉じる。

 そうして死を覚悟した俺だったが、いつまで経っても化物犬の牙が俺に襲いかかることはなかった。


「………………ん?」


 思考が高速になっていたとしても、流石におかしいと思った俺は、おそるおそる目を開けてみる。

 すると、足元に俺に襲いかかって来ていた化物犬が転がっていた。

 しかもよく見れば、化物犬のこめかみから何やら細い棒のようなものが突き刺さり、そこから赤黒い血液が溢れ出してきている。

 どうやらこの棒が致命傷となったのか、化物犬は小さく二度身を震わせると、そのまま動かなくなった。


「何が……起きたんだ」


 急転直下の展開に、俺が目を白黒させていると、


「伏せて!」


 風を切り裂くように、切羽詰まったソプラノボイスが聞こえ、俺は反射的にその場に身を屈める。

 直後、俺の頭上に影が現れるが、同時に「ギャン!」という悲鳴が聞こえて近くに何かがドサッ、と落ちる音がする。

 しかもその音は一つではなく、二つ聞こえた。

 音に反応して目を向けると、頭に棒が刺さった化物犬が二匹、慣性に従って地面を転がっていくのが見えた。


「――んな!?」


 背後にこれだけの化物犬が潜んでいたことにも驚きだが、それを一瞬にして倒してしまう力量に俺は言葉を失う。

 それに、これはただの棒じゃない。これは……


「矢による狙撃、でしょうか?」

「……多分な。でも刺さっているのは俺が知っている矢とは随分と違うみたいだけどな」


 化物犬の頭に刺さっている棒を指差しながら俺は言う。

 それは、俺がよく知っている日本史の便覧に出てくるような水鳥の羽を使った立派な矢羽根がついた矢ではなく、短く、矢羽根すらついていない代物だった。

 だが、どうやらこれは間違いなく矢のようだった。

 何故なら、そうこうしている内に、俺たちを取り囲んでいた化物犬たちが次々と飛んできた棒によって撃ち殺されていったからだった。

 最後に、雄二に襲いかかっていた化物犬の顔に三本の矢が撃ち込まれ、辺りが静かになる。



「…………ふぅ」


 化物犬の脅威が去ったことを確認した俺は、大きく息を吐いて目を閉じてアラウンドサーチを使う。

 俺たちを助けてくれた何者かが何処にいるかを探るためだ。

 先に言っておくが、これは念のため……本当に念の為の処置だ。

 もし、俺たちを助けてくれた何者かが悪意を持っていたとしたら、こんな弓矢の腕前を前に俺たちは成す術なんてない。だから、逃げる時のことを考え、他に潜んでいる者がいないかどうかを探ろうと思ったのだ。


「……浩一君、誰かいましたか?」

「ああ、あっちに……いる」


 俺は頷くと、支援者がいる方向に目を向ける。

 アラウンドサーチを使って周囲を探った結果、どうやら二人組の何物かが助けてくれたようだった。


「反応は二つだ。それ以外の詳細は分からないけど、どうやらコミュニケーションは取れるっぽいな」

「僕たちへの指示は、まんま日本語でしたからね」


 そう、先程聞こえた指示は間違いなく日本語だった。

 どうやらこの世界も、他の異世界ものの作品と同じで、召喚される時に言語野に何らかの処置が施されて言葉が理解できるようになるのか、それともこの世界の公用語が日本語と同じなのかはわからないが、コミュニケーションが難なく取れるのはありがたい。

 しかし、話が通じるからといって出会う人間全てが友好的というわけではないだろう。

 俺は泰三にまだ立ち上がらないように身振りで指示しながら、声を落として今後の対応と伝える。


「……とりあえず、友好的な態度は崩さずに、でも最低限の備えはしながら相手の出方を伺おう」

「……わかりました『いのちだいじに』ですね」

「そういうことだ」



 簡単な打ち合わせをした俺と泰三は、後からやって来た雄二にも今後の対応を話すと、森の方から姿を現した支援者と思われる人物の到着を待つことにする。


 だが、


「…………うっ」


 突然、化物犬に噛まれた左手が激しく痛み出し、俺は左手を抑えてその場に蹲る。


「浩一君!?」

「お、おい……何だか顔色が真っ青になっているぞ」

「だ、大丈夫だ。問題……」


 ない……そう言おうと思ったが、


「が、がああああああああああああっ…………」


 急に視界が暗転し、頭がガンガンと金属バットで殴られ続けられているかのように痛み出し、俺は頭を抱えながら痛みから逃れるように地面を転がりまわり……


「――っ!?」


 そのまま糸が切れた操り人形のようにぷっつりと意識を失った。

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