第48話 狩猟者たち

 俺が一歩前へ進み出ると、化物犬は何かに怯えるかのように大きく飛び退いて俺から距離を取る。


「…………何だ?」


 化物犬の意外な行動が気になった俺は、もう一歩前へと進み出る。

 それを見た化物犬は、今度も驚いたかのように飛び退くと、こちらを威嚇するかのように犬歯を剥き出しにして唸り声を上げる。


「もしかして……」

「あいつ、勇ましく現れたのはいいが、俺たちに怯えていないか?」


 すると、俺と同じ考えに至った様子の雄二が話しかけてくる。


「浩一、試しにもう一歩奴に近付いてみろ」

「ああ、わかった……」


 雄二に言われた俺がもう一歩踏み出してみると、化物犬はまたしても極端に距離を取るように後ろに下がる。


「これは……」

「ああ、間違いない」


 こいつは、俺たちに対して恐怖を抱いている。

 その結論に至った俺と雄二は、顔を見合わせて頷き合う。


 一匹だけ突出して出てきたのならば、残り五匹が来る前にこいつだけでもどうにかしようと。

 別に殺す必要はない。ただ、俺たちを襲うことがいかに危険かということを証明すれば、きっと他の仲間と共に逃げ帰るに違いない。

 そう考えた俺と雄二は、背中合わせの状態から抜け出し前へ出る。


「二人とも待って下さい!」


 すると、俺の背中に一人残された泰三の必死な声が響く。


「気持ちは分かりますが、今は陣形を崩す時ではありません」

「大丈夫だ。どうやらこいつは俺たちを怯えているようだから、追い返すだけだ」

「そうそう、別に殺そうってわけじゃないって」

「ち、違うんです!」


 余裕を見せる俺に、泰三から思いもよらないひと声が飛ぶ。


「狼の狩りの中には、前へ出た一匹が注意を惹き付けて、群れから離れた奴を襲うというものがあるんです!」

「…………えっ?」


 その一言に思わず振り返った俺の目に、泰三の後方に今にも襲いかかろうとする二匹の化物犬が映る。


「しまっ……」


 完全に釣り出される形になってしまったことに、俺は全身からどっ、と汗が吹き出すのを自覚する。

 連中の狙いは、最初から俺たち三人ではなく、どうにかして孤立した存在を作り出してそいつを全力で刈り取ることだったのだ。


「泰三、後ろだ!」


 俺はそう叫びながら反射的に動いていた。

 その声に泰三は後ろを振り向き、自分が狙われていることにようやく気付くが「ヒッ」と小さく悲鳴を上げて身を縮こませる。

 それを見た化物犬たちは勝機があると思ったのか、唾液を滴らせながら恐怖で固まる泰三へと迫る。


「このっ……」


 絶対に泰三はやらせない。

 必死に足を動かした俺は、左手を伸ばして呆然と立ち尽くす泰三の肩を掴んで引き倒す。


「うわっ!?」


 いきなり倒された泰三の驚く悲鳴が聞こえるが、今はそれどころじゃない。


「……くぅ」


 間一髪で泰三を守ることができたが、代わりに俺の左手甲に化物犬に噛みつかれてしまったのだ。


「…………この野郎!」


 四つの赤い目を睨みながら俺は右手の剣を化物犬目掛けて繰り出す。

 すると、化物犬はあっさりと俺の手から口を放すと、身を翻してあっという間に距離を取る。


「痛っぅぅ………………」


 解放された手を見てみると、そこには化物犬の歯形がくっきりと浮かび、空いた穴から血が溢れ出ていた。


 焼けつくような痛みに顔をしかめる俺だが、同時に食いちぎられるほどの威力がなかったことに安堵する。

 これは奴の顎が犬と同じように長いからだと思われる。もし、奴の顎がネコ科の動物のように短かったらその分噛む力が増し、俺の腕は今頃ズタズタに切り裂かれていただろう。

 だからといって痛いことには変わりはないし、こんな異世界で野生の獣に噛まれてしまったのは非常にマズイかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「こ、浩一君。あ、ああ…………」


 血を流す俺を見て、顔を真っ青にした泰三が今にも泣き出しそうな声で怪我した腕に縋りついてくる。


「ご、ごめんなさい。僕を庇ったせいで……」

「気にするな。今は俺の怪我より自分の身を守ることを考えてくれ」

「う、うん……」


 泰三は目に堪った涙を乱暴に拭うと、立ち上がって震える手で剣を構える。

 これで泰三の命は守られた。そう思った俺は安堵の溜息を吐くが、そこで何かを忘れているような気がして首を捻る。


 すると、


「おいいいいいいいいいい! 俺を忘れてないか!」

「あっ!?」


 雄二の叫び声を聞いた俺は、一緒に前へ出た雄二の存在を思い出し、慌ててそちらの方を見やる。

 そこには、化物犬に弄ばれるように翻弄されている雄二が、必死に大盾をかざしながら身を守っていた。

 どうやら囮役の化物犬が一人となった雄二に狙いを定め襲いかかってきたようだった。

 怪我を負った手は痺れ、痛みも殆ど感じなくなっていることに恐怖を覚えるが、だからといって雄二を見捨てるわけにはいかない。


「待ってろ、雄二。今行くぞ!」


 俺は恐怖を紛らわせるために大声を出すと、泰三と雄二を救うために動く。

 だが、


「――っ、浩一君。左!」

「えっ?」


 泰三の鋭い声に、俺は反射的に自分の左側に顔を向けると、


「んなっ!?」


 目の前に化物犬の大きく開いた顎が迫っているのが見えた。

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