第121話

 意識が朦朧としている。

 眠っているかのような感覚に襲われる。

 何処にいるのかわからない。

 何をしているのかわからない。


 私、何をしてるんだっけ。


「よくもっ! アリス様を!」


 シュルフさんの声が聞こえる。


「無駄よ」

「かはっ!」


 シュルフさんの呻き声が聞こえてきた。

 苦しそうな声。そして、そのまま地面に叩きつけられたような音が響いた。


 シュルフさん!

 そう思った時、視界が開けた。

 目の前の光景をはっきりと見ることができた。


 目の前では、多分、お姉ちゃんに吹き飛ばされたシュルフさんと、意識が朦朧としている様子のリリルハさんがいた。


 2人は私の目の前で倒れていて、起き上がることができないみたい。


 そんな2人を守るように、ドラゴンさんが2人の前に立っている。ちょうど、私の真っ正面にいる形だ。


(リリルハさん! シュルフさん!)


 助けようと思って動こうとしたけど、体が動かなかった。

 というより、体の感覚がなかった。


 手も足も、何もないみたい。

 それだけじゃない。今見ている視界すらも、私の意思では動かせなかった。


 これ、どういうことなんだろう。

 見ることはできるのに、自由に動かせることはできない。だけど、視界は、勝手に動いている。


「そろそろ、終わらせてあげるわ」


 お姉ちゃんの声が頭の中に響いた。

 すぐ近くで。頭の中に直接に響くように。


 お姉ちゃんが何処にいるのか探そうとしても、視界すらも自由に動かせない私では、そんなこともできなかった。


 と思ったら、お姉ちゃんの手が視界に入った。

 私の目の前に伸びされたのは、紛れもなくお姉ちゃんの手。なのに、それは、私の手のように見える。


 私の体が勝手に動いて、勝手に手を伸ばしているみたい。だけど、その手を見ると、それはお姉ちゃんのもので。

 何が何だがわからない。


 だけど、これは、以前にも感じたことのある感覚かも。

 そう。あれは、お姉ちゃんがまだ、自分の体を取り戻していなかった時のこと。私の体を貸してあげていた時の感覚だ。


 だけど、その時と違うのは、今の体は、お姉ちゃんのものということ。


 そっか。

 つまり、私は、お姉ちゃんに取り込まれちゃったんだ。


 そういえば、お姉ちゃんは最後に、私の中で眠っていて、と、言っていた。


 それがこういうことなんだ。


 意思はある。

 だけど、体はないし、自由には動けない。

 何をすることもできないから、お姉ちゃんの邪魔をすることもできない。


(お姉ちゃん。聞こえる?)


 呼び掛けても、返事は来ない。

 聞こえてるけど、無視しているのかもしれない。だけど、もしかしたら、私の声は、お姉ちゃんにすら聞こえていないのかも。


「アリスに免じて、苦しませずに殺してあげるわ」


 お姉ちゃんの体に魔力が流れるのを感じた。

 すごい魔力。私の体では、こんな量の魔力を制御することはできなかった。


 お姉ちゃんは、私が、まだ竜の巫女の力を使いこなせていない、みたいなことを言っていたけど、確かにその通りだった。

 もしこれが、竜の巫女の本来の力なら、私はその1割も使いこなせていなかったみたい。


 お姉ちゃんの体に宿る魔力を感じることができた今、強くそう思った。


 なんて、そんなことを考えてる暇じゃなかった!


 早くなんとかしないと、リリルハさんたちが危ない。


 お姉ちゃんの魔力は、言葉の通り、リリルハさんたちの命を奪うのに、十分すぎる溜めだった。

 それは、ドラゴンさんが守ってくれていてもなお、耐えられるようなものじゃなかった。


 2人には、逃げる体力もなさそうだし、仮に体力があったとしても、今から逃げたんじゃ間に合わない。


 どうにかして時間を稼がないと。


(お姉ちゃん! お姉ちゃん!)


(お姉ちゃん!)


 何度呼び掛けても、お姉ちゃんは反応してくれない。


 声で呼び掛けても時間稼ぎはできない。

 でも、今の私には動かせる体がないし。私にあるのは、この意思だけ。


「さようなら」


 ああ、本当にまずい。

 お姉ちゃんがリリルハさんたちに魔法を放った。


「くっ」


 ドラゴンさんが守ってくれてるけど、多分、無理だ。止められない。

 早くなんとかしないと。


 そう思って、私は無我夢中で魔法を止めようと力を込めた。


 その時、お姉ちゃんのものとは違う魔力の流れを感じた。馴染み深い魔力の感覚。

 私の中にあった魔力だ。


 これなら。


 考えるよりも先に、お姉ちゃんの溜めていた魔力の流れを私の魔力で遮断する。

 すると、お姉ちゃんの放った魔法が、みるみる弱まって、リリルハさんたちの元に届く前に消えてしまった。


 魔力の流れを遮断したお陰で、魔法が維持できなくなったんだ。


「これは? そう、まだ、邪魔するのね」


 お姉ちゃんが呟いて、自分の手を見ていた。

 ううん。違う。これは、お姉ちゃんの中にいる私を見ているんだ。


 お姉ちゃんは、私の存在に気付いた。

 やっぱり声は聞こえてなかったんだね。


「何が起きて? はっ! リリルハ様。今のうちに一旦退却を!」


 私が、お姉ちゃんの邪魔をしている隙に、シュルフさんがリリルハさんを抱えて逃げようとしていた。


 ドラゴンさんもシュルフさんの動きを理解して、すぐに飛べるように翼を広げた。


「グオオオン!」


 ドラゴンさんの大きな雄叫びは、周りの空間を歪ませて、振動の波になって襲いかかってくる。

 お姉ちゃんには通用しないけど、僅かな時間稼ぎにはなってくれるかな。


 私はお姉ちゃんが纏っていた魔力のオーラを削るために、もう一度、魔力の流れを遮断する。

 こうすれば、ドラゴンさんの攻撃も、少しは効くはずだから。


「そう何度も、同じことをさせる訳ないでしょ」


 だけど、お姉ちゃんも流石にそれを許してくれることはなくて、魔力の遮断は、通用しなかった。

 それは本当に一瞬の出来事で、ドラゴンさんの攻撃がお姉ちゃんに届くよりも前に解除されちゃった。


 だけど、その一瞬は、私たちにとっては僅かな瞬間だけど、普段のお姉ちゃんならば、こんな一瞬はありえないことだ。


 その証拠に、ドラゴンさんの雄叫びを受けても、まるで意に返さないお姉ちゃんだけど、ドラゴンさんはその僅かな瞬間で、リリルハさんたちを背中に乗せ、すぐに逃げていったんだから。


「あぁ。まどろっこしいわね」


 お姉ちゃんは、苛立った様子で呟く。

 だけど、その後で、お姉ちゃんは、諦めたように溜息を漏らした。


「いいわ。アリス。あなたを完全に消さなかったのは、私の甘え。あなたの意識が消えないように魔力を残したのもそう。だから、甘んじて受け入れるわ。でもね、アリス」


 お姉ちゃんは言いながら、ドラゴンさんの逃げた方へと魔法で飛んでいく。


「あなたがどう足掻いても、もう、何もかもが手遅れよ。私に勝てるとしたら、竜狩りだけ。だけど、竜狩りも、たった1人しかいないんだから、戦略差を覆せる程ではないわ」


 いつの間にか、お姉ちゃんの隣には黒いオーラのドラゴンさんがいる。その他にも、お姉ちゃんには、たくさんの味方のドラゴンさんがいる。


 リリルハさんやシュルフさんが全力を出しても、ドラゴンさんを1頭相手にするのが限界。


 竜狩りさんだって、疲れることはあるし、限界だってある。どれだけ、ドラゴンさんや竜の巫女に対して有利でも、いつかは負けてしまうだろう。


 だからこそ、私たちは、お姉ちゃんを説得しようとしたんだから。


「ほら。あれを見なさい。いえ、見えてるわよね。あなたの仲間は、ドラゴンさんたちに追い詰められているわ。私が出るまでもないわね」


 視線の先には、たくさんのドラゴンさん。

 竜狩りさんたちが、私たちをお姉ちゃんの元に行かせるために、足止めをしてくれていた所だ。

 多分、リリルハさんたちは、ドラゴンさんに連れられて、あそこに逃げていると思う。


 それを少し遠くから興味を無くしたように眺めて、お姉ちゃんはそれ以上近づかずに止まった。


 もう、ドラゴンさんたちに任せるつもりなんだ。

 それに、近付けば、私が何かするつもりだと思ったのかもしれない。今の魔力ではできることは少ないけど、それでも、あえて近付くことはしないんだろう。


 どうにかしたいけど、お姉ちゃんが言うみたいに、出るまでもなく終わってしまうだろうから。


(お姉ちゃん。聞こえる?)

「ええ、聞こえるわ」


 さっきとは違って、私の声が聞こえるようになったみたい。


(お姉ちゃんは、どうして私にだけ、優しいの?)


 お姉ちゃんは、私にはすごく優しい。

 こうして、私を消さずにいてくれたり、私の仲間だけは助けてくれようとしたり。

 お姉ちゃんは、人に向ける負の感情からは想像もつかないくらい、私にだけ優しい。


 その気持ちが、ほんの少しでも、他の人に向いたら。

 そう思っての質問だった。


「あなただけが、私のことを理解してくれるからよ」

(え?)

「あなたは、私と同じ道を辿る。このままだと、それは絶対よ。私は、あの思いを他の人にさせたくないだけ」


 お姉ちゃんは、ギュッと拳を握った。


「下らない話をしたわ。さあ、そろそろ決着かしらね」

(お姉ちゃん!)


 私の声に、お姉ちゃんは反応してくれない。

 また、私の声を聞こえないようにしたのかも。


 ドラゴンさんたちの動きが鈍くなる。

 それを見て、ドラゴンさんたちが、竜狩りさんたちを倒したと判断したみたいで、お姉ちゃんが、そこに近付いていく。


 そして、地面に降り立つと、ドラゴンさんの動きが止まった。


「終わった? ドラゴンさん」


 近付いて声をかけるお姉ちゃん。

 だけど、ドラゴンさんは、こちらを見ない。


「……ドラゴンさん?」


 少しだけ、動揺したような声。


 そして、次の瞬間、ドラゴンさんたちが、次々と倒れていった。


「なっ!」


 流石に驚きの声が漏れた。

 私だって驚いた。


 怪我をした様子はない。苦しそうにしている様子もない。どちらかと言えば、安らかに眠っているような。


 ううん。これは、完全に眠ってる。


 何が起きたのかはわからないけど、ドラゴンさんたちは、みんな眠っていた。


「これは。どういうこと?」


 お姉ちゃんが、困惑した声を出す。

 珍しい声。聞いたことがない。


 そして、その視線の先に意識を集中する。


 そこにいたのは、予想通り、竜狩りさん。アジムさん。リリルハさん。シュルフさん。そして、ドラゴンさん。


 だけど、戦っているのは、竜狩りさんとアジムさんだけのようだった。そして、アジムさんは、肩で息をしていて、もう体を動かすのも限界みたい。

 ということは、竜狩りさんが何かをしたのかな。


 そう思ったのは、お姉ちゃんも一緒みたいで。


「何をしたの?」


 お姉ちゃんは、竜狩りさんに尋ねた。


「俺は何もしてない」

「ふざけないで」

「本当だ。俺ではなく、こいつがやったんだからな」


(え?)


 竜狩りさんが指差したのは、アジムさんだった。


「何を馬鹿な。そんな雑魚に何かできる訳ないでしょ」

「俺もそう思っていたが、案外、そうでもなかった。それだけのことだ」


 竜狩りさんは、ニヤリと笑う。

 その横で、アジムさんが剣を構えた。


 その剣には、微かに魔力が宿っている。

 かなり注意深く見ないと気付けないくらいの、微量な魔力。お姉ちゃんの目じゃないとわからなかったかも。


「竜を倒す研究は、遥か昔から続けられていた。もちろん、貴様は、俺のことを警戒していたようだが、この男など眼中にはなかっただろう?」

「……そう。そういうこと。あなたの力を、その雑魚に宿したのね」


 そっか。

 お姉ちゃんは、竜狩りさんを警戒して、多分、その力をしっかりと確かめていたんだ。

 その上で、お姉ちゃんなら、どうとでもなると、結論を出していたんだ。


 だけど、アジムさんのことは弱いと判断して、詳しくは見ていなかった。だから、アジムさんの剣に宿っている魔力にも気付けなかったんだ。


 そして、その結果、お姉ちゃんにとって、予想外の結末が目の前で広がっているということみたい。


「まあ、俺も、この力をこいつが操れるとは思ってなかったがな。嬉しい誤算というやつだ」

「ふ、ふふふ。やはり、俺にはドラゴンキラーの素質があった、ということか」


 物凄く疲れている様子のアジムさんだけど、ぜぇ、ぜぇ、息を切らしているけど、アジムさんは、大袈裟に空を仰いで、憂いを帯びた表情をしていた。


「あぁ。腹立たしいわ。こんな間抜けに、驚かされるなんて」


 お姉ちゃんの声が、すごく冷たいものに変わった。この場を支配する、恐怖の感情を振り撒いて、アジムさんの顔をひきつらせる。


「竜狩りの力は、お前にはどうすることもできないだろう。少なくとも、数分は、このドラゴンも目を覚まさない」


 それはわかっていた。

 だって、こんな会話をしながらも、お姉ちゃんはドラゴンさんたちを起こすために魔法を使っていたんだから。


 だけど、そのすべてが無効だった。


 竜狩りさんの力は、やっぱり竜の巫女にとって驚異なんだ。それを改めて思い知った。


「そう。ふふふ。あぁ、そう」


 お姉ちゃんが笑う。まるで、子供が笑うみたいに、楽しげに笑う。


 でも、私に伝わってくるお姉ちゃんの感情は、どこまでも荒ぶれていて、必死に押し殺しているけど、ふとすると、弾けてしまいそうな程だった。


「いいわ。ここは敗けを認めてあげる。あなたたちは、私にとって天敵よ」


 お姉ちゃんは、感情の込もっていない声で言う。


「でも、なら、戦わなければいいだけよ。まともに戦う必要なんて、私にはないんだから」

「っ! しまった! 待て!」


 竜狩りさんは、お姉ちゃんの魔法に気付いたみたい。

 だけど、もう遅い。


 この一瞬で、お姉ちゃんは転移魔法を展開した。しかも、この場に眠っているドラゴンさん全員を連れていく、対規模な魔法だ。


 いかに竜狩りさんとは言え、この魔法が発動してしまえば、どうすることもできないだろう。


「もう会うことはないわ。私の目の届かない所で、死んでいなさい」


 そう言い残して、私たちは、竜狩りさんの目の前から転移した。

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