第112話

「久しぶりだな、アリス」

「あ、えっと、あの」


 突然のことで、うまく言葉が出てこなかった。

 目の前にいるのは、紛れもなくアジムさん。


 アジムさんは、爽やかな笑顔を浮かべながら、色んなポーズを取っている。

 そんな光景が懐かしい。

 だけど、それと同時に、あの事を思い出してしまう。


 あの、アジムさんを攻撃して、命を奪う寸前まで追い込んでしまったことを。


 私はあの後、すぐに戻って謝ろうとした。

 けど、結局、それをすることはなく、今に至ってしまっている。


 あれだけひどいことをして、謝ることもなく、ましてや、逃げて姿も見せないなんて、アジムさんも怒っているに違いない。


 私は、逃げ出しそうになるのを必死に我慢して、アジムさんの方に歩いていった。


「ア、ア、アジム、さん」

「ん? どうしたんだよ。そんな顔して」


 アジムさんは、何も気にしていないという顔で、私の方を見ている。

 そんなはずないのに。


 私のこと、恨んでいてもいいはずなのに。


 恐い。恐い。

 だけど、ちゃんと言わなくちゃ。

 あの時のことを、ちゃんと、謝らなくちゃ。


 アジムさんに攻撃しちゃったこと。

 そのあと何も言わずに行っちゃったこと。

 それからずっと、謝ることもしなかったこと。

 全部。


 全部、謝らないと。


「アジムさん。ごめんなさい!」

「いいぞ」

「本当に、ごめんなさい! ゆるしてくれないかもしれないけど、本当にごめんなさい!」

「だから、いいぞ」

「うん。そうだよね。怒ってる、よね。……え?」


 想像していた答えとはかけ離れた言葉が聞こえてきた気がして、私は顔を上げた。


 アジムさんは、真剣な顔で私の方を見ている。


 今、アジムさんは、いいぞって言ってた気がする。けど、でも、そんなことありえないよね。あんなことしておいて、許してくれる訳ないよね。


「あの、アジムさん、私……」

「だから、もういいぞって」


 もう一度謝ろうとする私に、アジムさんがもう一度言った。

 やっぱり、聞き間違いじゃない。


「で、でも」

「お前がやりたくてやった訳じゃないってことくらい、俺にはわかるさ。謝ってくれたんだから、それで、俺は許す」


 アジムさんは、私の肩に手を置いて、得意気に笑った。


「それに、この俺に、あの程度の攻撃が通用する訳ないだろうが。あっはっは!」


 そう言って、アジムさんは高笑いしていた。

 絶対、そんなことないのに。


「アリス。この人は、こういう人ですわ。あまり気にしても疲れるだけですわよ」


 どうすればいいのかわからずにいると、リリルハさんが、呆れたような声で言う。


「なんだ、リリルハ様もいたのか。気付かなかったぞ」

「アジム様。その態度はあまりにも。リリルハ様に失礼ですよ」


 シュルフさんは、少しだけ怒ったようにアジムさんを睨んでいる。

 それに怯えたように、アジムさんがビクッと肩を震わせていた。


 そして、オホンと咳払いをすると、また私の方に顔を向けた。


「ま、まあ、リリルハ様の言う通りだ。あんまり気にするな。俺はこういう、心のでかい男だからな」


 私は許されないことをしたのに。

 アジムさんは、そんな私を許してくれた。


 ドンッと自分の胸を叩いて誇らしげに言うアジムさんは、すごくかっこよく見える。


「ありがとう、アジムさん」


 多分、謝るのは、アジムさんの求めてる答えじゃないと思った。


 私がお礼を言うと、アジムさんはさらに満足そうに胸を張って、さっきよりもさらに高笑いしていた。


 ◇◇◇◇◇◇


「テンちゃん。無事でよかった」


 アジムさんとの話が一区切りついて、私はテンちゃんの元へ向かった。


「そっちこそ。まあ、あまりいい状況じゃないみたいだけど」


 テンちゃんに会えたのが嬉しくて、思わず手を握ると、テンちゃんは少し顔を赤くしていたけど、その手を離そうとはしなかった。


 聞くところによると、テンちゃんたちは、街に戻る途中で、ドラゴンさんたちに遭遇してしまったらしい。


 しかも、3頭も。

 明らかな戦力差で、逃げることも出来ずに、全滅しそうになった時、突然現れたのがアジムさんだったらしい。


 正直、アジムさんが来たからといって、劇的に戦局が変わった訳ではなかったみたいだけど、アジムさんは、逃げるための煙幕や閃光弾を持っていたようで、なんとか逃げることができたのだとか。


 そういえば、アジムさんと初めてあった時も、煙幕を持ってたっけ。ウンジンさんたちには、通用してなかったけど。


「ふん。あれから改良して、完璧なものを作ったんだよ」


 と言うアジムさんは、隠し持っていた煙幕なんかを、自慢そうに見せてくれた。

 見ただけじゃあ、それがどんなものかはわからなかったけど。


 だけど、それのお陰で逃げることができたのは確かみたいで、結果的には、テンちゃんたちを助けたのは、アジムさんに違いないのだとか。


 それにしては、テンちゃんのアジムさんを見る目は、少し冷めているような気がするけど。


「事情はわかりましたわ。アジムさん。ご苦労ですわね」

「当然だ。俺は、ドラゴンキラーなんだからな」


 アジムさんは、私がヤマトミヤコ共和国から帰ってきたという情報を得て、私を探してくれていたみたい。

 ちなみに、アジムさんのお姉さんのミスラさんは、もう村に戻っているらしい。


 リリルハさんとアジムさんは、前からの知り合いなんだって。

 というより、リリルハさんが、ミスラさんの宿によく泊まりに来るというのは聞いていたけど、その時に、何度か会ったことがあるらしい。


 それもあって、2人はそれなりに打ち解けた口振りだった。

 それをシュルフさんは、不服そうに見ているけど。


「それで、騎士団の人たちは?」

「あ、うん。結構ひどい怪我をしてるから、今は病院にいるわ。でも、命に別状はないみたいだから、安心して」

「そうですの。それならよかったですわ」


 テンちゃんたちの無事を確認して、リリルハさんも胸を撫で下ろす。


 だけど、今の状況は、それに安心している暇も、あんまりなかった。


「それにしても、これからどうしましょうか」


 リリルハさんは悩ましげに頭を抱えていた。


 悩むのはもちろん、ドラゴンさんのこと。

 さっきの失敗のこと。


 ドラゴンさんを捕縛しないと、事態はどんどん悪化していくっていうのに。

 私たちに残された作戦はほとんどなかった。


 どんな作戦を立てようと、魔力不足という問題が付きまとう。

 だけど、リリルハさんも、ヒミコさんも、魔力は限界。これ以上の無理は、本当に危険。


 あとは、私が自分で飛んでいって、ドラゴンさんを捕まえるしかないけど、さっきの感じだと、そんなの無理そうだし。


 ううーん、と、誰からともなく、溜息のような声が漏れ出ていた。


 そんな時。


「おいおいおい。ドラゴンの相手なら、真っ先に俺を頼るべきだろうが」


 そう自信ありげに口を開いたのは、アジムさんだった。


 だけど、そんなアジムさんに、リリルハさんやシュルフさんは冷たい視線を送っている。


「あなたにドラゴンさんの相手ができるはずがないでしょう」


 リリルハさんの声には、呆れと少しの苛立ちが混ざっていた。


 確かに、さっきのテンちゃんの話を聞くと、アジムさんは、別にドラゴンさんに勝てた訳ではない。


 逃げるのにすごく貢献したみたいだけど、戦いという観点から見たら、そこまで貢献はしてないようだった。

 むしろ、騎士団の人たちがいなかったら、アジムさんだけでは、逃げることもできなかったと思う。


 ましてや、今回必要なのは、逃げることではなく、ドラゴンさんを捕まえること。


 アジムさんがふざけている訳じゃないってことくらいはわかるけど、リリルハさんからしたら、うまくいくとは思えない提案に苛立っているのかもしれない。


 だけど、そんなリリルハさんたちの視線を受けても、アジムさんは怯んでいない様子だった。


「ちっちっち。甘い。甘いな、リリルハ様」

「何が?」


 勿体つけたような口振りに、リリルハさんの声はさらに不機嫌そうになる。

 だけど、アジムさんは、それに気付いた気配もなく、話を続けた。


「確かに、今の俺にドラゴンを倒す力はない。今、の俺には、な」


 今の。という部分を、アジムさんは強調した。


「だったら……」

「だが、捕まえるだけ、というのなら、話は別だ」

「え?」


 アジムさんはそう言うと、さっき見せてくれた煙幕、に似た何かを見せてくれた。


「それは?」

「これは、ドラゴンにも効く、痺れ薬だ。これ2つしかないが、効果は絶大だ」

「なっ! そんなものが?」


 ドラゴンさんにも効く痺れ薬なんて、聞いたこともなかった。

 そもそも、ドラゴンさんは、毒とかにはすごく強くて、ほぼ無効と言ってもいいくらいだった。


 痺れ薬というのも、毒に近いものだと思うから、それが効く、なんて、正直、信じられなかった。


「それは、確かな話なんですの?」

「ああ、当然だ。ドラゴンの加護を受けた町、アスニカで手に入れた薬だからな。町の人たちも、アリスを助けるためならば、と、貴重な薬を譲ってくれたんだ」

「アスニカの? それは、確かに信憑性がありますわね」


 アスニカは、私とアジムさんが、竜狩りさんのことを調べるために行った町だ。

 昔から、ドラゴンさんとの交流があった町の人たちも折り紙付きの薬というなら、確かに少しは信じられそう。


 でも、それだと逆に気になることがある。


「アジムさん。それって、ドラゴンさんは受けても大丈夫なの?」


 捕まえると言っても、できれば、あまり傷付けたくない。

 痺れ薬が、ドラゴンさんにどこまで効くのかわからないけど、あまりにも危険な薬なら、少し使うのは考えたい。


 だけど、アジムさんは、問題ない、と笑った。


「確かに強力だが、ドラゴンに深刻なダメージを与えることはない。効果も数分だ。そのあとは、普通に動ける。というか、そのくらいの効果が限界だったらしい」


 そっか。それなら、大丈夫、かな。


 リリルハさんは、まだ半信半疑という感じだったけど、シュルフさんと少し相談をして、アジムさんの提案に乗ることにしたみたい。


「いいですわ。なら、ドラゴンさんの相手は、アジムさんに任せますわ。ただ、空を飛ぶには……」

「それは、私がやるよ」


 私は手を上げて言う。


 自分で空を飛ぶと、ドラゴンさんに追い付けないと思うけど、アジムさんに魔法をかけて飛ばすのなら、私にもできる。

 それに、私はまだ、リリルハさんやヒミコさんに比べて、魔力が余っている。


 そうリリルハさんに説明すると、渋々だけど了承してくれた。


 リリルハさんの時と同じように、アジムさんの視覚や聴覚なんかは、シュルフさんが魔法で教えてくれることになった。


 それから、私たちは、細かい作戦を打合せして、ドラゴンさんの捕縛に動くのだった。


「よし。それじゃあ、第2作戦、始めますわよ」

「おぉ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る