第106話 その前に

 時は数日、遡る。


 それは、アリスたちと別れ、自分の街へと戻る途中のテンの身に起きたことだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ガタンガタンと、足場の悪い道を進むテンを乗せた馬車は、あと2日もあれば到着するという距離にいた。


 テンの乗る馬車は、騎士団の精鋭が5人乗っている。

 少なくとも、そんじょそこらの魔族や盗賊では相手にならないような実力者たちだ。


 しかし、それは逆に、テンの話し相手がいないということでもあり、また、騎士団の者たちも、まだ幼いテンと共通する話題などあるはずもなく、馬車の中は静かな空気が流れていた。


 時折、些細な話をすることはあれど、基本的には無言が続いている。

 テンも、積極的に、誰かと話そうとするタイプでもないので、それが拍車をかけたのだろう。


 結果、テンは、馬車に乗っている間のほとんどを、空を見て過ごしていた。


「テン様とアリス様は、何処で出会ったのですか?」

「……え?」


 そんな空気を少しでも和らげようと、騎士団のうちの1人の女性が、テンに話しかけた。


 ボーッとしていたテンは、すぐには反応できなかったが、自分に質問されているのだとわかり、ふと、アリスとの出会いを思い出した。


「最初は、アリスに私の泥棒の罪を擦り付けたのよ」

「え?」


 騎士団に言うようなことでもないと思ったテンだったが、この話をしないことには、アリスとの出会いを語れないと思い、何気ない風を装って話し続けた。



 自分が、アリスを貶めたこと。

 そのあとにアリスを助けようとしたら、怒ることもなくお礼を言われたこと。

 そして、そんな自分のために、怒ってくれたこと。


 騎士団の女も、最初はどうしたものかと、思案していたが、話が徐々に進むに連れて、テンの話にのめり込んでいった。



 そして、最後まで話し終えた時には、まるで、大長編の小説を読み終えたかのように、深い溜息を漏らした。


「それは、大変な目に遭われていたのですね」

「まあ、そうね」


 テンは、あの出来事を思い出し、改めて、自分に起きていたことの大きさを実感した。


「リリルハ様が、あの街の領主を捕らえてきたのは知っていましたが、そんな話だったとは、不勉強で申し訳ありません」

「別に、そんなこと。えっと……」

「あ、マインです。カタリーナ・マイン」


 テンが、言葉を詰まらせた理由を瞬時に察し、騎士団の女、マインが自分の名を次げた。


 テンは、マインの名前を覚えていなかったことを、申し訳なさそうに微かにうつ向く。


「ごめんなさい。マインさん」

「いいえ。大丈夫ですよ。騎士団に囲まれて、緊張してしまいますよね」


 マインは苦笑いを浮かべる。

 そして、他の騎士団のメンバーにも顔を向けるが、他の騎士団のメンバーも、マインと同じような顔を浮かべていた。


 どうやら、他のメンバーも、同じようにテンを気にしていたらしい。


「こんな、大人だらけの中に1人なんて、心細いですよね」

「あ、ううん。そんなことはないわ」


 と言いつつも、テンは、緊張していることを隠しきれていなかった。


「もう少しで、街に着きます。それまでは、何に代えても、テン様をお守りしますので、ご安心ください」


 マインは、騎士団らしく、かっちりとした敬礼をして、テンに笑いかける。

 そんな人間染みた表情に、テンの表情も僅かながらに緩んだ。


「本当に、大丈夫よ。私は、あまり口数が多い方じゃないだけ。それに、空を見てるのも好きだし」


 それは、別に嘘ではなくて、テンは何気なく空を見上げた。


 ユラユラと漂う雲は、自由気ままで羨ましい。

 テンは元々、空を飛ぶ、ということに、そんなに興味があった訳ではなかった。


 しかし、自由に空を飛ぶ、ドラゴンという存在を間近に見て、それと家族のように仲良くしているアリスという女の子に出会って、テンは空を見ることが多くなっていた。



 だから、だろうか。


 いつも見る空。もちろん、いつも見る空とは、場所も違うが、空は何も変わらないはず。


 なのに、テンは、何か違和感を見つけた。


 それが何かはすぐにはわからなかったが、テンは手をかざして、空を凝視した。


「テン様?」


 それに気付いたマインも、テンと同じように空を見上げる。


 そして、ハッとしたように目を見開いて、テンを抱えた。


「え?」

「敵襲っ!」


 叫ぶのと同時に、マインがテンを抱えたまま、馬車から飛び降りる。


 マインの声を聞いて、他の騎士団も、すぐさま馬車から飛び降りた。


 次の瞬間。


「グオオオオン!」


 ドラゴンの雄叫びが聞こえたかと思うと、ガシャンと馬車が、木っ端微塵に吹き飛んだ。


 馬車を曳いていた馬は、その勢いに巻き込まれ、遥か高くに持ち上げられて、地面に叩きつけられてしまった。


「シャメール隊長! ドラゴンを視認。直上に、さらに2頭のドラゴンがいます」

「くっ。あの高さで飛べるとは。まさか、国境のドラゴンは、囮か」


 騎士団の隊長、シャメールは、思いもよらぬ遭遇に、驚きを隠せない様子だった。


「グオオオオン!」

「くっ。アギト、ドール、ブラント! 構えろ」

「はっ!」


 敵意剥き出しのドラゴンは、その鋭い爪で、騎士団に襲いかかった。


 その攻撃を、騎士団の中で、最もがたいの良いブラントが受け止める。


「ぐうう、ううぅ!」


 ブラントの、その強靭な筋肉は、ドラゴンの攻撃を、刹那の瞬間だけ、持ちこたえることができた。


「ぐふぅ!」


 しかし、それ以上耐えられることはなく、ブラントはその場に踏みつけられてしまう。


 だが、その刹那の瞬間に、アギトとドールが、ドラゴンに斬りかかった。


 そのスピードはテンの目では追えず、気付いた時には、2人はドラゴンの首に剣を突き立てていた。


「ぐ、うぅ」

「うぐっ、かってぇ!」


 しかし、ドラゴンの強固な鱗は、2人の攻撃もものともしない。


 それどころか、近付いてきた2人に、ドラゴンは、しめたとばかり首を翻し、そのまま2人に叩きつけた。


「ぐあっ!」

「あぐっ!」


 まるで人形のように、2人は、遥か彼方まで飛ばされてしまった。


「くっ。このっ」


 それを見たマインが、テンを地面に下ろすと、ドラゴンに向かっていく。


 アギトやドールに負けない速度で動くマインだったが、ドラゴンには通用しなかった。


「危ないッ!」

「え?」


 シャメールの叫びに、マインが気付いた時には、ドラゴンの尻尾がマインの背中を狙っていて、貫かんとする所だった。


「しまっ!」

「うおおおおあぁ!」


 貫かれる。

 そうマインも思った瞬間、アギトが間一髪で、その尻尾を叩き落とした。


「アギト!」

「油断するな、また来るぞ。ブラント」

「う、おおぉ!」


 アギトの掛け声に、地面が盛り上がった。ドラゴンが、そちらに目を向けるよりも前に、盛り上がった地面から、ブラントが飛び出して、身の丈程ある剣をドラゴンに、ぶち当てる。


「ギャアオォォ!」


 斬ることはできずとも、ブラントの馬鹿力にドラゴンが怯んだ。


「隙ありだ」


 そして、よろけたドラゴンの足元で、ドールが剣を横に払う。

 すると、そこまで力を入れているようには見えないにも関わらず、ドラゴンは体勢を崩して、その場に倒れ込んでしまった。


「よし。手を緩めるな。残り2頭も、いつ来るかわからんぞ」

「おう!」


 シャメールの号令に4人は高い統制のとれた連携で、ドラゴンを着実に追い込んでいく。


 硬い鱗は、4人の攻撃を受けても傷1つ付かないが、度重なる攻撃に、ドラゴンもなす術がないようだった。


「このっ、どんだけ硬いのよ」

「泣き言を言うな!」


 4人の顔には焦りが滲んでいた。


 というのも、最初にマインが報告したように、マインたちの頭の上では、2頭のドラゴンが飛んでいた。


 旋回するように、こちらの様子を伺うように。


 今、この1頭のドラゴンですら手こずっているマインたちに、残り2頭の相手ができるとは到底思えなかった。


 だからこそ、早く1頭だけでも仕留めておきたかったマインたちだったが、実際はそんなに甘いものではなかった。


「くっ。来るぞ!」


 懸念していた通り、これ以上は埒が明かないと判断したのか、残りのドラゴンたちも、急降下して、マインたちに向かってきた。


「アギト、マイン。お前らはそのドラゴンを相手しろ。ドール、ブラント、お前らは右のドラゴンだ」

「はっ!」


 シャメールの指示に従って分かれる4人だったが、少し離れた所でそれを見ているテンは、戦力の分散に、驚きを隠せなかった。


 今までの戦いを見れば、2人だけでは、どうしようもないことくらい、テンにもわかる。


 だというのに、それを命令するなんて、テンには理解できなかったのだ。


 そして、それを、何の疑問も持たずに従うマインたちのことも。


「テン様。早くお逃げください!」

「え?」


 マインの叫び声が聞こえてくる。


「ここは我々は抑えます! テン様は、お早く、お逃げください!」

「え、あ!」


 そこでやっと、テンはマインたちの行動の理由がわかった。


 つまり、マインたちは、囮になっている、ということなのだろう。


 3頭のドラゴンとなれば、仮に戦力を集中したとしても勝てるとは思えない。

 だから、マインたちは、勝つことを放棄した。


 それこそ、先程、マインが言っていたように、何に代えても、テンを守るために。


「早く! きゃあ!」

「マインさん!」


 しかし、今までの拮抗していた戦いは、二手に分かれたことで、一方的なものになってしまった。


 それでもなんとか食らいつくのは、彼らの確かな実力ゆえだろうが、それも長くは持たない。


 テンは、震える足を両手で必死に押さえて、立っているのがやっとだった。


 しかし、それでも逃げようとしないテンに、シャメールが叫ぶ。


「このままでは、1分と持たん! その間に、できるだけ遠くへ! ぐっ!」

「シャメールさん!」


 肩に深くドラゴンの爪に切り裂かれ、シャメールが呻く。


 逃げなければ、頭ではわかっているのに、テンの足は動かなかった。


 それは、恐怖によるものである。というのも、間違いではない。しかし、それと同じく、マインたちを見捨てられないという思いもあった。


 結果はすぐに出てしまう。


 それでも、テンは、ここから目をそらすことができなかった。


 次々と傷付けられていく騎士団たち。


 シャメールの言う通り、もう1分も経たずに決着はついてしまうだろう。いや、もしかしたら、それすらも持たないかもしれない。


 だからすぐにでも逃げなくてはいけない。


 なのに、テンは、動くことができなかった。


「無理、よ。私を助けようとしてくれてる人を見捨てるなんて」


 アリスなら、リリルハなら、そんなことはしない。

 何故か、テンの頭にはそれが浮かんでいた。


 テンは、砕け散った馬車に埋もれたナイフを手に取る。


 騎士団ですら歯が立たないのに、テンが敵うはずもない。それでも、テンは、逃げずに、震える手を押さえつけながら、ドラゴンを睨んだ。


「ふーっ、ふーっ!」


 待ち受ける死への恐怖に、テンは震える。


 しかし、それでも、ここで逃げれば、テンはアリスたちに顔向けができないと思っていた。


 そして、それこそは、テンにとって、死ぬことよりも嫌なことだった。


「ふーっ、ふーっ! く、ああああぁぁぁ!」


 テンが走り出す。

 ドラゴンは、向かってくるテンに狙いを定め、焔を口に溜めた。


「くそっ。やめろっ! ぐあっ」


 アギトは、なんとかドラゴンの攻撃を阻止しようとしたが、尻尾で弾かれてしまう。


 そして、ドラゴンの口から、灼熱の炎が放たれた。


「くっ。間に合って」


 剣を投げ捨て、マインがテンの前に立ちふさがり、テンを突き飛ばした。


「痛っ。あ、マインさん!」


 ドラゴンの炎からテンを庇うように体を広げるマインは、その他に抵抗する術もなく、来る死に向けて、覚悟を決めた。


「マインさん」

「ぐっ、マイン!」


 誰1人間に合わず、ドラゴンの炎が、マインを覆い尽くした。


 業火の炎に焼かれ、助かるはずもない。


 全員が、マインの死にうちひしがれた。



 はずだった。



 しかし。


「んんんううぅぅぅ、んおりゃあぁぁぁぁ!」


 不思議な唸り声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、マインを覆い尽くしていた炎が、跡形もなく消え去ってしまった。


 そこには少し火傷をしているが、大きな怪我は見当たらない、呆然としたマインの姿があった。


 そして、そこにはもう1人、男の姿がある。


「え? え?」


 いきなり現れた謎の人物に、テンは理解が追い付かず、ただ何の意味もない言葉を漏らすことしかできなかった。


 その謎の人物は、理解不能は、おかしなポーズをしていて、中々喋り出さない。


 明らかに挙動不審な男に、ドラゴンとは違った警戒をするアギトは、ハッとしてドラゴンにも、意識を向けるが、ドラゴンは男を見ていて、アギトには目もくれていなかった。


「ど、どういうことだ?」


 何が起きているのかわからず、アギトは途方に暮れた。


「ふ、ふ、ふ」


 そんな時、ようやく、そのおかしなポーズをする男が口を開いた。


「危ない所だったな。助太刀に来たぜ」


 何やら、したり顔の男は、カッコつけているつもりなのか、さっきとは違う、おかしなポーズに変わった。


「お、お前、何者だ?」


 業を煮やしたアギトは、その男に問いかける。



 すると、その男は、待ってましたとばかりにニカッと笑い、そして、高らかに告げた。



「俺の名はアジム。ドラゴンを狩る者として選ばれた、ドラゴンキラーと呼ばれる勇者なのだ」

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