第77話
私とレミィの出会いは、少しややこしかったのですわ。その前置きから、リリルハさんの話は始まった。
◇◇◇◇◇◇
私がレミィと出会ったのは、私が12歳の頃でしたわ。
当時はまだ、お父さまやお姉さまと一緒に本国に住んでいて、シュルフたちともまだ出会っていませんでしたわ。
そもそも、まだ1人前扱いもされていなくて、初めて私付きのメイドになってくれたのが、レミィだったんですわ。
「リリルハ、いるかしらぁ?」
「お姉さま?」
その日は突然、お姉さまが部屋までやって来て、見たことのない人を連れていたのですわ。
私は、一応、働いている方々の顔も全員覚えていますから、すぐにその人たちではないとわかりましたわ。
「どうかしましたか?」
「あなた、まだ自分付きのメイドっていなかったでしょぉ?」
何の脈略もなく、お姉さまはそう切り出した。
「え? は、はい」
「だから連れてきたわぁ」
「は、はぁ、……って、え?」
正直、私にメイドが付くのは、もっと先の話だと思っていましたから、一瞬、何を言われたのかわからなかったですわ。
少しだけ考えて、それからやっと理解して、思わず立ち上がってしまいました。
いつかは付くのだから、そんなに驚くこともないと、今なら思えるのですが、当時はそれはそれは驚いたものですわ。
「わ、私に、私付きの、メイドですか?」
「えぇ、そうよぉ。そろそろあなたもぉ、そんな時期だと思ってねぇ。お父さまからも許可はもらったわぁ」
信じられない気持ちでいっぱいでしたが、お姉さまはそういう嘘を付く人ではないとわかっていましたから、嬉しさで顔がにやけてしまいました。
そして、その気持ちのまま、私のメイドになってくれるという人物を見ると、少し違和感があったんですの。
いやまあ、最初から言っていましたが、その人は私の知らない人だったんですわ。
普段、私の世話をしてくれる人は、代わる代わるではあっても、顔馴染みでしたから、その内の誰かが、私付きになると思っていたんですが。
「えっと、お姉さま、この方は?」
「ん? あぁ、そこら辺で見つけてきたのよねぇ。仕事はできそうだし、良いかなと思ってぇ」
「そこら辺で見つけてきたって」
正直、そんな人を宮殿内に入れるなんて、と思いましたが、お姉さまなら、まあ、気にしないですわよね。
当時から、かなり自由でしたから。
「名前はぁ、うーん。レミィ……、モスティア……、うん。モスティア・レミィよぉ」
「モスティア・レミィさん」
「よろしくお願い致します」
レミィがどんな人物なのか、その時にはわかりませんでした。当たり前ですけど。
ただ、その物腰は、既に只者ではない雰囲気が醸し出されていて、仕事ができる、というお姉さまの話は、嘘ではないのだと、確信してましたわ。
ただ、レミィの表情は、常に笑顔で隙がなく、近寄りがたい印象でしたわ。
少なくとも、信頼のおける従者というには、お世辞にも思えませんでした。
「それじゃあ、あとはよろしくねぇ」
お姉さまは、言いたいことだけ言うと、さっさと何処かへ行ってしまわれましたわ。
残されたのは、私とレミィだけ。
かなり気まずい空気が流れていましたわ。まあ、その時にそう感じていたのは、私だけかもしれないですけど。
「お嬢さま。早速ですが、何かご用はありますか?」
「え? あ、いえ、今のところは何もありませんわ」
「かしこまりました。それでは、ご用があれば、何なりとお申し付けください」
その証拠に、レミィは何食わぬ顔で、仕事を始めましたから。
それからというもの、私付きのメイドとして、レミィは忠実に働いてくれましたわ。
それはもう、完璧と言えるような仕事のこなしでしたわ。
文句のつけようがありませんでした。
ただ1つ、私とレミィの間にある、見えない壁だけを除けば。
◇◇◇◇◇◇
「見えない壁?」
「ええ、そうですわ。レミィは、笑顔を浮かべながらも、明らかに私と一線を引いていましたわ。心理的というのか、心の壁というか。気付かれないように振る舞っていたんでしょうけど」
リリルハさんは、懐かしそうに空を見上げていた。
「だから私も、レミィを心から信じることができなかったんですわ」
今ではこんなに信頼してるのに。
どういう心の変化があったんだろう。
気になる。
ややこしいとも言ってたし、この話がこのまま終わるとは思えない。
多分、ここから、リリルハさんとレミィさんの間で、信頼し合えるような感動的な出来事があるに違いない。
わくわく。
わくわく。
続きが聞きたくて、リリルハさんを見つめていると、リリルハさんが困ったように笑った。
「そんなに期待しないでくださいな。面白い話ではありませんわよ?」
「あ、う、ごめんなさい」
顔に出ていたのかも。
不謹慎だったかな。
「いいえ。謝る必要はありませんわ。ただ、アリスの期待に添える展開ではないということですの」
リリルハさんは、怒っている訳ではなさそう。
それから、リリルハさんは、また話の続きを話してくれた。
◇◇◇◇◇◇
「レミィさん」
「はい、何でしょうか?」
私は、どうしてもレミィとの間にある見えない壁が気になって、意を決して話しかけましたわ。
レミィはいつも通り、おそらく他者から見れば、完璧なメイド像を体現した笑顔で私の方を見ました。
もしかしたら、壁を感じているのは、私の勝手な思い込みなのかもしれない、そう思わせるような、完璧な笑顔。
作り物とは思えない、完璧な笑顔。
ですが、完璧すぎるからこそ、私は違和感を持っていたのですわ。
「レミィさんは、ここに来る前は、何をしていたんですの?」
「え?」
その質問をした時、初めてレミィが、素の顔を見せてくれた気がしますわ。
何でそんなことを聞くのかわからない。
そう顔にかいてありました。
と言っても、一瞬の話ですけど。
レミィはすぐにいつもの表情に戻って、仕事を再開しましたわ。
「別に特別なことはしていませんよ。町で普通に働いていて、エリザベート様にスカウトされたのです」
「まあ。そうだったんですわね。どんなお仕事をしてましたの?」
「え? えっと、それは」
珍しかったですわ。
レミィが困る表情を浮かべるなんて、思っても見ませんでしたし、見たことはありませんでしたから。
「料理屋です。料理を運んだりするお仕事ですよ。だから、ここでも、ある程度仕事がこなせたんです」
「なるほど」
確かに、料理屋で注文を受けたり、料理を運んでくれたりする人は、メイドの仕事と似通っている部分もあります。
ここに来て、最初から完璧な仕事をこなしていたのは、そういう経験が活かされていたんですのね。
そう思いましたわ。
そして、一度、レミィのことを知ると、さらに詳しく知りたい。そう思ったんですの。
正直、初めて私にメイドが付いて、舞い上がっていたというのもあります。
やはり、心の通じ合った相手、というのが、ずっと欲しかったですから、心の壁を感じない関係になりたかったんですわ。
「レミィさん。もっと、色々聞いてもよろしくて? 私、レミィさんのことを、何も知らなくて」
私の言葉は、レミィにとって、予想外だったのでしょう。
その時のレミィは、目を見開いて、見るからに驚いていましたわ。
私は、そういう素の顔を見せてくれて、それだけでも嬉しかったですけど。
レミィは、微かにひきつった笑顔をしましたわ。
他の人なら気付かないでしょうけど、毎日、レミィの完璧な笑顔を見ていた私にはすぐにわかりましたわ。
「あ、無理に聞こうとは思いませんわ。言いたくないことは誰にでもありますから」
聞いてはいけないことだったのかと、すぐに取り下げると、レミィは、いいえ、と言いましたわ。
「少し驚いただけです。問題ありませんよ」
そう言ってくれたレミィは、やはりひきつった表情をしている気がしましたが、私にとっては、許可が下りたという嬉しさの方が勝っていました。
その日から私は、レミィに質問責めをするようになりました。
「何処の生まれなの?」
「年齢は?」
「もしかして、好い人はいないの?」
そういう他愛ない質問ばかりでしたけど。
それに、ほとんどの質問は、秘密です。で、片付けられましたわ。
普通の主人とメイドの関係。というのは、まだその時はわかっていませんでしたが、私にとって、メイドは相棒。
仕事の関係、だけでなく、心から信頼し合える存在になりたかった。
それは、私がレミィを信じるだけではなく、レミィが、私を信じてくれるようにならないといけません。
そのためには、私がレミィを心から信じなくては始まりませんわ。
そう思っていましたし、今でもそう思っていますわ。
「お嬢さま。紅茶を淹れました」
「あら、ありがとう。レミィさんも、一緒にどうですの?」
「いいえ、お嬢さま。私にはまだ仕事がありますから」
確かに、メイドとして、レミィの仕事は多かったと思いますわ。
ですが、レミィの仕事のこなしなら、少しくらい余裕があったはずです。
私もそれくらいは察していましたわ。
だから。
「なら、私も手伝いますわ。だから、たまには一緒にアフタヌーンティーを楽しみましょう?」
「お嬢さま。流石にそれは。お嬢さまの仕事ではありません」
「でも、私は、レミィ、さんと、お茶がしたいんですもん」
思わず心のままに言ってしまいました。
我ながら、子供っぽかったと思います。
ただ、それが功を奏したのでしょう。
レミィは、やや考えたように、ふむ、と呟いて、少しだけ諦めた様子で苦笑いしましたわ。
「わかりました。それでは、お願い致します、お嬢さま」
そう言うレミィに、私は一緒に仕事ができると、嬉しくなって、さらに欲求が出てきたんですわ。
「レミィ、さん。私の名前、覚えてますの?」
「え? もちろんです。リリルハ・デ・ヴィンバッハ様です」
「そうですわ。その名前があります」
もちろん、レミィが、私の名前を知らないとは思っていませんでしたわ。
でも、それが聞きたかった訳じゃなくて。
「だから、私のことは、お嬢さま、ではなく、名前で呼んでください」
お嬢さま、と呼ばれるのは、やはり距離がありますから。
「ですが、お嬢さま」
「リリルハ」
拗ねた子供のように、私はそっぽを向きました。
レミィが、どう返してくるのか、予想できませんでしたが、答えはすぐに返ってきました。
「はぁ。わかりました、リリルハ様」
「っ! ええ、ええ。それでいいですわ」
レミィは、あからさまに疲れた様子で折れてくれました。
そんな態度を見せるなんて、いつもなら考えられませんでしたから。物珍しさに私は笑っていましたわ。
「私も、レミィ、と呼んでよろしくて?」
「ええ、もう、好きになさってください」
諦めた様子のレミィは、少し投げやりにそう言いました。
だけど、その日から少しだけ、レミィとの心の距離が縮まった、そう思っています。
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