第75話

「おっと、ふう。なんとか、逃げきれましたわ」

「あう」


 何処かに飛ばされた私たちは、ドサッと無造作に地面に投げ出された。


 地面に倒れこみそうになるのを、リリルハさんがなんとか支えてくれて、顔を強打することはなかったけど。


「ありがと」

「いいえ、どういたしまして」


 落ち着いた所で周りを見ると、景色はそんなに変わっていなかったけど、確かにさっきとは違う場所だった。


「これは、空間転移魔法が組み込まれた魔法具、ですの」


 周りを気にしていた私に、リリルハさんが見せてくれたのは、さっきの小さな石だった。


 だけど、さっきまでは普通の石だったのに、今見たら、綺麗に真っ二つに割れてしまっている。

 まるで、役目を終えたとでも言うように。


「これは、誰でも空間転移ができる優れものですのよ。ですが、距離は短く、場所の指定もできない。1回しか使えないのに、不発になることもある。その癖、値段は1つで家を買える程、というとんでもないものですわ」

「へー」


 こんなに小さな物なのに、そんなにすごいものなんだ。

 場所に指定ができないとか、不発になる可能性があるというのは、問題だけど。


「レミィは、いつの間にかこんなものを買ってたのか。まあでも、助かりましたけど」


 なんとも言えない顔で石を見るリリルハさんは、やっぱりレミィさんのことを気にしてるんだと思う。


 そりゃあ、そうだよね。

 ずっと一緒にいたのに、突然離れてしまって。

なのに、整理がつく前に襲われちゃって。


 私に言える資格なんてないけど、なんとか元気にさせてあげられないかな。


 そう思った時、不意に閃いた。

 思い出した、という方が正しいかもしれないけど。


 多分、それは、本能的に覚えていたもの。


 私がリリルハさんに抱きついていた。

 そして、リリルハさんが元気になってくれた。


 曖昧で、本当にそんなことがあったのかわからなかったけど、私はリリルハさんに抱きついた。


「ア、アリス?」


 何が起きたのかわからない様子のリリルハさんは、一瞬、驚いたようによろけた。


 私が顔を上げると、不思議そうな顔で私を見下ろしていたけど、すぐにハッとした顔をして笑ってくれた。


「心配してくださるのですね。ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですわ」


 リリルハさんは、私を抱き締めて優しく言う。


「レミィは、必ず戻ってきてくれます。今までだって、どんなに喧嘩をしたって、レミィは必ず帰ってきてくれましたもの」


 ニコッと笑うリリルハさんは、本当にレミィさんを信じているみたいで、その表情には、何の陰りもなかった。


「そう、なんだ」


 それ程の信頼は、今の私にはない。

 それが何となく、寂しかった。


 励まそうとしたのは私なのに、私はすごく寂しくて、リリルハさんに抱きついたまま。


 すると、頭の上からリリルハさんの荒い鼻息が聞こえてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ。久しぶりのアリス成分。たっぷりと補充しなくては」


 ゾワゾワって背中に嫌な悪寒が走る。

 だけど、そのゾワゾワが、少しだけ懐かしいような気がして。


 それに、リリルハさんは、信頼できる人だって思えるから、私はそのまま抱きついていた。


 ◇◇◇◇◇◇


「さて、そろそろ動かないと、またヒミコたちに見つかってしまいますわね」


 しばらくして、リリルハさんは悩ましげにそう言った。


「そもそも、ここって、何処なんだろう?」

「うーん。わからないですわね。景色からいって、さっきの場所からそこまで離れていないように感じますけど」


 確かに、リリルハさんの言う通り、周りの景色はさっきまでとそんなに変わっていない。何処にでもある景色と言えばその通りなんだけど。


「あ、でも、あそこに山があるから」


 私はドラゴンさんの持っている私の鞄から、地図を取り出した。


 ここに来る時、お姉ちゃんから魔法で地図を見せてもらっていたけど、その時にヒミコさんから、紙の地図ももらっていた。

 念のためと、渡されていたけど、よかった。


 そこには、その時の現在地と目的地の山が描かれている。そして一緒に、お姉ちゃんのいる町も描かれていた。


「多分、私たちは今ここら辺で、お姉ちゃんのいる町が、ここだと思う」


 私は地図の場所を指差して、リリルハさんに説明した。


 地図に描かれている山の形は、西と東で見え方が違っているから、方角も間違っていないはず。


「でかしましたわ、アリス。なら、まずはその町を目指しましょう」

「え? 逃げるんじゃないの?」


 ヒミコさんたちから逃げるってことは、当然、お姉ちゃんからも逃げることになると思っていた。


「アリスのお姉さまなら、私も挨拶しておかないといけませんからね。私たちの将来について」

「私たちの将来?」


 何の話だろう。

 よくわからなくて、言葉を繰り返すけど、リリルハさんは、しまった、というような顔をして、わざとらしく咳払いをした。


「ゴホン。き、気にしないでくださいまし。どちらにしても、アリスも一度、竜の巫女とお話ししたいのではなくて?」

「うっ。それは」


 リリルハさんの言う通り、お姉ちゃんに何も言わずにここまで来て、何も言わずに何処かに行っちゃうのは、あんまり気が進まなかった。


 1回、ちゃんとお話ししたいとは思っていた。けど、そうすると、リリルハさんが危険だと思ったんだけど。


「確かに危険ですけど。それでも、アリスに嫌な思いをさせるなんて、私にはできませんの」


 不安に思っていると、そんな不安を取り除くように、リリルハさんが頬を撫でてくれた。


「それに、ヒミコたちだって、まさか自分たちの本拠地に、私たちが行くなんて予想しないはずですわ。むしろ、ヒミコたちに見つからない作戦です」


 得意気なリリルハさんは、さも、完璧な作戦とでも言うような表情をしてる。


 多分それも、私を心配させないための振る舞いなんだ。

 リリルハさんは、優しい人だから。


「だから、まずは竜の巫女のいる町に行きましょう。そこで、直接、真意を問いただすのですわ」

「うん。わかった」

「そうと決まれば行きますわよ。あちらで良いですのよね?」


 リリルハさんは意気揚々と歩き出す。

 私の地図を見ながら。


 だけど、地図を見ながら歩いているはずなのに、リリルハさんの向かう、その向きは全くの反対だった。


「あ、あの、リリルハさん?」

「どうかしましたの? アリス」


 一瞬、何かの冗談なのかなと思ったけど、リリルハさんは、あくまで真剣な表情。

 私が呼び止めたのも、意味がわからないという顔だ。


 あ、これは、ひょっとして、方角を間違えてるのかもしれない。

 ああ、そうかも。だって、リリルハさんは、この国の人じゃないし、景色も見慣れないものだろうから、方角がわかりづらいのかもしれない。


「えっとね、そっちは北だよ?」

「え? ああ、そうなんですわね」


 一瞬だけ、納得したように頷いたけど、すぐにまた、不思議そうな顔をする。


「それがどうかしましたの?」


 そして、何事もなかったかのように言う。


 これは、もしかして。


「リリルハさん。地図って読める?」

「はへっ! も、もちろん、読めますわよ。だからこうして、竜の巫女のいる町に向かって……」

「お姉ちゃんの町は、こっちだよ?」


 少しだけ気が引けたけど、正反対の方向に向かうの困るから、私はリリルハさんの行こうとしていた方と反対を指差す。


 リリルハさんは、地図と私を交互に見て、顔を赤くした。


「そう、ですのね」


 リリルハさんは、持っている地図を逆さまに持ち変えて、恥ずかしそうに顔を隠した。

 どうやら、地図を反対に持っていたようで、だから正反対に向かっていたらしい。


 それなら、仕方ない。

 誰にでも間違いはあるから。


「それじゃあ、行きましょう。今日中には着きたいですわね」

「え? ドラゴンさんに飛んでもらうの?」

「へ?」

「え?」


 どう見ても今日中には、辿り着けない距離だと思うんだけど。


 ドラゴンさんに乗ればなんとかなりそうだから、そうするのかなと思って聞いたんだけど、リリルハさんは、キョトンとしていた。


 それからしばらくして、リリルハさんは、何かに気付いたようにまた地図を見る。


「そ、そうですのね」


 そう呟くリリルハさん。


 そして、また顔を赤くしてしばらく黙っていたけど、やがて観念したように溜息を漏らした。


「ごめんなさい、アリス。こういうのは、全てレミィやシュルフたちに任せていたから、何もわからないんですの」

「あ、そうなんだ」


 そういえば、リリルハさんと旅の途中で再開した時は、リリルハさんは常に誰かと一緒にいたような。



 あれ? 

 旅の途中って、なんだっけ。


 何か、思い出したような気がするけど、すぐにわからなくなっちゃった。


「うぅ。アリス、呆れないでくださいな」

「え? あ、そ、そんなことないよ」


 私が黙っているのを呆れられたからだと思ったようで、リリルハさんは、泣きそうな顔で落ち込んでいた。


 なんとか励まして立ち直ってもらったけど。


 だけど、そのうちに、さっきの感覚はなくなってしまっていた。


 とはいえ、それに構ってもいられないので、私たちは、ヒミコさんたちに見つからないように警戒しながら、お姉ちゃんの町を目指した。



 ついでに、リリルハさんに地図の見方を教えてあげながら。

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