第70話

 リリルハ。レミィ。


 その名前に、覚えがあるかと言われると、答えは否。知らない人の名前だ。


 だから、そんな人たちのことなんて、私は何も知らないはずだし、なんとも思わないはずなの。


 知らない人たちのことより、お姉ちゃんの方がずっと大切。

 そんなの当たり前。


 だって、その人たちは、お姉ちゃんの邪魔をする悪い人たちで、これからも邪魔をしてくると言っていた。

 なら、お姉ちゃんの言う通りにしなくちゃいけない。


 その人たちを始末する、ということに、私はまだ抵抗があるけど、それでも、お姉ちゃんのためにやらなくちゃいけない。


 もし、仮に、私の胸に残るしこりが、何かの記憶を呼び覚ますものであったとしても、私はお姉ちゃんの言う通りにするしかないんだから。


 ◇◇◇◇◇◇


 お姉ちゃんから指定された場所に近付いてきた私たちは、気配を消しつつ、慎重に辺りを探っていた。


 というのも、お姉ちゃんが言うには、隠れているうちの1人、レミィという人は、相当な手練れらしい。


 もしかしたら、私たちがここに向かっているのも、すでに察知してるかもしれないんだって。


 もし本当なら、すごいよね。


 だって、私たちがここに来たのは、お姉ちゃんがこの場所を教えたくれたから。

 それもかなり遠くの場所から。


 そこから私たちは、バレないように細心の警戒をしながらここまでやって来た。


 それでも、バレてしまってる可能性があるんだとしたら、それはもう、人間業じゃない。

 お姉ちゃんも、その人のことは相当警戒してるみたい。


「竜の巫女様の話では、この辺りのはずですが」


 辺りの気配を探りながら、木々に隠れて進む。

 微かな音さえ立てないように、細心の注意を払って。


「クウウン」


 小さくなったドラゴンさんも、辺りをキョロキョロと探していた。


 ドラゴンさんが小さくなっているのは、ドラゴンさんの大きさは目立ちすぎるから。

 遠くからでも、目立ってしまうドラゴンさんには、魔法で小さくなってもらっている。

 ちなみに、この魔法も、なんとなく覚えていた。


 さて、お姉ちゃんの地図では、この辺り、ということぐらいしかわからなかった。


 流石に、具体的にどこ、とまではわからなかった。というより、それがわかっても、移動されていたら、意味がないんだけど。


「キョウヘイ。何かわかりますか?」

「うーん。まだ、何の気配もないっすね」


 キョウヘイさんは、いつになく真剣な表情で辺りを見回していた。


 少しの気配も見逃さないとばかりに、キョウヘイさんの纏うオーラは、かなり研ぎ澄まされていた。


 しかも、すぐに戦えるように、右手は常に剣を抜けるように構えられていて、私とヒミコさんを守れるよう、近くから離れない。


 ヒミコさんも、魔法の準備をしているのか、薄い青色のオーラのようなものを纏っていた。


「そこまで遠くはないはずです。気を引き締めましょう」


 ヒミコさんが前を見て、キョウヘイさんが後ろを見る。前後は2人が見てくれて、横にも注意を払ってくれている。


 これで、全方位、しっかりと見ているはずだけど。

 だけど、見つからない。


 お姉ちゃんの言葉を信じるなら、確かにそう遠くない所にいるはずなのに。

 お姉ちゃんが、この場所を教えてくれてから、そこまで時間は経っていないはずだから。


 それでも、見つからない。


 ということは、もしかしたら、そのレミィという人が、お姉ちゃんが言うみたいに、ものすごくすごい人で、気配を完全に消しているという可能性が考えられる。


 キョウヘイさんも、ヒミコさんも、実力は、そんなに弱い訳じゃない。むしろ強い方だと思ってる。


 それでもなお、相手の方が上手である可能性も否定できない。


 その場合、私たちの存在は、あちらには筒抜けなのかもしれない。


 だとしたら、こんな風に、隠れていても、意味がない。

 むしろ、こんなに固まっていては、一気に攻められる危険すらある。


「ヒミコさん。少しだけ、ドラゴンさんを戻すね」

「え? アリス様?」


 もし、あちらが気配を完全に消して隠れているのなら、まずはその場所を特定する必要がある。


 そのためには、ドラゴンさんに協力してもらうのが1番早いと思った。


 私は、小さくなったドラゴンさんを、元の姿に戻す。


「ブウウン」


 ドラゴンさんは、元の姿に戻ると、空を見上げた。どうやら、私の意図を察してくれているみたい。

 流石、ドラゴンさん。


「ドラゴンさん。お願い」


 私が言うと、ドラゴンさんは、深く息を吸って、それから、大きく口を広げた。


「2人とも、耳を塞いで」

「え? あ、はい」

「うっす」


 みんなで耳を塞ぐ。

 次の瞬間。


「グオオオオオオオン!」


 大きな、大きな、雄叫びが、辺り一帯に響き渡る。木々を震わせ、空気を震わせ、空間を震わせた。


 それは、魔法を打ち消すドラゴンの雄叫び。


 これだけ大きな音は、隠れている人たちにも聞こえているはず。

 もし、本当に近くにいるのなら、この大きな音に、多少でも反応があるはず。


 私は鼓膜が破れそうなくらい大きなドラゴンさんの雄叫びに、なんとか耐えながら、人の気配を探った。


 すると、案の定、微かにだけど、誰かのいる気配があった。


 それは、私たちの後ろの方、ちょっと離れていたけど、確かに誰かがこちらを気にしている気配だった。


「いた。ドラゴンさん」

「グオオン!」


 ドラゴンさんにお願いする。

 ドラゴンさんは、私の言う方向へ、一直線に伸びる炎を吐いた。


 まるで、光線のようにまっすぐ伸びるそれは、遮られることなく、その目標の人たちに衝突する。


 衝突した。はずだけど。


 気付いたら、バシュン。という音と共に、ドラゴンさんの吐いた炎が消えてしまった。


 何が起きたのかと、その先を見ると、そこにいた人物が、魔法か何かで、ドラゴンさんの炎をかき消したようだった。


 それでも、ドラゴンさんの吐いた炎の威力は凄まじく、その衝撃で舞い上がった砂ぼこりのせいで、そこにいる人物の顔は見えなかった。


 しかし、そこに2人いるのはわかった。


「見つけました! アリス様、流石です」


 ヒミコさんは、ドラゴンさんの攻撃で、そこにいる人たちに気付いたようで、すぐに臨戦態勢に入る。


「先手必勝。行くっす。ヒミコ様、援護お願いっす」

「ええ、気を付けてください」


 キョウヘイさんが、剣を抜き、すぐにその人たちの元に飛び込んでいった。

 それなりの距離はあったはずだけど、そんな距離、キョウヘイさんには関係なかったみたい。


「はあぁぁぁ!」


 キョウヘイさんが剣を振り落とす。

 決まった。あのスピードで切りかかられてきたら、大抵の人は避けられないだろう。


 しかし。


 ガキィン。と、その剣は、いとも容易く受け止められてしまった。

 


「これは、これは、なんとも予想外ですね」


 そして、それから、落ち着いた女の人の声が聞こえてきた。


 それから徐々に、砂ぼこりのが落ち着いていって、そこにいる人の顔が見えてきた。


「え?」


 そこにいる人の顔を見て、私は思わず、驚きの声が漏れる。



「ア、アリス? ど、どうしてあなたが、この人たちと一緒にいるんですの?」


 女の人の1人、多分、リリルハさんという人が、驚愕の表情で、私の方を見ていた。


 そして、もう1人、多分、レミィさんという人は、キョウヘイさんの剣を、右手で受け止めながら、涼しい顔で私の方を見ていた。


「お久しぶりです、アリス様」

「お、久し、ぶり?」


 なんとなく、言われた言葉を、そのまま返しちゃった。

 私はこの人たちのこと、知らないはずなのに。


 いや、知っている、のかもしれない。

 胸のざわつきが、激しくなる。


 リリルハさんと、レミィさん。


 その名前を聞いた時から感じていた、なんとも言えない、苦しさが、2人の顔を見て、さらに強くなる。


 私はこの人たちのことを、知っている、のかもしれない。



「アリス様。聞く耳をもたないでください。奴らは、我々の敵です!」


 ハッとした。

 固まっていた私に、ヒミコさんの声が突き刺さる。


「え? あ、う」


 ヒミコさんを見る。

 ヒミコさんの言う通りだ。


 お姉ちゃんのために、あの人たちを倒さないと。そう思ったのに。


「アリス。私がわからないんですの?」


 リリルハさんは、泣きそうな顔で私を見ている。そんな表情をさせている意味がわからなくて、どうすればいいのか、わからなくなる。


「アリス様。一旦落ち着いて話し合いましょう。この方たちにも、そう言ってもらえませんか?」


 レミィさんは、冷静な口調で言う。


 どちらの態度も、私は見たことがある。

 気がする。


「アリス様。そんな者の言葉など無視してください。アリス様を、拐かそうとしているに違いありません」


 姫さんは、私の前に出て、私をリリルハさんたちから隠すように立つ。


 姫さんの言う通りだと思う。

 お姉ちゃんのためにも。


 だけど、私の中で、何かがそれを制止する。

 何かはわからないけど、何かが制止してくる。


 どうすればいいのかわからない。


 どうするのが正解なのかわからない。


「アリス」

「アリス様」


 姫さんとリリルハさんの声が重なる。



 私、どうすればいいの?

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