第53話

 急激に辺りが暗くなる。

 時間の経過が著しく早くなった。


 辺りに流れる空気も、気配も、すべてが嫌な感じになっていく。


 早く逃げて。

 そう言いたかった。



 そう言いたかった。


 のに、それはあまりにも遅すぎたみたいで。


 ギャアギャアと、鳥の鳴き声が荒々しくなる。

 森に流れる風が、普段とは違った不穏なものに変わる。


 その異様な空気に、女の子もすぐに気付いたみたい。


「ドラゴンさん。誰か、来る」


 ドラゴンさんも気付いているみたいで、ある一点を睨み、ギリギリと歯軋りをしていた。


 迂闊に動くべきではない。

 それだけは、私を含めたここにいる全員が思っていたことだろう。


 そして、その気配の主は、それから程なくして、現れた。


「見つけたぞ。竜の巫女」


 不用心に、散漫に、それなのに、隙がない。

 その人は、さっきの光景で、ドラゴンさんを切りつけた男の人。


 その人は不敵な笑みを浮かべて、ドラゴンさんから目を離さなかった。


 まだかなり距離はあるはずなのに、この間合いは、もうすでに、あの人のテリトリーだ。

 そう感じさせる威圧感がある。


 ドラゴンさんも、それを感じ取ってか、いつの間にか、女の子を尻尾で包むように守っていた。


「無垢なるドラゴンを操る邪悪な女よ。観念しろ」

「私は操ってなんかいない。ドラゴンさんは、私の家族なの」


 男の人の勝手なもの言いに、女の子は怒ったように反論した。


 当然だ。ドラゴンさんは家族。

 それを否定するなんて、私だって許せない。


 だけど、男の人は、女の子のことを馬鹿にするように鼻を鳴らす。


「ふん。人間の真似事を」


 男の人が吐き捨てると、剣を抜き構える。


「今度は逃がさない」


 その言葉が耳に届いた瞬間には、男の人はドラゴンさんの目の前まで来ていた。


 その剣をドラゴンさんは尻尾で受けて、切断される寸前に、ドラゴンさんが後ろに引き下がった。


「まだだ」


 だけど、男の人は、下がったドラゴンさんとの間合いをすぐに詰めて、首元をめがけて切りかかる。


「操られたままというのはあまりにも不憫だろう。すぐに解放してやる」


 ゾワッと寒気がした。

 ドラゴンさんはのけぞって、なんとか避けようとするけど、それが間に合うことはなかった。


「ぐ、が」

「ドラゴンさん!」


 ドラゴンさんの首が切られる。

 両断されることはなかったけど、その傷は深く、明らかに致命傷だった。


「ま、待ってて、すぐに治すから」

「させない!」


 女の子がドラゴンさんを治療しようと伸ばした手に、男の人が切りかかる。


「きゃっ!」


 それから逃がすように、ドラゴンさんは尻尾で女の子を掴み、乱暴に放り投げた。


 そして、男の人の剣をドラゴンさんは牙で受け止める。


「まだ動くか。痛みを与えたくはなかったが、なるほど。流石の気迫だ」


 男の人は、ドラゴンさんに押し負けず、むしろドラゴンさんを少しずつ押し込んでいく。


 そして、力任せに剣でドラゴンさんを突き飛ばし、その勢いのままドラゴンさんの翼を切り捨てた。


「ギャオオオォ!」


 切り離された翼のせいでドラゴンさんは、飛ぶことすらできない。


「ドラゴンさん!」


 女の子が近寄ろうとするけど、ドラゴンさんはそれを目で制止する。


 逃げろ。

 そう言っているような気がした。


 いや、そう言っている。

 言葉にはしてないけど、絶対にそう言ってる。

 私にもわかるし、女の子にも絶対に伝わってる。


 だけど、女の子は首を振った。


「い、や」


 か細い声は震えていて、女の子の体も同じように震えている。


 女の子はわかってる。

 ここでドラゴンさんを置いて行けばどうなるのかを。


 想像できてしまう最悪の結果を。


 だけど、女の子にこの場をどうにかできるだけの力はない。


 無力な手をドラゴンさんに伸ばす女の子を、男の人は見向きもしない。

 そして、剣をドラゴンさんの心臓の辺りに構えて、突き刺そうと振りかぶる。


 ドラゴンさんはもう動けないくらいに弱っていて、避けることなんてできやしない。


 そして、無情にも、男の人は、その剣はドラゴンさんに向けて突き刺す。


 その瞬間。


「やめてー!」


 大声で叫んだ女の子の声に、バリバリッて雷みたいな光が迸った。

 その光は男の人に向かって放たれる。


「くっ」


 間一髪で、男の人はその光から逃げるけど、避けた先にも光が突き刺さり、執拗なまで男な人を追いかける。


 なんとか避け続ける男の人だったけど、キリがないと思ったのか、その光を剣で受け止めた。


「ぐっ。うおおおおおおおおおぉ!」


 その光は電気を帯びているみたいで、男の人は苦しそうな呻き声を上げる。


 それでも、痛みに耐えるように、歯を食い縛り、腰を低くして受け止め続ける。


 だけど、女の子はそんな光景に気付いていないみたいに、下を向いたまま。


 そして、光が収まった頃に、女の子がハッと顔を上げる。


「え?」


 そこで初めて気付いた女の子は、さっきの光の電撃で傷だらけになっている男の人を見て驚いていた。


 だけど、そんなことはどうでもよくて、傷ついて動けないドラゴンさんの方に走っていく。


「ドラゴンさん。大丈夫? すぐに治してあげるから」


 女の子はすぐにドラゴンさんの治療をする。

 けど。


「させるか!」


 男の人もそれを黙って見ている訳がない。

 今にも切りかかってきそうな男の人に、女の子はまた叫ぶ。


「駄目っ! 来ないでー!」


 その声と呼応して、また光が迸る。


 男の人はその光を避けるけど、前に進むのは難しそうなくらい、激しい光で溢れていた。


 その光が女の子から放たれていて、ここに来てやっと、女の子は自分がそんな不思議な力を放っているということに気付いたみたいだった。


「どっか行っちゃえー!」


 女の子は、声が切れそうなくらい大きな声を出して、男の人に光を浴びせる。


「ぐっ、ああぁぁぁぁぁぁ!」


 遂に避けきれなくなった男の人は、その光を真っ向から受けて、すごく苦しそうな声を出した。


 バリバリと服は破け、体は痙攣し、やがて、白目を向いて、吹っ飛んでいった。

 そのまま地面に叩きつけられた男の人は、微かに痙攣していたけど、意識を失い、死んだように動かなくなった。


 しばらく、男の人の様子を凝視していた女の子は、動かなくなったのを確認すると、ドラゴンさんの方に向き直る。


「や、やった、の?」


 聞いてもドラゴンさんは、苦しそうに女の子を見ているだけ。


 女の子の魔法で、傷は少しずつ治っているみたいだったけど、傷が深すぎるみたいで、中々完治はしないみたい。


 だけど、このまま行けば、なんとかなりそうな気がする。


 よかった。

 2人とも助かったんだ。


 ホッと胸を撫で下ろした。


「よかった」


 聞こえないとわかってるけど、そう言わずにはいられなかった。

 まるで自分のことみたいに、助かったことが嬉しかったから。


 だけど、結局それは、私の勝手な、希望でしかなかったんだ。

 だって私は、この話の結末を知っているのだから。


「やって、くれたな」


 気絶していたはずの男の人が立ち上がる。

 かなり辛そうだけど、その目にはまだ力が込もっていた。


 剣で体を支えながら起き上がる男の人に、怯えた様子を見せながらも、必死にドラゴンさんを抱き締める。


「いや、来ないで。もう、来ないでー!」


 女の子が叫ぶ。

 だけど。


「え? どうして?」


 女の子が叫んでも、さっきのような光は現れなかった。

 それだけじゃない。


 いつの間にか、女の子の手に溢れていた、治療のための光までが消えてしまっていた。


「無駄だ。この剣がお前の魔力をすべて吸いとってしまったからな」

「魔力? 何? どういうこと?」


 女の子は何も知らない。

 ただ、目の前の光景だけで何もかもを推測し行動している。


 誰一人として、女の子に何かを教えてあげるそとはなかったから。


 だけど、これは、多分、デリーさんの時のように、魔力を奪われたってことなんだ。


 女の子は魔力を制御できないから。

 あの時の私みたいに。


 ドラゴンさんは、自分を抱き締める女の子の服を噛み、後ろに引っ張った。


「ドラゴンさん?」


 女の子がよろめきながら後ろに放られる。


 そして、ドラゴンさんは女の子の方を見て、微かに口を動かした。


 生きてくれ。


 そう言ってるような気がした。


「あ、ま、待って、ドラゴンさん。わ、私、まだ戦えるよ。ドラゴンさんを守れるから」


 女の子の言葉には、何の説得力もない。

 ドラゴンさんは、首を振って、男の方を睨む。


 逃げろ。遠くへ。


 確かにそう言った。

 もはや、女の子にドラゴンさんを守れる力はない。


 女の子は必死でさっきみたいな光を出そうと、手に力を込める。だけど、その手から何かが出てくることはなかった。


「そんな、嘘だよね? ドラゴンさん」

「逃がさん」


 ギャリンという金属音が響く。

 男の人の剣をドラゴンさんが受け止めて、その衝撃が遠くの木々まで揺らし、女の子を吹き飛ばした。


「あうっ!」


 遠くに飛ばされた女の子の目には、遠くからこちらに向かってくる、大勢の人たちが見えた。


「竜の巫女を殺せ!」

「こっちには竜狩りがいる。今こそ畳み掛けろ!」


 狂気に満ちたその目を見て、女の子は恐怖に顔を染める。


「ド、ドラゴンさん」


 男の人と戦うドラゴンさんは、次々に傷をつけられて、どんどん血に染まっていく。


「あ、ああ、ああああ」


 女の子は、よろよろと立ち上がり、自分の顔を引っ掻く。顔は絶望に染まり、目には光がなくなっていく。


 どうすることもできない。


 私も、女の子も、多分同じ思いだ。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 女の子は悲鳴のような声を上げ、空に向かって叫ぶ。


 ドラゴンさんを一度見て、女の子は、少しずつドラゴンさんから離れるように走っていった。



 それから、ジジッ、ジジッて、砂嵐みたいに光景が歪んだ。

 フラッシュバックみたいに、光景の一つ一つが一瞬で目の前に繰り広げられていく。



 見えたのは、変わり果てたドラゴンさんの亡骸に、狂気に染まった人々。


 変貌した、黒く染まった女の子に、その女の子に従うたくさんのドラゴンさん。


 大きくなった女の子が、男の人と戦う光景。


 数多くのドラゴンさんと、人々の戦い。


 そして、地に伏せる女の子に、剣を突き立てる男の人。


 男の人は英雄として称えられる。

 竜狩りとして、称えられる。


 ドラゴンさんを、竜を悪魔の支配から解放した英雄として、祀られている。


 その女の子を倒した場所は、ドラゴンさんが悪魔から解放された町として、後世に語り継がれることになる。


 それがあの町。

 モナノフさんの町、アスニカの町。


 女の子を倒した竜狩りを祀るための衣装は、私が着ている、あの衣装だった。


 そこまで見て、意識が薄れていく。

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