第10話

 人の記憶は、どんなにすごい魔法でも、すべてを解析することはできない。


 記憶はその人だけのもので、どんな魔法を使っても、記録にすることはできない。


 それだけ、人の記憶は不可解で、複雑で、不可侵なものである。


 らしい。


 レミィさんの説明は、私には難しかったけど、そんな風に言っていた。


「本来、魔法で他人の記憶を操作することは不可能です。古の時代に、悪魔がそんなことをできたと伝えられてはいますが、それは人間が扱えるものではありません」


 ですが。

 と、レミィさんが続ける。


「逆を言えば、悪魔の力を有する者であれば、その力を持つことができるということです」


 悪魔の力。それって。


「つまりは、魔族、ということですの?」

「はい。その通りです。具体的に言えば、高度な知能を持つとされる、魔人ですね」


 魔人。人の姿に近い魔族。

 すごく頭が良くて、人にばれないように生きている場合もあるって聞いたことがある。


「その力は、人の記憶を操ることができるようで、その中には、人の記憶を奪い、物に変えてしまうというものもあると聞きます」

「それが、今回のような石だと言うんですの?」

「はい」


 私は、自分の名前も知らない。

 私は、自分が何処から来たのかも知らない。

 私は、自分が何処で生まれたのかも知らない。

 私は、どうしてドラゴンさんと一緒にいたのかを知らない。


 私は、何も覚えていない。


 記憶が、ない。


 もしかしたら、それは、魔人に記憶を奪われたからなのかな。


 もしそうなら、全部辻褄が合うのかな。


 ◇◇◇◇◇◇


 昼間に説明されたレミィさんの話を思い出しながら、私は夜の家を散歩していた。


 全然眠たくならなかった。


 カイトくんやセリアちゃんは、私みたいにあまりよくわかってなかったみたいだけど、私を心配してくれて、何かあったら言ってね、と言ってくれた。


 シュルフさんやレミィさんは、同じような石がないかを探してくれると言ってくれた。


 リリルハさんは、何も心配することはないと言ってくれた。


 みんな、優しい言葉をかけてくれた。


 でも、私は、そんな風に声をかけてくれて嬉しいはずなのに、何故か心の奥がもやもやとしていた。


「眠れませんの?」


 いつの間にか、私はリリルハさんの寝室の近くに来ていた。


 リリルハさんは、部屋の外にいて、私を見つけると、優しく声をかけてくれた。


「うん」


 私は、リリルハさんの隣に立った。

 ここが1番落ち着く気がしたから。


 そういえば、リリルハさんは、私が寝ていると、よく部屋まで来てくれて、一緒に寝てくれることがある。


 今日もそのつもりだったのかな。


 だから、部屋の外にいたのかも。


 リリルハさんが一緒に寝てくれると、すごくよく眠れる。


 でもたまに、目を覚ますと、よだれを垂らして私を見つめていることがある。


 あの時だけは、少しだけびっくりしちゃうけど。


「記憶の欠片のこと、気になっていますの?」

「……うん」


 リリルハさんには、やっぱりわかっちゃうみたい。


 私は、自分に記憶がないということを、あまり深く考えてなかった。


 前の記憶がなくても、リリルハさんやみんなは優しいし、何不自由なく生きていけたから。


 でも、今日、改めて自分の中の記憶に繋がる何かを見た時、私はやっぱり記憶を取り戻したいと思った。


 それがどんな記憶なのか、想像もつかないけど、それでも、目をそらしちゃ駄目なんだって、そう思った。


「私は、自分のことを、もっとよく知らなくちゃいけないの」

「……ええ」


 シュルフさんは言ってくれた。

 レミィさんも言ってくれた。


 私たちが、アリスの記憶の欠片を探しますって。

 でも、それじゃあ、駄目だと思う。


 自分のことなのに。

 自分の記憶なのに。


 誰かに頼りっきりになるのは、駄目なことだと思う。

 誰かの優しさに、甘えてばかりじゃ駄目だと思う。


 だから、私は。


「私、自分で記憶の欠片を探す。探すために、この町を出るの」


 自分でやらないといけないの。


 自分でやらないと意味がないの。


 だから、私は、私の記憶の欠片を探す。


「その意思は、固いんですの?」


 リリルハさんの声が低く響く。

 いつもの優しいものじゃない。


 私を、試すような、そんな声。


 リリルハさんは、私の話をちゃんと聞いてくれる。だから私は、しっかりとリリルハさんの目を見て、はっきりと言った。


「うん。もう決めたの」


「そう、ですか」


 リリルハさんはしばらく黙ったまま、私のことを見つめていた。


 そして、次に聞こえてきた声は、リリルハさんの諦めたような、心なしか弱々しい声だった。


「私は、あなたの決めたことに反対する気はありませんわ。あなたのことを尊重します」

「うん」

「あなたなら、何があっても乗り越えられるでしょう」

「ありがとう」

「でも」


 リリルハさんは、私の肩を掴んだ。

 心配そうな顔で。


「あなたは、まだ子供ですのよ? この町を出てしまえば、私たちも助けることができないかもしれませんわ」

「わかってるよ。心配してくれてありがとう」


 これまで、私はずっとリリルハさんたちに守られてきた。


 だからこそわかる。


 このままじゃ駄目だって。


「私、がんばるから」

「アリス」


 リリルハさんは痛いくらいに私のことを抱き締めてくれた。


「わかりましたわ。ええ、わかりました。私たちちは、あなたを全面的に応援いたしますわ」

「うん。嬉しい」


 リリルハさんたちが見守ってくれてる。

 それだけで、すごく安心する。


 ずっと、ずっと、お世話になったから。

 すごく、すっごく優しくしてくれたから。


 私は、こんな風に思えるようになったんだよ。


 全部、リリルハさんたちのおかげ。


 だから、言うよ。

 絶対に伝えたい気持ちだから。


「リリルハさん。今までありがとうございました」

「アリス。アリスゥゥゥゥゥゥ」


 リリルハさんが、ワンワン泣いて私を引き寄せる。

 ちょっと痛かったけど。


 少しだけ、この痛みが心地よかった。


 ◇◇◇◇◇◇


 次の日になって、私は早速、みんなにそのことを話した。


 シュルフさんやレミィさんは予想していたみたいで、すんなりとわかってくれたけど、他のみんなは、危険だ、危ないと、私をひき止めた。


 それだけ大事に思われてるんだってことが、すごくわかった。


 でも、私が一生懸命説明したら、みんな、ちゃんとわかってくれたの。


 そして、その日の夜は、私の一時お別れ会を開いてくれることになった。


 お別れ会。という垂れ幕に、大きく一時、と書いたのはリリルハさん。


 絶対にまた会いましょうと言ってくれた。


 町のみんなも来てくれて、すごい盛り上がりだった。


 夜なのに、昼間みたいに明るくて、みんな、すっごく楽しそうだった。


 でも、私の前に来てくれた人たちは、みんな心配そうな顔をして、

「困ったことがあったら、いつでも帰っておいで」


 そう、言ってくれた。


「うん。帰ってくる」


 例えこの先、私がどんな記憶を思い出しても、この場所は、私にとって帰ってくる場所。


 それだけは、絶対に変わらない。

 そう思うし、そうじゃなきゃ嫌だ。


 結局、町のみんなとお話をしていて、ほとんど寝ていなかった。

 寝たくなかったのもあるけど。



 そして、今日は、私が旅を始める日。


 みんなが見送りに来てくれた。


「一応、数日分の食料と水をこの鞄に積めています。あと、お金も。これだけあれば、しばらくは大丈夫でしょう。かなり重いので、ドラゴン様に持ってもらいましょう」


 シュルフさんが私のために用意してくれた鞄。

 それを、ドラゴンさんの背中に乗せた。


「ドラゴンさん。お願いします」


 そうお願いすると、心得た、と言ってくれたような気がした。


「あと、これを」

「これは?」


 レミィさんがくれたのは、何かが書かれた紙だった。


「これは、リリルハ様が書いた書状になります。これがあれば、ウィーンテット領国の管理する町や村であれば、ある程度は自由に行動できるはずです」

「へー」


 やっぱりリリルハさんはすごい人なんだ。


「あと、地図もお渡しします。こちらをご覧ください」


 レミィさんが見せてくれた地図には、何ヵ所かに色のついた丸があった。


「この赤い丸は、ウィーンテット領国の管理する町や村になります。何もついていないのは、ウィーンテット領国の監理外の町や村になります」


 なるほど。

 つまり、赤い丸の所なら、リリルハさんの書状も使えるってことなのかな。


 でも、地図には青い丸もついてる。


「この青い丸は?」

「それは、ヤマトミヤコ共和国の領土になります。そこでは、リリルハ様の書状が逆効果になる可能性がありますので、できれば近づかない方がよろしいですね」


 そうなんだ。リリルハさんの名前が逆効果になる場所もあるんだ。


 でも、どうしてだろう。


 聞いてみたけど、ちょっと難しくてわからなかった。


 とにかく、あまり用がないのなら、近付かないこと、ということで話は終わった。


「アリスちゃん。本当に行っちゃうの?」

「うん。大切なことだから」


 セリアちゃんが泣きながら抱きついてくる。

 その後ろでは、カイトくんも泣きそうな顔で、でも、泣かないように我慢していた。


「カイトくんも、ぎゅってして?」

「ばっ! そんな恥ずかしいことできねぇよ」


 そうなんだ。ちょっと、ショック。


「あなた! アリスが悲しんでいるではありませんか! 男から、四の五の言わずに話を聞いてあげなさいな!」

「いてっ!」


 リリルハさんがカイトくんを叩いちゃった。

 あ、カイトくんが泣いてる。


 そんなに痛かったのかな。


 でも、そうじゃないみたい。


「お、俺だって、俺だってぇ、う、うわぁぁぁん」


 カイトくんはセリアちゃんよりも泣いて、私に抱きついてきた。


 2人の体温が温かい。


 寂しいと、思ってくれてるんだ。

 私も寂しいよ。でも、絶対にまた会いに来るからね。



 最後に、リリルハさんが来てくれた。


「アリス。お気をつけなさいな」

「うん。ありがとう」


 リリルハさんは、切なそうな笑顔で私を見る。


「私は、あなたのこと、本当の妹のように、いいえ、本当の妹だと思っていますわ」

「うん。私も、リリルハさんのこと、お母さんみたいって思ってた」

「おかっ! い、いえ。それでも構いませんわ。とにかく、あなたは、私の大切な家族なのです。いいえ、それだけではありませんわ。あなたは、私たち全員の、大切な家族なのです」

「うん」


「ですからいつでも。寂しくなったら、いつでも、帰ってきなさいな。私たちはいつもあなたを待っていますわよ」

「うん。……うん」


 あれ?

 目の前がぼやけていく。


 どうしてかな。

 頬に温かい水が流れていく。


 こんなに嬉しいのに。

 こんなに温かいのに。


 こんなに、寂しい。


 でも、頑張れる。


 みんなが待っててくれる場所があるって、私、知ってるから。

 それだけで充分。


 それだけで、頑張れる。


 だから、元気よく言うの。

 涙なんて流していたら、ちゃんと伝わらないかもしれないから。元気よく言うの。


「いってきます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る