第2話

「あんの、なにか?」

 後ろ手に、静かに部屋の扉を閉める。

「マリリンさんが私たちに何かご用があるとかで。一緒に下に行きましょう」

「ああ、はい」

 何かよくわからないけど、マリリンに呼ばれてるなら行かなければならない。

 マリリンはマリリン亭の受付に座っていた。

 昨日サラがそうして座っていたように。

 ……ただ、本当にサラが座っていた場所と同じなのかどうか疑問に思うくらい、マリリンの体はその席にめいっぱいに座っていた。

「ねえ、あんたたちに頼みたいことがあるんだけど」

 マリリンの前まで行くなり、サラたちはそう言われた。

「はぁ……」

 どんな頼み事なのかわからないので、サラは良いとも悪いとも取れる曖昧な返事をした。

「たいしたことじゃないのよ。よっと」

 そう前置きしてから、マリリンは布の袋を受付のテーブルに置いた。

 大きさは、だいたいサラの頭くらいだろうか。

 袋の上の部分が紐で縛ってある。

 マリリンはそれを解いて、中から宝石のような物を取り出した。

「ちょっと隣町まで行って、この魔法クリスタルに魔法を補充してきて欲しいのよ」

 よくよく見るとそれはただの宝石ではなかった。

 魔法クリスタル――簡単な魔法が込められたクリスタルで、魔法が使えない者でもそのクリスタルに込められている魔法名を言うだけで、魔法を使うことができるクリスタル――。

 ここ数年の間に、魔法が使えなくてもその力を有効利用するために魔道士が開発した物で、あまりに便利なためもはや日常生活に欠かせない物となっている。

 特に飲食店では、この魔法クリスタルの普及によって食料の保存がかなり容易になった。

 雪の風アイス・ブロウの魔法を利用した冷凍庫や、冷たい風コールド・ウィンドを利用した冷蔵庫、及び冷房の登場である。

 これ以外にも日常生活で使われている魔法クリスタルは多い。

 ただし、魔法クリスタルは便利ではあるが使用回数に制限がある。

 クリスタルに込められた魔法の力がなくなれば、当然その効果を得ることはできない。

 なので、ある程度使ったら魔法クリスタルを取り扱っている店で魔力を補充してもらわなければならない。

 この宿場町は、宿場町として発展しすぎたため、未だに魔法クリスタルを取り扱う店がなかった。

 この国で一番大きな宿屋があるのだから必ず魔法クリスタルの需要があるわけで、一軒くらい魔法クリスタル屋があってもよさそうなものなのに。

「……ねえ、サラ? あんた、あたしの話聞いてる?」

「はい、わかりましただ。でんも、そんくれーのことわだす一人でもいいんじゃねーか?」

「そういうわけにもいかないわよ。この量よ。交通費も含めてあんたたちには結構お金を預けることになるんだから」

「ああ、そんれで」

 納得できた。

 この程度のお使いくらいは一人でも十分できることだけど、確かに結構お金がかかる量だ。

 それをサラ一人でというのは、道中いろいろ危険だろう。

 魔法クリスタル自体も一つがそれなりの値段をすると聞いたし。

「そうそう、魔法クリスタル屋に預けたら結構時間かかると思うから、全て補充が終わるまでは自由時間ってことにして良いわよ。あんたたち、こういう機会でもないとこの町から全然出ないものねぇ。少しは町で遊んでらっしゃい」

 そう言われても、サラの知る世界はかつて住んでいた集落と、この宿場町だけだから町で遊ぶということ自体ピンとこなかった。

 ボケッとしていると、

「はい、ありがとうございます」

 レイナ先輩がそう言って魔法クリスタルの入った袋と、お使いにかかるお金を受け取ろうとしたので、サラは魔法クリスタルの袋を預かることにした。

 どちらも大事な物だけど、お金の管理は先輩にしてもらうべきだと思った。

「ほんじゃ、行ってくるだ」

「よろしくね」

 サラはレイナ先輩の後ろについて、馬車の停留所に向かった。

「大丈夫ですか? 重くありませんか?」

「へーきだで、レイナ先輩」

 サラは袋を背中に担ぐようにして持ちながらそう言った。

 マリリン亭は宿場町の一番外れに建てられてある。

 つまり、マリリン亭がある場所はこの宿場町の出口に当たるのだ。

 そして馬車の停留所というものはたいてい町の入り口辺りにある。

 サラたちは町を横断するように、大通りを歩いた。

 通りにはいくつか宿屋がある。

 小さな食堂を兼ねたような宿屋や、温泉を売りにした宿屋など。

 宿場町として発展してきたこの町は、ほとんどが宿屋との兼業をしている。

 唯一、宿屋だけで経営している……というより、それだけで成り立っているのは、町の中心であり、この宿場町最初の宿屋――ホテル・マクシミリアンだけである。

 サラはそれを横目に感嘆のため息をついた。

「いづみても、大きいだな……」

 マクシミリアンの敷地面積は町の半分を超える。

 大通りもいつしか、右手にはマクシミリアンの壁しか見えなくなってしまう。

「そうですね……、サラちゃんもこういうところで働いてみたいんですか?」

「あははっ。そっだらこと、思うわけねーべ。掃除のしがいはありそーだけんどな」

「フフフッ、確かに」

 そんなことを話していると、やっとマクシミリアンの門が見えてきた。

 黒い格子状の門は先端が槍のようになっていて、宿屋なのに他人を寄せ付けないような威圧感がある。

 実際、このマクシミリアンに泊まれるお客さんは限られる。

 一番安い部屋でも銀貨五枚かかるのだ。

 とても庶民の感覚では泊まれない。

 それ相応のサービスが受けられるというのがマクシミリアンの売りで、それを目当てにお金持ちのお客さんが集まってくる。

 いわゆるお金持ちのステータスになっているのだ。

 ちなみに、最高級スイートは金貨二十枚だそうで、中流家庭の収入のほぼ半年分かかる。

「おや、そこのおんぼろメイド服は……確かマリリン亭のメイドじゃないか?」

 門のところで立っていた男の人が話しかけてきた。

 背は高いが自分に自信がないのか少しだけ猫背なのが特徴的。目が悪く厚い硝子の眼鏡をかけていて、目つきもあまりいいとはいえない。黒髪の坊ちゃん刈りは、実年齢よりも幼さを感じさせてしまう。

 はっきり言ってしまえばまだ精神的に子供なんだと思う。

 だからわざわざ通りの反対側を歩いていたサラたちにちょっかいを出してきたのだ。

 彼の名は、この町の人間なら知らないものはいない。

 ――ケルヴィン=マクシミリアン。

 姓を見ての通り、ホテル・マクシミリアンを建てた一族の者であり、現在のオーナーである。

「フ……いや、実に似合っているね。あのマリリン亭のメイドとしては。うちだったらそんなぼろい服は雑巾としても使えないけどなぁ」

「そーなんか? ほんなら、おめのところは雑巾をわざわざ買ってるんけ? もったいねーべな。馬鹿なんか?」

「な、な、な……僕のホテルが馬鹿だと!? 僕のホテルは君たちのおんぼろ宿屋と違って清潔なだけだ!!」

「でしたら、私たちのような者を呼び止めてお話をするのはあまりよくないんじゃありませんか?」

「うぐ……、う、うるさいっ! さっさと行ってしまえ!! 僕のホテルの周りをそんな服装でうろちょろされたら迷惑だ!!」

 元々サラたちだって立ち止まるつもりはなかった。

 これ以上はくだらない言い争いにしかならないので、サラはレイナ先輩と顔を見合わせてから、少し早歩きでホテル・マクシミリアンの前を立ち去った。

 停留所には三台の馬車があった。

 レイナ先輩が御者に何やら相談をして、一番左の馬車に乗ることになった。

 街道に出て五分くらいたっただろうか。

「それではそろそろよろしいですか?」

「ええ、私はいつでも構いませんよ」

 レイナ先輩が御者と話をしてから、サラをチラリと見て言った。

「サラちゃん。しっかり捕まっていてくださいね」

「――は?」

 言うや否や、レイナ先輩から風が吹いてきた。

 さっきまで街道の木の葉が揺れるほども吹いていなかったのに。

 その風は、レイナ先輩の両手の辺りから漏れてきている。

突風ブラスト!」

 何かが爆発したかのような音がした次の瞬間、馬車は飛び出していた。

 レイナ先輩が後ろに向けて風の魔法を放ち、その力を利用して馬車が一気に加速したのだ。

「ははっ、こりゃ楽できていいや!」

 御者も思わずそんな話をしている。

 普段なら隣町までは一時間以上かかるのだが、今日はその半分くらいの時間で到着してしまった。

 隣町――クロードスーズの停留所でサラたちは降りた。

「それじゃあ、料金は鉄銭五枚で」

「え? それって、なんか計算間違ってんでねーの?」

 確か以前馬車でこの町に来た時は、銅貨一枚はかかったはずだ。

「いいんですよ」

 言い値を払ってさっさとレイナ先輩は歩き出してしまった。

 歩きながら一応聞いてみる。

「半分の時間で着いちまったからだか?」

「いいえ、最初にお話しした時に、馬たちに楽をさせる代わりに半額にならないか交渉したんです」

 そういえば、町を出る前に三人の御者と話をしていたっけ。

 あれは値引き交渉だったのだ。

「そんれにしても、レイナ先輩は魔法が使えたんだっぺな」

 すでに見せてもらっておいて今さらだが、初めて知ったことだった。

「ええ、ほんの少しだけですけどね」

「でんも、マリリン亭では一度も見せてねーべな。ってゆーか、魔法が使えんなら、もっと給料の良い仕事に就けるんじゃねーべか」

 素朴な疑問だった。

「……そうですね……。そうかも知れませんね」

 そう言ったレイナ先輩の横顔は、とても切なそうだった。

 何か事情があるのだということはすぐにわかった。

 ……マリリン亭は宿泊客だけじゃなくて、従業員も訳ありなのかも知れない。

 よくよく考えれば、サラはレイナ先輩のこともリータ先輩のこともほとんど知らなかった。

 それどころか、マリリンのことだって。

「……だども、よーく考えちゃ。どーでもいいべな」

「え?」

「いやな……わだすには難しーこと考えらんねーし。わだすたぢはマリリン亭で働く仲間だべ? それさえはっきりしてりゃ、他んことなんてどーでもええと思ったんよ」

「……フフフ……、私やっぱりサラさんには勝てる気がしません」

「は?」

「さあ、魔法クリスタル屋さんはあっちです。行きましょう」

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