第四幕 ~地下2階の変~

15.「い、いえ! ダジャレじゃ、ないですよっ」


 ――ああああああああッッ!


 ……やってしまいましたやってしまいましたやってしまいました――

 ……わ、私としたことが……。


 思わず、身体が勝手に動いていたんです。

 声が、喉から勝手に飛び出していったんです。


 「コトラ君のライブに、私も行きたい」なんて――


 ……だって、耐えられなかったんです。このままだと、コトラくんが紅さんに取られてしまうかもって、考えただけで――


 ……いえ、紅さんが葵くんのことを好きなのは存じています。でも、葵くんはどうやら私のことが好きみたいで……。実らない恋を想い続ける辛さは、私も分かってるから。紅さんだって、葵くんの背中をただ追い続けるだけなんて、寂しいはずです。……あ、彼女の場合、もっと素直になった方がいいとは思いますけど……。


 ――それに、ライブをしているときのコトラくんがカッコイイのは、私が誰よりも知っています。いつものおちゃらけた雰囲気とは全く違う、真剣な瞳で、魂を込めて、心を謳いあげる彼の姿を観てしまったら……、紅さんだって、コロッと心変わりしてしまうかもしれません。



 ――ああああああああッッ!

 ……そ、そんなことになってしまったら、わ、私は……、ワタシハ――



「――さん、柳さん?」

「……ふぇぇぇっ!? ……は、ハィィィィィッ!?」



 ――いきなり素っ頓狂な声をあげた私の眼前、葵くんがポカンとした顔で私のことを見つめています。ハッと現実に引き戻された私の耳に、ガヤガヤと喧騒が飛び込んできて――


「……あれ、オレンジジュース……、でよかったんだよね? ……僕、聞き間違えたかな?」

「……えっ? あっ――」


 葵くんが、左手に『濃い茶色の飲み物』、右手に『淡い橙色の飲み物』を持ちながら、首を斜め四十五度に傾けていました。


「――ご、ごめんなさい! ちょっと、ボーッとしていまして……、はい! オレンジジュースで、大丈夫です」

「……よかった、ハイ、コレ――、ええと、ホタルは『コーラ』だよね」

「……おう、ってかアンタは何も飲まないのかよ?」

「うん、僕、水かお茶以外のもの呑むと、お腹壊しちゃうから」

「……ナニソレ、弱っ、死ねば?」

「……人はそんな簡単に死なないんだよ、ホタル」


 ――本当に、お似合いの二人だと思うのですけど……、なんで葵くんは、私のことなんて好きになってしまったのでしょう――



 ……ハッ、「どういう状況?」って思っていらっしゃいますね?

 ご、ゴメンナサイ……。


 日付は七月三日の水曜日、時刻は十九時を少し超えたくらい。

 私たちは薄暗いライブハウスの端っこで、借りてきた猫のようにおとなしく開演を待っているところです。

 ……そう、私たち三人はコトラくんのライブにやってきたのです。


 私は……、ワクワクと心が興奮しているのを、表に出ないように必死です。だって、いつかは行ってみたいと思っていた『ライブハウス』に、ついに足を踏み入れたのですから!


 ……ハイ、思わず「私も行ってみたい」と叫んでしまったのは、ロックへのあこがれが爆発してしまったから、というのもあります。もう一度、爆音で奏でられる電子サウンドを、生音で感じてみたいとずっと思っていたんです。


 初めてきたライブハウスは、私が普段過ごしている生活空間とはまるで切り離されたみたいに――、『異質』でした。入り口の壁には、ゴテゴテとカラフルなチラシの数々が、ところせましと張られておりました。カラースプレーの落書きで、「F〇〇K」とでかでか綴られておりました。


 開演前の会場には、私たちと同じく高校の制服を着ているお客さん以外にも、普段お目に掛かれないような風貌の殿方も散見されて……、先ほどは、腕にイレズミをしていらっしゃる方とすれ違いました。


 ドキドキと、胸の高鳴りが止まりません。正直、ちょびっとだけ怖くもありました。だけど……私が大好きなロックの世界、圧倒的に『自由』で『奔放』なその世界は、私を、どこか知らない世界へ連れて行ってくれるんじゃないかって――、そんな期待も感じさせてくれるんです。


 ――どんなバンドも、最初は小さなライブハウスから、全てが始まっているんですものね。  

 ローリングストーンズだって、ピストルズだって、ディープパープルだって――


 ばーんっ、と、私の視界が開けていく気がしました。……い、いえ! ダジャレじゃ、ないですよっ。とにかく……、薄暗くて、薄汚くて、どこか危険な香りさえするその場所に居ると……、なんだか悪いことをしている気分になってきて、でもそれが妙に心地いいんです。身に纏っていた鉄の鎧を脱ぎ捨てた気分になれるんです。……私だけでしょうか?


 ――なんて、キラキラと目を輝かせている私とは対照的、紅さんはさも興味無さそうに、さもつまらなそうに――、壁に背を預けたままフワッと生あくびを漏らしていました。


「――クジラ、コレ、持ってて」

「あ、うん……、何、トイレ?」

「……そ、そうだよ……。バカ、死ね!」


 ――言うなり、手に持っていたコーラを葵くんに押し付けた紅さんが、会場の入り口近くに設置されている個室の扉にズンズン向かっていきました。人込みを掻き分けて――


 そういえば、開演が近くなってきたのか、さきほどよりも混みあってきた気がします。小さなライブハウス会場が、ぎゅうぎゅうと寿司詰め状態になっています。私たちが居るのはステージの一番奥、これではとても、ステージの上のコトラくんを見ることができなさそうで――

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