第64話 水底の魔域

「そこで見ていろ。魔王はデリケートな存在だ。

力づくでも呼び出せるが、もし機嫌を損ねたなら命はない」


 そう言いながら、ダンタリオンが馬から降りた。

 まるで地面から湧き上がっている様に見える、レイル河の始まりがここ。

 河幅は、小さな家なら飲み込まれるくらいある。

 ダンタリオンはその畔に立って、片手を挙げた。


「魔王レヴィアタンよ。

御身の忠実なる下僕しもべが参りました。

道をお開け下さい」


 すると、レイル河の水面に波紋が生まれた。

 水の流れなんか無視するような、大きくて深い波紋だ。


「あっ! 水が階段になった!!」


 マナが指さして叫ぶ。

 本当だ。

 波紋の中心が穴になって、そこに水の階段が生まれている。


「マナ、よく見えたなあ。すごいな」


「えへへ、なんか最近、おれ、目がよくなってるんだよね」

 

 褒められて、ニコニコするマナ。


「むっ、私も波紋の表面に悪魔の気配が奔ったのを感じましたよ!

戦意がむくむくと湧き上がって来ましたもん!」


「セシリアが感知するやり方は物騒だなあ……」


 こんな小さい子に何を対抗意識を燃やしているのか。

 でもまあ、無視するのは可哀そうだし。


「セシリアも偉いなあ」


「うふふ、そうです、偉いんです」


「……女の子のワガママに付き合って、カイルくんは偉いなあ……」


『ほんと、年下とは思えないほど人間ができてますわよね』


 外野の英雄姫二人が好き勝手言ってる。

 そりゃあ、このメンバーに揉まれて長いからな。

 そろそろ、この世界に来てから二ヶ月くらい経とうとしてる。

 みんなの扱い方は段々覚えてきてるぞ。

 こんなやり取りをしていたら、傍で見ていたダンダリオン、さすがに痺れを切らしたみたいだ。


「早くしてくれないだろうか。

魔王が直接招いているというのに雑談をするのは、とても失礼である」


「あ、それはごめん」


 確かに、と思ったのでちょっと謝って、俺はみんなを伴い、水の階段へ向かった。

 流れる川面に足を下ろしてみると、そこには見えない道ができている。


「見えないと不便だな。ヘルプ機能」


『彩色魔法をピックアップします。詠唱をどうぞ』


 画面に浮かんできた呪文を、フリック入力する。

 この程度の長さなら、数秒で事足りるな。

 詠唱の最後で、色を決められる。


「何色がいい?」


「ピンク!」


「白!」


 マナとセシリアが元気よく答えた。

 二人の希望をないがしろにするのも良くなかったので、


「よし、じゃあピンクと白のしましまにしよう」


 これで色は決定。

 河の上にできた見えない道が、あっという間にカラフルなしましま模様に染まる。

 これで、どこに道があるか分かって安全。


「なんと悪趣味な色だ……!」


 ダンタリオンが目を見開き呆れている。

 悪魔の感想よりも、うちの女性陣の反応のほうが大事だ。


「うわー、カワイイー!」


「うんうん。私とマナの希望を両方とも叶えちゃうなんて、さすがカイル様です!」


「カイルくん、マメだよねー……。いや、確かに規格外の勇者だわ」


『能力も万能ですけれど、何よりも気遣いが万能ですわね。ほんと、人間ができてますわ』


「きゃっほー!」


 俺の横を抜けて、マナがばたばた走っていく。


「マナ! 一人で行ったら危ないですよ!」


 これを、後ろからセシリアが追った。

 そして、階段手前でマナを確保。抱き上げながら、振り返る。


「一緒に行きましょう、カイル様!」


「ああ、行こう!」


 俺は彼女と並んで、水の階段へと足を下ろした。

 ガラスが鳴るような、澄んだ音がする。

 穴を避けるように、河は流れている。

 壁面は水族館の水槽みたいに見えて、とても綺麗だ。


「凄い……。水の中が、こんなふうに見えるなんて……」


「ほわわー」


 セシリアとマナが感激している。

 ぐるり、360度のパノラマだ。透明度の高い、生まれたばかりの河は遠くまで見通すことができる。

 いつまでも眺めていたい光景だけど、


「急げ。いつ魔王の気が変わるか分からない。

途中で放り出されたいか?」


 後ろから急かしてくる悪魔がいるので、先を急ぐことにする。

 ひたすら下っていくと、ようやく川底が見えた。

 レイル河って深いんだなあ。

 そして、底を抜けてさらに下へ。

 周囲から水底の光景が消え……今度は頭上が一面、青く流れる河の光景に変わる。

 すげえ、やっぱり幻想的だ。


「ほえー」


 マナは、セシリアに抱っこされているのをいいことに、ずーっと見上げっぱなし。

 セシリアや、他の英雄姫たちはそれどころではなくなったみたいだ。


「この空間中に、気配が満ちています。

カイル様、気をつけて下さい。ここは既に……」


「ああ。なんか、俺にも分かる」


 どこまでも下っていく階段。

 天井と足下以外は、全て闇に閉ざされている。

 だけど、その闇の中に何者が潜んでいるのかがよく分かるのだ。

 濃厚な何者かの気配。

 間違いなく、この気配こそが……。


『よくぞ来ました。勇者カイルよ』


 穏やかな感じの、女性の声が響き渡った。

 闇の中に、真っ青なドレスを身につけた、青い髪の女性が浮かび上がる。


「あんた……いや、あなたが魔王レヴィアタンか」


『ええ。私がレヴィアタンです。本体は、ガーデンを維持するための礎となっています。だから、この私はレヴィアタンが割いた意識の欠片』


「敵意は感じられません。それに、これは幻みたいなものですね」


 セシリアが警戒態勢に入らないということは、危険は無いんだろう。


『戦うつもりはありません。私にとって、人も悪魔も、皆私が生み出した子供のようなもの。私が手にかけることはありません。さあ、勇者カイルよ。私に質問をしに来たのですね』


「ああ」


 俺はレヴィアタンを見つめる。

 彼女の瞳は、澄んだ川面の色をしていた。


「この世界についてだ。

この世界では、悪魔はいるのに、なぜか天使がいない。みんな、その存在も知らないみたいだった。

これって、つまりこの世界の外側にいるのが天使ってことでいいのか?」


 レヴィアタンは瞬きをした。

 そして、目を伏せながら告げる。


『それを聞いてしまえば、あなたはただの勇者ではいられなくなるでしょう。このままならば、あなたは悪魔と戦い、多くの英雄姫を従え、人間たちに希望を与える存在のままでいられる。ですけれど真実を知れば……本当の戦いに身を投じなければならなくなるでしょう』


 彼女の幻が、スッと消えた。

 そして次の瞬間には、俺の目の前にある。


『後戻りはできない道です。それでも聞きますか?』


 俺は少しだけ考えた。

 つまりこれって、真実を知らなければ、俺は勇者のままだってことだ。

 そしてセシリアたちと悪魔退治の旅を続けらていられる。

 だけど、俺がこっちに来たのって真実を知るためだしな。

 ダンタリオンたちが、ポロポロ世界の真実みたいなのを漏らすから、気になって仕方ない。


「誤魔化されたまま生きるのは、ちょっともう無理っぽいからな。

それに、最終的にこの世界で起きてることが解決できたら、英雄姫を解放できるかもしれないだろ?」


「カイル様……!」


「カイルくん、そんなこと考えてたんだ……!」


『人間ができてますわねえ』


 俺の言葉を聞いて、レヴィアタンは深く頷いた。


『あなたの気持ちはよく分かりました。あなたがこの世界に呼ばれたことそのものが、永遠に続くかと思われたこの世界が変わるべき切っ掛けなのでしょう』


 レヴィアタンの手が、俺の手に触れた。


『真実を告げましょう、勇者カイル。そしてあなたはこれより、真の戦いへ赴くことになります』

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