第25話 『銀世界を恨む日』
「――いつかまた帰って来てね? 事前に報告してくれたら、同じ部屋を空けておくわよ?」
依頼の性質上、長旅になりそうだということで、かなりの間お世話になった宿屋に別れを告げることになった。
遂に、愛着の出始めていたこの王都を離れる時が来たのだ。
それが一人なら、また孤独に新しい人間関係を築いていかなければならないと憂鬱になっていただろうが――。
「ええ。その時にはまたお世話にならさせてもらうわね」
今は――この少女が俺の側に居てくれている。
この子さえ居れば、他はどうだって良い。彼女と一緒なら、どこにだって行ける気がしていた。
「トオルくん、気をつけるんだよ? 最近は良い話をあまり聞かないから……」
「はい。ご心配ありがとうございます、イザベラさん。次に会った時は何かしらのお土産を持って来ようと思いますんで、期待しておいてください」
「まあ。それは申し訳ないけど、なんだか嬉しいわね」
そしてイザベラさんは最後に、「自分の体は大切にね?」と忠告してくれた。
俺がぶっ倒れたことは完全に知られているので、それに対して釘を刺してくれているのだろう。
だからと言って引き留めたりしないのは、この宿が冒険者向けの施設だからなのか。
冒険者は、拠点を変えることなどザラにある職業。そんな者達の仕事を邪魔することなどしてはならないと思ってくれているに違いない。
「――そうだぞトオル! 冒険者の仕事なんてしないでもっとこの宿にいたって、皆文句なんて言わないぞ! どうやらティアナもトオルを気に入ったみたいだしな!」
「ええまあ、そうしたいのは山々なんですが……」
そんな気遣いに感謝していると、アロイスさんが早速台無しにして来た。
誘惑に負けてしまいそうになるので、ちょっと空気を読んで欲しい。
「とまあ、本当はそう言いたい所なんだが、そうもいかないことはちゃんと知っているぞ。――達者でな、トオル」
アロイスさんは冗談っぽくそう言ってから、俺の肩をいつもの倍くらいの強さで叩いた。
そして俺が「いたっ!」とその威力に怯んでいる内に、右隣にいるフィーネをチラッと見て、「達者でな」ともう一度言った。
「ちょっとあなた。そんな力で叩いちゃ、トオルは直ぐに倒れちゃうんだからやめてちょうだい」
「……え。ああ、すまんすまん。こればっかりはどうしようもないんだ」
フィーネが肩を痛めた俺とアロイスさんの間に割り込んで、威嚇めいた発言をした。
俺が守られている側である。どうしてこうなったんだろうか。
「ごめんね、うちの旦那はいつもこうだから……。二人とも、元気でね。良い旅を願っているわ」
「はい。ありがとうございます。――では、さようなら。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
最後の挨拶を終え、後ろ髪を引かれながら外へと続くドアに向かう。新世界への一歩のような感覚だ。
荷物は全部フィーネ(の魔道具)に預けているので、殆ど手ぶらである。
とてもこれから旅に出る装備とは思えないなと、苦笑しながらドアを開けると――、
「――雪だ」
路上に白いものが積もっていた。
加えてパラパラと俺の肩に結晶が落ちてきている。
俺が宿に帰ってきた時は降っていなかったので、俺達が昨日寝付いてからずっと降り続いていたのだろう。
今は一年で最も寒い季節だと聞くので、降雪も珍しく無い。しかしこの世界に来てから初めての雪なので、感慨深いものがある。
「なんだか昔を思い出すわ……」
「昔?」
「アールヴヘイムは北の方にあるから、ここより雪が降る日が多かったのよ。……だから、ちょっとね」
「へえ……そうなんだ」
フィーネが郷愁に駆られて、物憂げな表情をする。あまり弱い所を見せない彼女もまた、寂しさを感じるのだろうか。
もしそうだとしたら、俺がそこに寄り添って寂しさを感じさせなかったら良いのにな、なんて願ってしまう。
「――う、さぶっ」
と、びゅんと音を立てた一陣の風が俺の肌を撫でた。
そのあまりの肌寒さに身震いをすると、それを見兼ねたフィーネが「これで少しはマシなんじゃないかしら」と言って、俺の右腕に抱きついてきた。
「……いつもいつも、いきなり過ぎじゃないんですか、フィーネ」
ローブ越しに柔らかい感触が当たっている。それを鋼鉄より硬い意志でなんとか感じないように努めるので必死だ。
いつも俺は、本能が彼女ともっと触れたいと叫ぶのをなんとか理性で征服しているのだが、そんな俺の努力を彼女自身の手で水の泡にするきらいがあるので、嬉しさ半分困惑半分といった塩梅だ。
こうなってしまった場合は俺が拒絶しても中々離してくれないことは知っているので、素直に諦める。
両方の意味で俺の体が火照って寒さが緩和されたので、彼女の可愛らしいお節介は効果があったことになるのだろう。
「――ん?」
髪に付いた雪を左手で振り払いながらギルドへの道を歩いていると、何やら二人の男が争っている現場が見えた。
どうやら片方の男は腕を振り上げて何かを叫んでいる様だ。
「この無能がッ! 払った分の金を返すくらいの仕事くらいしろ! 産まれて来たこと自体間違いだった、人間の底辺が!」
「申し訳ございません、申し訳ございません……」
「フン、こんの、こんの!」
膝を付いた男の顔面に、腕を振り上げたもう一人の男が拳をぶつけ始める。鈍い音が王都の道に鳴り響いた。
争っているというのは――否。一方的な暴力行為だった。
「ッ、止めないと!」
「――トオル、あの男の首を見てみなさい」
「首……? チョーカーみたいなの付けてるけど、それで? そんなことよりも早く助けなきゃならんだろ」
俺がその暴力行為の合間に割り込もうとすると、フィーネが俺の腕に力を込めたせいで前進が中断された。もしや――、
「あの人、奴隷なのか? だから、殴られても抵抗してないってことか……?」
「そうよ……現実は、あんなものなの。でも、残念な事にこの国の法律で主の特権が認められているのよ。……だから、あれには干渉しない方が良いわ」
「――。そうだとしても、んなこと放って置けるわけねえだろ……!」
フィーネなら直ぐ止めに入ると思っていたのに、消極的な意見を述べられて困惑する。
だから、そんな助力が期待出来そうにないフィーネの腕を振り払い、「あっ」という声を無視して殴り続けている男に近づき、
「おい! 王都の路上で何やってるだ!?」
奴隷制度などというものが存在する時点で、肝心の奴隷も当たり前のように存在することは知っていた。
しかし、珍しいのか今までこの王都で奴隷など見た事が無かった。
なので
「あ? なんか用か?」
「用も何も、今直ぐにその暴力行為を止めろ」
「は? こいつは俺の奴隷だぞ? テメェに文句を言われる筋合いはねぇよ」
俺の警告に聞く耳などさらさら持つ気の無さそうな若い男が、さも当然のようにそう言う。
なら、脅しも必要かと思い、
「止めなければ、迷惑行為だとして神聖騎士団に通報するぞ?」
「ハン、喧嘩売ってんのか? 調子に、乗ってん、じゃ、ねえ!!」
頭に血が上ったのか、右拳を俺に対しても突き出して来た。
脊髄反射で暴力に訴える人間はダサい。俺より年齢は上だろうに、成熟しきれていない証拠である。
「――――」
しかし――遅い。加えて、踏み込みも体幹もフラついて甘い。
俺は余裕を持って体を右側にズラし、反転しながら右足首の裏で男の右足を蹴る。
「――ぅおっ!」
そのまま前のめりになった男が突き出している右腕を左手で掴み、勢いを利用して地面に投げ飛ばす。
『体落とし』の要領。
柔道の技の一つが綺麗に決まる。
ゴンッと男の背中が地面にぶつかる音を聞いて、なんだか晴れやかな気分になってしまった。
これは、感謝されているだろう。そう期待して殴られていた男に振り向いたのだが――、
「――――ぇ」
思わず絶句する。なにせ、
『余計なことはするな』
殴られて腫れた目の鋭い眼孔を見るだけで、暗にそう伝えようとしているのが理解出来たからだ。
目の前のこの奴隷の男は、俺にお礼をするどころか敵意まで抱いている。
――良かれと思ってしたことなのに、この男にとっては俺がしたことはマイナスに捉えられてしまっているようだ。
「な、中々やるじゃねえか……! チッ、お前に構ってらんねえ! お、おら、行くぞ!」
「はい。分かりました、主様」
膝立ちの男に主様と呼ばれた男が蹴りを入れて歩き出す。結局、男はそれに文句さえ言わずに追随して行った。
「――――」
取り残された俺は、今見た光景に黙るしか出来ない。
動いていないとだんだんと腕に蓄積していく雪が、今の俺を煽っているようで酷く心地が悪かった。
「トオル。理由がどうであれ、暴力はあまり関心しないわよ。――ほら、行きましょう」
「……フィーネ」
目の前の少女に伝えたい事があったので、彼女の肩を両手で掴み、少量の困惑に染まる青い目を真っ直ぐに見つめる。
真面目な話をする時の体勢になったのを察したフィーネが、「な、何かしら?」と言ったのを確認してから――、
「――今の契約を解除する方法を、絶対に探し出そう……な?」
あの男と、目の前の少女の姿を重ねてしまう。
ああは言ったが、初日俺が彼女にした仕打ちはあの男がやっていた事と大差なかった。人権を侵害した意味では、同じだ。
ということは少しでも歯車がズレていたら、彼女があんな目に遭っていた――否、俺が遭わせていた場合すらあったのだ。そんなこと、許せる筈が無い。
でも何故かそんな俺を赦してくれそうな彼女に、得体の知れない不安を感じてしまったから、
「フィーネ……ごめん、こんな俺でも許してくれるか?」
こういうのは、謝罪の言葉よりもお礼の方が受け取る側としては嬉しいと聞くが、どうしても罪に対する言葉がお礼だというのは筋違いに思えてしまう。
するとフィーネは白い息を吐き出してから、やっとその桃色の口を開いて、
「私、トオルのそういう所、とても好きよ」
「……っ、いや。こんな所を好きになってもらいたくない」
俺の中の当たり前の事が、この世界の当たり前とズレていると言うだけで好感を持たれるだなんて間違っている。――いや、間違っているのはこの世界の方かも知れない。
「ああ、もう! ほら、行こうフィーネ」
彼女から好き、というフレーズを聞いただけで銀世界の中で俺の顔が赤くなってしまっている。
それに対して自己嫌悪に陥りながら、俺はギルドへ向かった。
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