第7話  『協定』




「――なるほど」


 やっと、裏表紙に到着した。

 入門編にしてはかなり――というか馬鹿みたいに長かった。数時間掛かったのではなかろうか。

 しかし、所々フィーネが本だけだと分かりにくい所を色々補足して説明してくれたお陰で、すんなりと内容が理解できたのはフィーネ様々と言える。まじ感謝。


 して、この本に書かれていた内容を要約すると、即ち、


 曰く、古代エズラ帝国から分裂に内紛を重ね、ロージャス神聖王国が成立した。

 曰く、ロージャス神聖王国は封建国家であり、従来は事実上の世襲制だったが、現在は選挙君主制である。

 曰く、現国王ハインケル二世は、七つの『選定侯』によって西のバンケルク王国の王族の血統から選ばれた。

 曰く、ロージャス王はアルスミス教の守護者である。その為、女神が勇者を選択する『神託』を授かる権利を有する。


 とのこと。


 つまり、あの勇者達は公式に国から選ばれたってわけか。国家公務員じゃん、要するに。きっと定時で帰れるんだろうな。


「これでこの国の歴史は大体分かったんじゃないかしら。――じゃあ、次はこれね。トオルにはエルフの事を知ってもらいたいの」

 

 そんな事を考えていると、フィーネがいつの間にか手に取ってきた本を渡してきた。

 見ればその本はさっきの本よりも薄いし、少し古びている。


「題名は……『カルセイユ協定とエルフの関係』か。よく分からんが、エルフってことは、フィーネの出身地の……あーるぷなんちゃらと関係あるってことか?」


「アールヴヘイムよ。まあ、読んでみたら分かると思うわ」


 そう言って、またもや彼女は俺に体をくっつけてくる。

 しかし、フィーネが全く緊張していないのを見ると、なんだか無駄に緊張しているこっちが馬鹿馬鹿しく感じてきたので、もう動悸は収まっている。気がする。


 そして、少し不意打ちに慣れたお陰か、震えがマシになった手で俺はその一ページ目を開いた――。



 △▼△▼△▼△



 嘗て、『狂気王』と呼ばれる支配者がいた。


 酒池肉林。邪智暴虐。傍若無人。そんな言葉が似合う者だった。


 王国民は重税に喘ぐ事しか出来ず、圧政に対して反抗することは許されなかった。


 欲望というものに限度は無い。『狂気王』は私腹を肥やすために、更なる権益を得るために他国への侵略政策を開始する。


 帝国暦一○三七年。『狂気王』の野望は留まることを知らず、長年堅実な関係を保ってきたハイエルフが治める国、アールヴヘイム共和国にまでその足を伸ばす。

 『狂気王』はそこから産出する希少な鉱石であるミスリルの採掘権を求めたからである。


 そこに住まうエルフ達は突然の軍の来襲に困惑し、激怒した。そして、己達の尊厳を守るために彼等は抵抗した。

 その一方的な侵略戦争は熾烈を極めた。戦況は泥沼化し、互いに何を目的で戦っているのかさえ分からなくなっていった。


 『狂気王』に諫言する者、戦争に反対する者は、全て王の名において粛正された。

 誰も、彼の暴走は止められないかと思われた。


 しかし、ある日。『狂気王』は謎の死を遂げる。


 戦争の指導者たる王を失った軍は戦う理由を無くし、引き揚げを検討され、可決された。

 その筈が、直前で一人の神聖騎士がアールヴヘイム共和国の当代統領を討ち取ってしまう。


 その為、神聖王国は講和会議を有利に進め、平和条約『カルセイユ協定』を締結する。


 エルフ達はミスリルの採掘権と神聖王国の傘下に入る事を認める一方、移民の受け入れと採掘権以外の干渉を拒否する条件を出した。そして、神聖王国はそれに合意した。


 よってその戦争は書類上、神聖王国の勝利となった。


 しかし、世襲に値する後継者が粛正され過ぎた為、神聖王国は混乱の時代に陥る。


 死して尚、『狂気王』が残した禍根は計り知れなかった。



 △▼△▼△▼△



 ……ふむ。


 つまり、この王様は満州事変での関東軍と、ソ連みたいなことを一気に纏めてやってしまったということか。それだけで滅茶苦茶暴君ってことが分かる。


「しっかし、酷い書かれようだな……。仮にも自国の王だろ。書いた人、首チョンパなんじゃね?」


「――重税。無理な動員。王権の没落。諸侯乱立。周辺国との関係の悪化。……この王の治世が最悪だったというのは、王国民の共通認識よ。それに、その頃の政治の酷さを際立たせて比較させた方が、支持を得られるから今の王にとっては都合が良いのよ。だから、過去の王を批判する文献が多い訳よ」


「なるほど……そんな理由で」


「この戦争で神聖王国が得られた利益は、ミスリルの採掘権くらいね。それがこの国が潤っている理由の一つとはなっているけれど、私は被った損害の方が多いと思っているわ」


「……俺もそう思う」


「特にこの出来事は、エルフ達の間では『カルセイユの屈辱』と、そう呼ばれているわ。誇り高いエルフは、人間の軍門に降ることを忌み嫌ったの。今は自治領という形に変えて独立した政治を行っているけれど、人間に屈したという事実は捻じ曲げられないからよ。だから、未だに長命なエルフ達は人間を恨んでいる。……皆、そうだったわね」


 そう締め括った後、フィーネは儚げな表情になった。

 そんな顔を見たのは……一回どこかであった気がする。

 どんな表情でも綺麗なのは変わりないのだが、あまりフィーネにはして欲しくない表情だ。彼女には笑顔の方が似合っているし、それが一番好きだ。


 そんな俺の好みの問題の話はさて置き、エルフはプライドが高い、という説明は腹落ちする。実際、目の前にいるエルフさんがそうなのだから疑いようがなかった。

 そんなほんの少し失礼な事を考えていると、フィーネが「それに」と付け足して、


「『悪戯したら狂気王がやって来る』という諺も生まれた程よ。……私も、小さい時にお母様からよく言われていたわ」


「そんな事まで教えちゃって良いのか。フィーネ」


 これでもか、と言うくらいに予備知識まで披露してくれた。

 フィーネの小さい頃の写真とか有れば是非見てみたい。絶対にキュン死するレベルの可愛さだと予想。

 この世界にまだ写真技術が確立していないのが残念過ぎる。俺が作っちゃおうかな。原理分からんけど。


 そんなことより、やはり、俺が思っている以上にフィーネは博識だった。否、博識という表現すら過小評価かもしれない。彼女と一緒に居るというだけで賢くなれそうである。

 というより、


「結構デリケートそうだから、聞いて良いのか分からないけど……フィーネも人間を恨んでたりするのか?」


 人間というだけで一括りにされて、身に覚えの無い逆恨みをされるのは嫌だ。……いやまあ、俺自身は嫌われてはいないという自信はあるけれども。

 すると、フィーネは「私?」と一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔になって、


「私は……生まれる前の話だから、余り気にしてないわ。それに、もしそうだとしたらこんな所に居ないわよ」


「ああ、まあそうだよな。なんか安心した」


 予想通り、寛容で優しいフィーネだったので安堵の息を漏らす。

 しかし、江戸幕府もビックリな鎖国体制を築いている所からやってきたフィーネってのは何者なんだ一体。

 まあフィーネには色々事情があるみたいだし、この疑問は彼女が話す気になった時に解消することにしよう。

 そう思って、


「あー質問ばっかりで悪いんだけど、今って帝国暦何年?」


「――。大丈夫よ、驚かないって決めたから。……今は丁度千百年よ」


「となると、大体六十三年前ってところか。割と最近だな」


 もう彼女には俺が無知過ぎることは完全にバレてしまっているので、恥も外聞も無い質問を投げかけられる。

 こんな風に心置きなく気になることを聞ける存在がいる内に、どんどん知識の穴は埋めたい所だ。

 すると、いきなりフィーネは驚いた顔になって、


「トオル、算術も出来るのね。……本当にあなたには興味が尽きないわ」


「いやいや、引き算しただけでそんなに驚く?」


 義務教育レベルの教養で褒められたらなんだかむず痒い。好きな子に見直されて悪い気分はしないのだが……なんか違う。

 周りの教育レベルが低くなったら相対的な評価は上がるかもしれないが、絶対的な人間としての価値は一切変わってないのだ。これで慢心なぞはしたくない。


 しかし彼女は「ええ、凄いわよ」とはにかんだ後、「そう言えば」とハッと思い出した顔になって、


「トオルって、初対面の時から私がエルフってことに気付いていたわよね。今の時代だと、文献くらいにしかエルフの存在は記録されていない筈だけど……字が読めると言うなら、存在を知っている事には納得したわ。――でも、どうやって見抜いたのかしら?」


「……? そんなの簡単だろ。耳を見りゃ一目瞭然」


 己の丸い両耳を引っ張って伸ばす仕草をし、彼女の長く尖った笹穂耳との違いを強調させる。

 そんな俺の行動を見たフィーネは、「そうだったわね……」と軽く右耳を触り、


「人間とエルフの違いなんて、それくらいしか無いものね。……でも、普通の人ならそんなエルフと人間の違いにすら気付かないわよ。そもそも、エルフの存在を知っている人すら稀ね」


「……こんなに可愛くて、耳が尖ってりゃ誰でもエルフって気付けると思うけどな」


 聞こえるか聞こえないくらいかの音量でそう呟く。どうやらこの世界の住民は不届き者が多いらしい。

 すると、フィーネが耳から手を戻して、


「トオル。他にも知らない事があったら何でも教えてあげるわ。遠慮無く聞いてちょうだい」


「じゃあお言葉に甘えて……と言いたいところだけど」


 視界をフィーネから図書館の窓に移動させる。そこから出ている日差しの向きが、ここに来た時の位置から九十度曲がっていた。

 つまり――、


「腹が減った」


 本に熱中し過ぎて、昼飯すら食べるを忘れてしまったことを、今更ながらに気付いてしまったのだ。


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