第19話 『惨烈で悲劇的で残酷で』




「……なんだ、これ」


 その光景は『凄惨』の一言で片付けられるようなものではなかった。

 

 あの穴に入ってから数歩もせずに、その光景は俺の脳裏に深く刻み込んだ。


 ――それは、縄のようなものに繋がれている、人間の女性達の姿だった。


 彼女らは服と表現していいのか迷うような布切れを最低限しか着せられておらず、その体は土やら糞尿やらで酷く汚れていた。


 阿鼻叫喚。否、もう泣き叫ぶ気力も残っていなさそうなので、その表現の仕方は間違っているかもしれない。

 その女性達の目は完全に――死んでいる。希望が、見えていない。絶望を受け入れ、ただ終わりを待っている。

 そんな、どうしようもない感情に支配されているのが一目で分かった。


 ――さらに、その半数以上の女性のお腹が、妙に膨れていた。

 肥満、というわけでも無いだろう。全身はひどく痩せ細っているというのに、そこだけに脂肪が貯まるはずがない。ということはつまり――。


「――――」


 俺が固まっている隣で、フィーネリアは口を固く閉じて、その目を背けたくなるような、むごい状態の彼女らに近づいていく。


「ごめんね」



 ――誰に対して、放った言葉だったのだろうか。



 俺がそのことの理解に苦しんでいる間に、彼女はそのお腹が膨れている女性にゆっくり手を当てる。そしてその手に魔力が集まっていき――何かをした。


「――――」


 間違いない。

 生命が、途切れる音がした。まだ、光を見ず、この世にとき離れていない生命が、死んだ。


 彼女が壊したのは恐らく――未発達の魔石。


 俺が絶句していると、その女性のお腹が萎んでいき、恐らく元の大きさであっただろう形に戻る。

 中にいたモノが母体と調和したのだろうか。心なしか彼女自身が放つ魔力が増えたような気配がした。


 異物の排除の成功を確認した彼女は水と光の精霊を呼び出し、女性を光に包みながら水で必要な処置を施していく。


「――――」


 それを終えた後、そのまま腹部に宿っている生命を次々と、それもとても器用に、その中身だけを殺していく。


 ――当たり前だ。それを放置していると、それは世に出て、成長して、確実に悪事を働く。

 なら、その芽は先に摘まなければならない。そこに情けなど必要ない。


 彼女は、そんな当然の事をしているだけだ。


「――っ」


 この世界は俺が夢想していたものより、遥かに無慈悲で、不条理で、残酷だ。その現実を、当たり前のように突きつけられた。


「……俺も、何かしないと」


 彼女がこの悲惨な光景に怯まず、彼女らを救おうとしているというのに。俺が何もしていないでどうする。


 それで思い付いたのは、まずは彼女らの手を縛っている縄から解放させることだった。そう決めて一番近いところにいた女性に近づく。


「……ひ、ぁ」


 俺が刀を引き抜き一つ目の縄を切ろうとすると、どこからかとても乾いた声が聞こえた。


 ――それを発したのは年端もいかない、少女だった。

 そう判断できたのは、絶望に染まっているその顔には、まだあどけなさが残っているのがかろうじて分かったからだ。


「――――」


 きっと天真爛漫だったに違いない少女が、こんな顔をしている。してしまっている。

 それを思うと、胸がやるせない気持ちで一杯になった。


 既に起こってしまったことなのに。もう、俺がどうこうすることも出来ないのにも関わらずに。もう、防ぐ手立ても無いはずなのに――とても、胸糞が悪い。


 そんな感傷を抱くと同時に、あの化け物に対する深い憎しみを覚えた。胸の中に、悪を、全て蹂躙したいと望む感情が芽生えてくる。


「……だめだ」


 この破壊衝動は、危険だ。これに身を任せてしまうと、全てが台無しになる自信があった。第六感でそう感じた。だからそれをなんとか抑えつけた。

 落ち着け。今はこの彼女達の安全の確保だ。


「――――」


 俺は黙って刀で縄を切る。それが終わったら次の人の縄も切る。てきぱきと。作業のように。できるだけ何も考えないようにして。



「う、うぁ、っ……ああ、ああああぁッッ!」


 それは、突然起きた。


 最後の縄に縛られている人を解放したところで、獣人であろう女の人が発狂し出した。

 そのまま手に備わっている爪を使って、己の体を掻き毟りだす。


「――ライ!」


 俺がその自傷行為にどう対応しようかと狼狽ていると、フィーネリアが焦った顔でそう叫ぶ。

 彼女の呼び声に呼応して紫の光の玉が出現した瞬間、薄い魔力がその人に入り込んでいくのを感じた。


 するとさっきまでの様子が嘘だったかのように暴れ出した女性が大人しくなり、地面にへたり込む。

 精神を操る魔法だと、一目で理解した。



「――――」


 場は、静まり返った。


 発狂した者が出たというのに、他の女性達はそのことに無関心のようだ。虚な目のまま、固まっている。……まあ、他に発狂し出す人が出ないということなのでこれはプラスに捉えよう。


 というより、また彼女がなんとかして見せた。彼女は凄いし、優しいし、頼もしいし――強い。


「全員、運び出すわよ」


「……分かった」


 全ての処置を終えたフィーネリアが、先導してそう提案する。悲しいことに俺は二つ返事で頷く事しかできなかった。


 すると、二つの足音が近づいてくるのを聞き取った。


「おーい、どこ行ったんだ? ――ッ!」


 クラウスさんだ。それと、後ろにもう一人いる。……ああ、エルナと呼ばれていた女の人だ。意識が戻ったことに安心する。

 そんなクラウスさんは俺達の姿を目に入れたと思うと、彼女達の惨状を見て言葉を失っている。まあ、それも仕方ないと思う。

 俺も未だに、平常心を保てていないのだから――。


「……あの、クラウスさん、彼女達を運び出すのを手伝ってくれませんか?」


 彼女らはへたり込んだまま動こうとしない。これは他者の助けが必要だ。無理矢理歩かせようとしたら、また発狂する者が出るかもしれない。


「……ああ、分かった。勿論手伝おう」


「ありがとうございます」


「いや、恩人に礼を言われる自体おこがましいし……何より、こんな状況なら当たり前のことだ」


 クラウスさんはそんな頼もしいことを言ってくれた。やっぱり男前は違うな。


 そんな感想を抱く程に、俺は平常心を取り戻しつつあった。

 

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