第14話 『未知との闘い』




 まるで俺達を誘っているかのように逃げるゴブリンを追いかけていると、足元にあった木の枝が踏みつけられ、パキッと割れる音を出した。

 その乾いた断末魔が、森に木霊した。


 ――それが、合図になったのだろう。


「やっぱり、罠だよな」


 左右の草むらから各々粗末な武器を持ったゴブリンがぞろぞろと顔を出してくる。

 その数、およそ十匹といったところか。今までずっと逃げ続けていたゴブリンもこちらに振り返り、喜悦に顔を歪ませている。

 やはり、という気持ちが強い。予測が現実になった気分だ。


『釣り野伏せ』


 囮となる部隊が敵を十分に引き付けたところで、主力が挟撃するという元の世界でも猛威を奮った高度な戦術だ。

 こんな戦術的な行動を取るのに最弱ランクとか、他の魔物はどれだけ強いのだろう。そんなことさえ思う。

 

「いけるか?」


「この程度で怖気付くとでも? 舐めないで欲しいわ」


 彼女に是非を問うと、楽勝とのことらしい。それが虚勢でないことを祈る。

 まあ完全に嵌められたわけだが、こいつがいたらなんとかしてくれそうだな。


 俺の方も腰に掛けていた鞘から刀を引き抜き、両手でしっかり握る。この刀にとっては初めての出番だ。まるであるべき所に戻ったかのように手に馴染む。

 今から起こるであろう戦いを想像して緊張する。心なしか刀を持つ手に汗が滲み出てるのが分かる。


 当のゴブリン達は、まるで舐めるかのように下卑れた視線をフィーネリアに浴びせている。

 恐らく、自分達の子孫を繁栄させるなら誰とでも、と言った感じだろうか。その理性の欠片もない心意気に、生理的な不快感を覚える。

 だが、なんだかんだいって彼女――フィーネリアは俺の奴隷だ。そんな姿は見たくないし、させない。


「――ギギギッ! ギョエッッ!」


 男の俺には用は無い、ということなんだろう。俺から一番近いところにいたゴブリンが手にした棍棒を振り上げて跳びかかってきた。


 迎撃しなくてはと思い、刀を振り上げようとする――が、体が思ったように動かない。 


 手が、刀を持つ手が、震えていた。


 ――は?


 俺を殺すために手に取られた棍棒。生まれて初めて向けられた明確な殺意。

 それらは俺の意識外で、容赦なく俺を震え上がらせていた。


 ――ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――。


 迎撃しないとマズいことになると頭では分かっているのだが、まるで油を失った機械のように体が硬直してビクともしない。

 脳が必死に過去の経験を引っ張り出し、この状況を打破しようと試みているが、解決策は見出せない。


 そんな俺の事情を考慮せずに、目前までに迫った涎で顔を汚し、歪んだ表情になっているソイツは今にも俺を殺さんと棍棒を振り落とそうとしている。

 それがはっきりと分かるほど、俺の感覚は研ぎ澄まされていた。だが、体が動かなければ意味がない。

 決闘の時はこんなことにはならなかった。恐らく、相手が氷の塊という無機物だったからだろう。――今の俺には、生き物を殺す覚悟が無い。それがはっきりと身に染みて分かる。


 現実逃避のためかそんなことを考えていたが、最早タイムリミットはすぐそこのようだった。


 ――ああ、俺、死ぬのか。


 折角、第二の生を与えられたというのに、なんとも呆気ない。もっと生きたかった。討伐依頼なんて危険なもの受けなかった方が良かった。異世界に来たからといって調子に乗っていたのがダメだった。


 そんな最期の後悔の念を抱いた直後、ソイツの棍棒が俺の頭をかち割らんとして――、



 ――爆散した。



 緑色の液体がソイツの頭部から拡散して、俺の頬にへばりつく。

 頭部を失ったソイツモノは、主を失ったせいで断末魔さえ出す暇なく倒れ伏した。


 ――――は?


 死んだ。

 死んでいる。

 何で? 

 殺された。

 誰に?

 分からない。

 何が起きた?


 突如として現れた理解出来ない光景に頭が混乱する。答えの出ない自問自答が、凄まじい速さで俺の脳内を埋め尽くしていく。


「――何ボーッと突っ立ったってるのよ! 死ぬわよ!」


 が、その叱咤の声に思考を中断され、現実に連れ戻された。


 ――フィーネリアに助けられた。それを理解するのに数秒掛かる。そしてその事実を確認し、状況を冷静に飲み込んで把握する。


 だが、冷静になり過ぎた。


 あまりに無残な亡骸を前に、堪えきれない嘔吐感が込み上げる。見てはいけない『ナカミ』が、見えてしまっている。

 そのグロテスクな惨劇は、死体とは無縁の環境で生まれ育った俺にとっては刺激が強すぎた。


「う、うぶ……っ……ぉ、げぇっ」


 その逆流を防ぐ術はなく、敵のど真ん中だというのに消化を心待ちにしていたモノを地面に吐き出す。

 あれだけ大口を叩いたのに、なんと情けないことなんだろう。


「――っ!? ちょっと!! あなたっ、大丈夫!?」


 誰かが俺を呼ぶ声がする。


 そうだ、今俺は命を狙われている。

 できるだけゴブリンの死体を見ないようにして、嘔吐感を無理矢理抑え付け、立ち上がろうとするが――叶わない。


「えぼ……げほっ……」


 もう胃の中身は全て出し尽くしたというのに、俺の脳はまだ嘔吐の命令を止めない。遂には胃の中にあったであろう妙に酸っぱい液体だけが、地面にばら撒かれる。


 その地獄が、延々と、延々と、続いて、続いて、続き続けて――。



「――――」

 

 何度えずいた後だろうか。優しく背中をさすられる感触を感じた。

 妙に温かみを感じるそれは、不思議なことに荒んでいた俺の心を安らげた。


「……落ち着いたかしら?」

 

 フィーネリアだ。心配そうな顔で俺を見ている。


 ……いやいや何をやっているんだ俺は。女の子にこんな顔をさせるなんて、俺の薄っぺらいプライドが傷つくじゃないか。さっさとこの状況から抜け出さなければ。


 ――ハッ、そうだ。他のゴブリンは、どうなったのだろうか。こんなことをしている暇なんて無いだろうに。


「――――」


 そう思って顔を上げて周りを見渡せば、いたはずのゴブリン達は全て駆逐されていた。それも、全てがあまりにも無残な有様で――。


「うぷっ……」


「ああっ、ちょっと、見ちゃダメよ!」


 再び嘔吐感が込み上げてくる寸前で、彼女に頭を抱き抱えられた。ローブ越しに二つの柔らかみを感じると共に、視界がブラックアウトする。


 口にへばりついていた嘔吐物が、彼女の白い服を汚してしまう。

 とても申し訳ない。そう感じる心を俺も持ち合わせていた。

 

「まったく、こんなことで音をあげるんじゃないわよ……」


 だが、彼女はそれを気にした様子を見せない。

 多少の刺々しさは含まれているが、その声には隠し切れない慈悲に満ちていた。

 ゴブリンのものとは似ても似つかない心地の良い綺麗な声色でそう宥められ、優しく背中を撫でられた。


 ――酷い、酷過ぎる。こんなはずじゃなかったのに。立場が逆転した気分だ。情けないし、とても恥ずかしい。

 これじゃ、男としての矜持が全部台無しじゃないか……。


 だけど――なんだかとても安心する。


 完全にダメなところを見られていて、それでいて優しく丁寧に俺を受け止めてくれている彼女に、その優しさに、抱擁に、ずっと溺れていたいと感じた。


 ……ふぅ、もの凄く落ち着いた。俺の目が正しければ、彼女には聖母の才能があると思う。


「……悪い、ありがとな。落ち着いた」


「そ、そう。無理しなくてもいいのよ?」


「いや、お前のお陰でもう大丈夫だ」


 これ以上こうしていると俺のプライドがゴリゴリ削られて無くなってしまいそうなので、そろそろ離してもらうことにする。

 ちょっぴり名残惜しいと感じるのは何故なんだろうか。……悪い傾向だというのだけは分かるけど。


 そして、俺の言葉を聞いた彼女は安堵した表情で離してくれた。


「――っ」


 初めて見せてくれた、その溢れんばかりの慈愛が込められている表情を見て、胸にじわりとざわつきが生じるのを感じた。

 何なんだこれは……。まあ、今はそんなことはどうでもいい。次はこんなことにならないように気をつけなくては。

 そう意気込んでいると――、


「――!」


 フィーネリアの背後から、死んでいるはずのゴブリンが棍棒を持って飛びかかって来ているのが目に入った。

 殺し損ねたのだろう。頭から血を流しているが、命の灯火は消えきれていないようだった。


 声を出していないせいで、彼女がそれに気付いている様子はない。彼女はずっと俺の方を向いたままだ。生きている筈が無いと思い込んでいるのか、油断している。


「うしろ――」


 ダメだ、呼びかけてもこれでは間に合わない。


 ――ならば、俺がやるしか無い。


 瞬時にそう判断し、地面に置いていた刀を真っ直ぐに持ち直して剣先をそのゴブリンに向ける。先程とは違い、自然と体が動く。

 そしてそのゴブリンは地面を蹴った時に生じた慣性を制御し切れずに、頭から刀へと吸い込まれていった。


 不快な断末魔と共に緑の鮮血が飛び散る。二回目なので、感じる吐き気は大分マシだった。

 そしてソイツは柄の部分まで滑っていった所で暫し痙攣した後、動きが止まった。


「――――」


 俺の手でコイツを殺した。その事実を把握する。だが不思議と、心は落ち着いている。

 寧ろ、何の感慨も無い自分に寒気を感じた。初めて人型の生命の略奪を、したというのに。


 相手が、害しかない生き物だからか?


「……ごめんなさい、まさかまだ生きているとは思わなかったわ……えっと、また吐いたりしないわよね?」


「……当たり前だ。心配しなくていい」


 彼女が憂慮してそう問いかけてくれるが、先程のような吐き気は催さない。

 というより、俺としては彼女には自分自身の心配をして欲しい。

 危うく攻撃を受けるところだったというのに――。



 こうして俺の初めての戦闘は、やけに後味の悪いものになった。

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