第8話 噂の魔剣士 5

「境界軍の砦は、界門山て岩山のそばにあるの」


 お昼すぎの賑やかな大通りを歩きながら、サクラは言った。


 国の外れにある界門山までは、とても歩ける距離ではない。そこで境界軍は砦まで直通の鉄道を敷いたのだ。基本は軍の施設なのだが、兵士の家族の利用が想定されるため、運賃さえ払えば一般人でも利用できるようになっていた。


 現在、その駅へ向っている途中であった。


 駅に着くと、サクラは切符を買うために窓口へ向かった。ふとライセの運賃をどうするか悩んだが、「大人の幽霊一枚」なんて言う訳にはいかない。自分の分だけにする。


 ライセに言われて持っていた、サクラの腰の剣に気付いた係員の男性が声をかけてきた。


「軍所属の方なら、所属証を改札口で提示してください」


「あ、違います!所属してません」


 サクラは全身で否定した。余りの全力ぶりに係員は苦笑いする。


「見習いの方ですか?運賃は一般の方と同じになります」


 サクラは切符を手に入れると、汽車に乗り込んだ。道中の景色は森や草原ばかりで何もない。当たり前だ。異形の鬼が出現する界門山の近くである。万一を考えて、そこに何かを作ろうと考える者が現れなかったのだ。


 汽車に乗っている時間は三十分程であった。


 駅を出ると、見上げるほどの大きな岩山が目に入る。界門山だ。その麓に城壁を連想させるような背の高い防壁と、大きな砦が併設されていた。


 敷地の中では複数の兵士が訓練を行っている。


 ここまできて、ライセは自分の作戦の失敗に気付いた。よくよく考えたら、軍隊が例え訓練とはいえ、一般人を参加させるなんて有り得ない。当初の目的の半分は、ひとまず諦める。


 サクラは門番のところに駆け寄ると、少し見学しても良いか確認する。門番はサクラの腰の剣に気付くと「敷地に入らなければ構わない」と了承した。


 サクラもあまり来たことがないのだろう。瞳を輝かせて楽しんでいる。見習いがこうして見学に来ることは珍しくない。門番は、ここから見える範囲の施設をサクラに案内してくれた。


「サクラ、あそこで訓練している兵士たちの実力が、どれくらいか知りたい。尋いてくれないか?」


 不意にライセが口を開いた。


 サクラは「ええー?」と内心嫌だったが、おずおずと門番の方を向いた。


「あ、えと」


 サクラは質問の言葉を選んだ。


「あそこの兵士の人たちて、スゴい訓練してるからスゴい強いんでしょうね?」


 語彙力が少なくなる。門番は笑った。


「お嬢ちゃんから見ればそうかもしれんが、あいつらはまだまだ、だ」


 だいたい中堅あたりだろうと教えてくれた。


「なるほど」


 ライセは頷くと「防壁の方も見てみよう」とサクラを誘う。サクラは門番にお礼を伝えると、ライセについてきた。


 ライセの読みどおりだとすると、入隊試験程度にサクラが躓く可能性はもう無いはずだ。早くそれを実証して、サクラを喜ばせてあげたい。そのためには、どうしても手頃な相手役が必要なのだ。


「さて、どうするか」


 ライセは次の作戦を考えなくてはならなくなった。


 途中、サクラは奇妙な蟲を見つけた。親指ほどの大きさのダンゴムシのような見た目だが、サクラは見たことがない。もちろんライセも見たことがない。


 奇妙なのは石に蟲の頭がめり込んでいたこと。まるで喰い進んでいるように見える。とはいえ、ふたりは昆虫の知識に詳しくない。これ以上この話は続かなかった。


 いつの間にか防壁の端まで歩ききり、岩山の麓にさしかかっていた。


「ライセ、戻ろう。これ以上は何もないよ」


 サクラが呼び止めた。


 ライセは「ああ」と頷くとふたりで元来た道を戻り始める。その時、背後に妙な気配を感じ、ライセは振り返った。


 異形の鬼が、そこにいた。


 咄嗟にライセは腰に手を持っていくが、丸腰である。それ以前にライセには実体がない。


 異形の鬼がサクラに向けて飛びかかる。


「サクラ!」


 ライセの切羽詰まった声が響く。その声にサクラは振り返った。眼前に異形の鬼の姿が迫る。


 サクラの思考は停止した。


 瞬間、光が煌めいたかと思うと、鬼の姿が真っ二つになり瘴気を噴き出し消滅する。


 サクラの抜刀術だ。


 直後、岩陰に潜んでいた鬼が二体姿を現わすと、同時に飛びかかってきた。サクラは二体の間を縫うようにすり抜けると、背後から斬り捨てる。


 そこでサクラは、ハッと我に返る。


「今の、私?」


 ライセの方に顔を向けると、何が起きたのかわからないような表情をする。


「話は後だ!」


 ライセの視線に促され、サクラも視線を移す。異形の鬼の集団がワラワラと現れた。数が多い!


「サクラ、代われ!」


 今のサクラではまだ荷が重い。サクラの伸ばしてきた手をとると、瞬間的に交代する。


 ここは全開だ!剣の力を解放すると、ライセの放つ斬撃から衝撃波が迸る。複数の鬼を同時に粉砕するが、敵の数が多い。この程度の敵に負ける要素は微塵もないが、倒しきるには時間がかかる。


「助太刀する!」


 突然、頭上から大声がした。


 防壁の上にひとりの兵士が現れると、そこから「トォ!」と飛び降りた。空中で防壁を蹴り、岩山の切り崩した絶壁を蹴り、地面に見事に着地する。凄まじい身体能力である。


「少女よ、よく一人で持ち堪えた。後は任せろ!」


 日に焼けた褐色の大柄な青年である。ボサボサの黒髪を無造作に後ろで束ね、鋭い眼光で鬼を睨んでいる。


 こちらの返答を待つ間もなく、男は鞘から剣を抜くと鬼の群れに飛び込んだ。途端に稲妻が迸り大量の鬼を焼き焦がしていく。


 近付く敵は薙ぎ払い、離れた敵には落雷が降り注ぐ。鬼神の如き強さである。本人の言葉通り、本当に一人で大丈夫だろう。


 ライセはフッと気が緩んだ。瞬間、サクラと入れ替わる。戻るつもりは無かったのだが、何か精神状態が影響するのかもしれない。


「あれが、魔法か」


 ライセの世界にも、過去にそういう能力があったらしい。しかし、ライセの時代には使える者はいなかった。もちろん見るのは初めてである。


 しかし、上には上がいるものだな。ライセは心底感心した。自分の身体があったとしても、勝てる自信はあまり無い。


「ムサシさまだ。初めて見た」


 サクラは信じられないと、口元を押さえる。


 ライセは「ああ!」と思い出す。確かサクラの指南書に載っていた名前だ。しかしそれ以前にも何処かで聞いたことのある名前のような気がするのだが、特に珍しい名前という訳でもない。


 ライセは深く考えるのをやめた。

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