第29話 収束
「さて……」
赤龍が、動かない優太を触れずにフワフワと運んできた。
「後始末をしなけりゃな」
そうだった。
もはや、悪霊の抜け殻ではある。
しかし、この水谷優太のしたことは、決して許されるべきことではない。
実の兄を、双子の兄を手にかけたのだから。
今は中学生だが、横断歩道で後ろから兄を突き飛ばし、死に追いやった時、優太は小学生であった。
子供とはいえ、このままにはしておけない。
「警察に通報したら悲しむのは家族だ。子を失った上に、犯罪者まで家族から出るなんて不幸はないだろう」
赤龍が、やけに同情したように言った。
確かに、あの母親にそんな苦痛を味合わせたいとは思わない。小さな弟もこれから先、一生犯罪者の家族として生きてゆかなければならないのだ。
そして、この状況。
天記の出した答えは一つだった。
「水谷、起きて」
天記が体を揺すると、紫龍の掛けた術は一瞬で解けて、優太はムクリと起き上がった。
それから、天記を見てこう言った。
「俺を殺して。これ以上母さんを苦しませたくない」
赤龍の話が耳に入っていたのだろうか、この先の未来をやけに悲観しているようだった。
「本当にごめんなさい。俺のせいでこんなことになってしまって。何もかも俺のせいだ。ずっと苦しかった。体の奥底に閉じ込められて、あいつのしてることが見えているのに、止めることができなかった」
殺すことはできない。
人間を殺めることは天御中主神との約束に反することだ。傷つけることも許されない。
だからこの問題を解決する方法は一つしかなかった。
「希々、それ貸して」
天記は縛命刃を受け取ると、迷わず自分の左手の薬指の先を切って、その赤い血を優太の口元へ持っていった。
「飲んで」
優太は受け入れるしかなかった。
それから天記は、優太の額に手を当てこう言った。
「汝の命は我のものなり 今この時から汝の死は我の手の中にある この世のどんな出来事も汝に死をもたらすことはない 我のためだけに生きよ」
天記は紫龍を見た。ゆっくりと静かにうなづいていた。
「これより汝の名は鎮守 この森と怨鬼の腕を守り鎮めていくのが使命と心得よ」
優太、いや鎮守の目から悲しみと安堵の涙がこぼれた。
双子の水谷兄弟がこの世に存在したという記録と、記憶の全てを消すのは紫龍の役目だった。
「この情報社会で、二人の人間の全てを消すってすごい大変なんじゃないの?」
インターネットやSNSに詳しい竜之介が、不思議がって聞いた。
「いやいや、ただ名前を消すだけでいいんじゃ。この世に生まれて、初めて記した時の名前をワシの力で消せば、全てが消えて無くなり、人々の記憶からもすっかり無くなる。覚えているのはワシらだけじゃ」
天記は、鎮守の首にネックレスを掛けた。
「これからよろしくね、鎮守。まず手始めに、このネックレスの中から種を出して欲しい」
まるで、初めからここにあるのが分かっていたみたいに、天記はそう言ってネックレスにぶら下がった石を指さした。
鎮守は森の中に一歩足を踏み入れると、前の鎮守と同じようにこちらを向いて立った。
両手で石を包んで目を閉じて念じる。
天記の血を取り入れて、鎮守であることの全てを引き継いだ優太は、天記との契約の通り、言われたことにはどんなことにも従う。
しばらくして両手を開くと、石の上に小さな種がひとつ乗っていた。
天記は、その種をグラウンドの土の上にまきながら言った。
「鎮守はこのまま森を隠して。俺が出てきてって言うまで、ずっと隠れてるんだ。いいね」
鎮守は言われた通りにしようと、鳥居の階段を登り始めた。しかし、少し歩いて足を止めた。
水谷の双子の兄弟は、もうこの世にはいない。優太という人物が、優太としてこの空間に現れることは二度とないのだ。
鎮守は、自身の母親が避難しているであろう体育館の方向に振り向き、じっと見つめた。
二度と会うことは許されない。涙がこぼれた。
天記はそんな鎮守の姿を見てはいたが、同情してはいけないと思った。
「早く隠れろ」
それは、主人としての命令だった。
鎮守は涙を拭い、うなずいて、次の瞬間この空間から森ごと消えた。
天記は、足元にまいた種に向かって両手をかざすと、目を閉じ念じた。
芽が出て茎が伸び、つぼみを持って花が咲いた。
すると、さっきまで青かった空にうっすらと雲がかかり、まるでお天気雨のように、太陽の光をまとった雨粒がサラサラ落ちてきた。
地上に咲いていた、怒りの種から咲いたあの赤紫色の花は、次々に消えて無くなり、すっかりグラウンドはきれいになった。
しかし、天記はそのまま念じ続けた。
花は枯れ、実を付け、種を散らした。そこで天記は目を開けた。
雨は止んだ。
潤いの種が幾つか取れた。ひとつはまた、鎮守のネックレスにしまうことにする。後の幾つかは、あちこちにまいて雨を降らせ、怒りの種で苦しんでいる人を助けるために使う。
天記がそう話すと、希々が聞いた。
「それじゃ、潤いの種があちこちに散っちゃうんじゃないの?」
「大丈夫、俺が念じなければ種はつけないから」
つづく
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