第15話 罠
長い梅雨が終わり、毎日が何事もなく過ぎて行った。
その間、部活では、三年生が中心に出場する中学総合体育大会があった。県大会まで上り詰めた大原中学校剣道部は忙しく、岳斗も天記も竜之介も、先輩のサポートや応援に一生懸命だった。
結局、三年生は県大会で団体では三位、個人では部長の塚本が、関東大会へ進むことになった。
岳斗は、学校ではなるべく、天記と肩を並べて歩くようなことはしなかった。水谷を刺激したくなかった。それと、希々の誕生日に龍神池の場所がわかるまでは、何事もなく過ごしていたかった。
唯一、学校では部活動の時にだけ、気兼ねなく話すことができる。今日も部活の後、道場の掃除当番をしながら、岳斗と天記と竜之介はとりとめのない話をしていた。
「岳斗、期末試験の結果だけど俺、数学七十二点だった。岳斗に教えてもらってなきゃ全滅だったよ。ありがと」
天記はあれから、岳斗にまるで家庭教師のように、ガッツリと数学を教えてもらっていた。
本当のところは、岳斗の方が押しかけてきて、このままじゃヤバイと、天記の尻を叩くように勉強させていたのだが。
「え!あんなにやったのに、八十点いかなかったんですか?!天記さ〜ん」
能天気な天記は、嬉しそうにしていたが、岳斗の努力は報われなかった様子で、モップをガシガシ床に押し付けて、半ギレ状態だった。
「いったい、どこ間違えたんですか!帰ったら見直しますよ!」
「岳斗、大変だね〜、天記のお世話は」
竜之介はもともと頭が良くて、今回の成績も上々だったらしくご機嫌だった。
「俺、五教科の平均九十点」
竜之介の嫌味も天記はあまり気にしていない様子で、ニコニコ。
「岳斗はどうなの?」
天記は、分かってはいたが一応聞かないと悪いかなと思って口に出してみる。
「平均点は九十四点です。もちろん、数学は得意なんで満点です」
岳斗は、そう言ってドヤ顔をした。天記と竜之介が、恐れ入りますと、深々と頭を下げてふざけた時、部活顧問が道場に顔を出した。
「早く掃除済ませて帰れよー!」
急いで片付けをしながら竜之介が、
「今回学年トップは水谷だってさ、五教科オール満点だって」
と、言うとそれを聞いた二人の動きがピタリと止まる。
「だから……、怖いって」
掃除を終え、着替えて一足先に道場を出ていた岳斗は、トイレに寄ってくるといった天記と竜之介を待っていた。
夕方六時をもうすぐ回ろうかという頃。西の空には、まだまだ沈んでなどやるものかと、まぶしいほど太陽が輝いていた。それでも昼間のような暑さは、少し引いてきた気がする。
気温が少し下がったせいか、日中は顔を見せなかったカラスが、何羽か電線の上でくつろいでいるのが見えた。
道場の玄関前で待っていた岳斗が、ふと足元を見ると、濃い赤紫色の小さな花が咲いているのを見つけた。
普段は花になど興味のない岳斗だが、なぜか気になって身をかがめ、その花に顔を近づけた。
「何て言う花かな?」
花弁が四枚の、指先くらいの小さな花は、その周辺にたった一輪だけしか咲いていない。まるで、目の前の岳斗のためだけに咲いているようだった。
岳斗は引き寄せられるように、その花を触ろうとそっと手を伸ばした。
「イタッ!」
触れた瞬間、指先に電気が走ったような衝撃を受けたかと思うと、その花は、まるで砂のように崩れて消えてしまった。
一体何が起こったのか。
気にはなったが、すぐに天記と竜之介が来て、早く帰ろうと急かすので結局そのまま帰宅した。
今日は神武館が休みだ。三人は岳斗の家で真面目にテストの見直しをしようと集まった。
七月も半ば過ぎ。梅雨も明け日中は暑い日が続いていたが、日が沈むと途端に気温がる。
岳斗の部屋は、窓を開けただけでも心地よい風が入ってきて涼しかった。
「天記さん、応用問題になるとわかんなくなっちゃうんですね」
天記の答案を見ながら、岳斗が分かり易く解説していると、何かいつもと違う、不可思議な感情が岳斗の心の中に浮かんで消えた。
胸の奥がザワザワして仕方がなかった。
「……なんで、こんなこともわかんないんだよ」
岳斗がボソッと、つぶやいた。
竜之介が聞いていたが、初めは確かにと思って、あまり気に留めていなかった。
けれど、チラリと見た岳斗の顔には、強い怒りの感情が表れていた。普段は滅多に怒ることなどない岳斗だ。多少気にはなったが、天記が、思う以上に手のかかる子だということもよく分かっていたし、岳斗の苦労は大変だろうと、労いの気持ちさえ湧いてきた。
少し気分を変えようと、竜之介が小さく開いていた窓を全開にした。涼しい風とともに、チシャが窓から入ってきて、軽やかに飛んで部屋の中央に着地した。
「皆んな、そろってるわね」
こんなふうにチシャが言う時は、決まって何かある時だ。
突然話し出したものだから、三人はパッと部屋の中央に集まり、丸くなって座った。それから、天記が小さな声で紫龍と赤龍を呼び出した。
「怨鬼が動き出してる。カラスたちが話してるのを聞いたのよ」
チシャは動物の言葉がわかる。猫はもちろんだが、犬やネズミ、その他にも大概の動物の言葉は理解できた。自分自身が他の言葉を話すことはできないのだが、『聞き耳』を立てることができるのだ。
「怨鬼のねらいは、やっぱり自分の右腕よ。隠されてる場所も知ってる。鎮守の森を探してるのよ。どうやら、森をおびき出そうとしてるみたい。」
チシャがそう言うと、紫龍が何かに気づいたように話だした。
「ここのところ、新聞に奇妙な記事が続けて載っておったが、何か関係があるのかもしれん」
紫龍が最近ハマっているもの。
テレビでもなく、動画でもなく、新聞。なぜ?とは思うが、紫龍曰く、活字が好きということだった。
今日ではなく、必要のなくなった次の日に読む。当日の物が無くなれば、家族が不審がるに決まっている。なので、天記が決まって次の日の朝、昨日の新聞を二階の自分の部屋へ運んでは紫龍に渡していた。
新聞の意味を成しているのかは定かではないが、紫龍は毎日、昨日の新聞を嬉しそうに読んでいた。
「奇妙な殺傷事件が起こっていてな」
それは、確かにおかしな事件だった。
それまで親密だった者同士が突然争い、急に人が変わったようになり、相手を傷つけてしまう。
仲の良い親子であったり、兄弟であったり、恋人であったり、夫婦であったり、親友であったり。
そのどれもに、なぜか争うような理由が見当たらない。怨鬼が何らかの手段で怒りをあおり、鎮守の森を誘き出そうとしているのなら、つじつまが合う。
天記の血を必要としている鎮守自身が心配だと、赤龍が言った。
「天記の血がなければ、鎮守の力は薄れて、このままでは森を隠してていることが困難になる。もしくは、それが怨鬼のねらいかもしれない」
赤龍の予想はおおよそ合っているのだろうと、そこにいる誰もが思っていた。
「その時が来たら、右腕を奪いにくるってこと?」
竜之介がそう言いながら、気味が悪そうに自分の右腕をさすった。
「でも、右腕は潤いの種がなきゃ取り出せないはずじゃ……」
天記がそういうと、その通りだと紫龍が言った。そもそも、潤いの種の在処は鎮守しか知らない。
「ひとまず、森を守ることの方が大切よ。岳斗あれを持ってきて、皮の手帳」
チシャには、何か考えがあるのだろうと、岳斗は、地下室へ茶色の皮の手帳を取りに行った。それは、ナギが岳斗と天記のために残した覚え書きだ。
戻ってくると、チシャはいつの間にか人の姿になっていて、勝手に岳斗の服をクローゼットから出して来ているではないか。
「岳斗、背ぇ伸びたのね。なんだかブカブカ」
そして、天記も竜之介もなぜか顔を赤くしてうつむいていた。
岳斗が皮の手帳を渡すと、チシャはペラペラとページをめくって、何かを探しているようだった。そして目当ての場所を見つけると、皆が丸くなって座っている床の中央に開いて、その場所を指先でトントンと軽く叩いてみせた。
「ここ」
そこには、
鎮守 …… 引き継ぐ者が目覚めたのち その血を与えよ
と、書いてある。前にも見た。
「うん、だから天記の血を与えなきゃいけないんだろう?」
岳斗がそう言うと、チシャが片手を違うというように顔の前で振った。
「何が違うの?」
竜之介がちょっと恥ずかしそうにチシャを見ながら聞く。
「引き継ぐ者って誰?天記?ならどうして天記って書かないの?」
もし、天記が鎮守を引き継ぐ者だったとしたら、どうして、天記が龍神の力に目覚めた去年の誕生日の後、すぐに姿を現さなかったのか。
「つまり、天記じゃないってこと?」
チシャがニヤリと笑った。
「鎮守は誰の前に現れたんだっけ?」
チシャの問いに皆で一斉に答えた。
「希々!」
つづく
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