第27話 流山雅道の後悔【知佳視点】


「辰馬の母ちゃんも梓川さんと同じで車椅子に乗っててさ」


 それは知っている。


 だって昔、辰馬のお母さんが車椅子に乗っているのを見かけたことがあるから。


「でも、そんなこと感じさせないくらい元気で明るい人で、よく『私が車椅子に乗っていることで、辰馬に特別な苦労をかけたくないんです』って俺の母ちゃんに話してるのを聞いたことがあるんだ」


 そっか、と私は一人で納得する。


 優しいお母さんから生まれてきたのだから、どおりで辰馬も優しいわけだ。


「辰馬もそんな母ちゃんが大好きで……あ、辰馬がマザコンってわけじゃないんだけど」


 流山くんの表情が曇った。声のトーンも下がる。


「でもなんつーか、辰馬が小学校四年のとき、そんな母ちゃんが死んじゃって」


 死んだ、という響きが知佳の身体に重くのしかかる。


 そう、だったのか。


 だから辰馬はお母さんの話を一向にしてくれなかったんだ。つまり辰馬も私と同じ経験を……いや、私の方がもっと……だな。


「原因は辰馬の母ちゃんの運転ミス。そのあと辰馬、『俺が原因なんだ!』ってものすごく後悔してて。事故の直前に喧嘩したらしいんだよね。『俺が母さんのせいでどんなに苦労してるかしらないだろ! 母さんが普通の人ならよかった!』って、言っちゃったらしいんだ」


 なんか辰馬の悪口言ってるみたいであれだな、と流山くんはバツが悪そうにしている。

 

 辰馬が優しいから、彼の周りにはこうやって優しい人たちが集まってくるのだろうか。


 流山くんに、愛奈萌に、雅さん。


 じゃあ私は?


 優しい人なわけないか。


 だって私はみんなに……。


「辰馬は、母ちゃんがショックを受けて運転中にボーっとしちゃって事故を起こしたって本気で思ってる。あの日、仲直りのためにお母さんが必死で作ってくれた最後の料理を食べられなかったこと、謝れなかったことをすごく後悔してるとも言ってた」


 その言葉を聞いた瞬間、私はお兄ちゃんのことを思い出していた。と同時に私も、辰馬みたいに純粋な後悔をしたかったなと思った。


 もし仮にそうだったなら、私はこの足を動かすことができたままだったのだろうか。


「俺はさ、辰馬が母ちゃんのことでからかわれてるのを、子供のころからずっと見てきたんだ。でも辰馬は、そんなときはいつも決まって笑いながら『うるせぇ』なんて返してた。だから辰馬がそれで傷ついてたなんて知らなくて、俺は友達なのになにもしなくて」


 ああ、子供のころから辰馬は本当に強かったんだ。


「って俺の後悔はどうでもいいか。まあ要するに……辰馬は母ちゃんが死んでからずっと閉じこもってるっていうか、後悔してるっていうか、心から笑ってる瞬間ってのを見たことないっていうか……」


 流山くんがぎゅっとこぶしを握り締める。


「でもだからこそ! 俺は辰馬が梓川さんを彼女に選んだことが嬉しいんだ。梓川さんなら、辰馬の世界をカラフルに色づけることができる。だって彼女って、好きな人と付き合っていろんなことを経験できるって、すげー楽しいことだと思うから」


 自分でもなにが言いたかったのかわからなくなってきたわ、と流山くんは苦笑いを浮かべて。


「とにかく俺が言いたかったのは、辰馬がすげーいいやつなんだってことと、辰馬を彼氏に選んでくれてありがとうってこと。ほんとに辰馬はいいやつだから。すげーいいやつだから。絶対に梓川さんを幸せにする。この俺が保証する。命かけるから!」


 流山くんは背筋をピンと伸ばして、きちっと指先まで力を入れて気をつけの姿勢をとった後、謝罪のときよりもさらに深く頭を下げた。


「だから、これからも辰馬のこと、よろしくお願いします」


 んじゃ、と流山くんはどこか恥ずかしそうにしながら去っていった。


 ……とまあ、そんなことが昨日あって、私は友達にとまで言わせた辰馬により一層の好印象を得たと同時に、こんなことも思ってしまったのだ。


 ――辰馬にとって私は、なのかもしれない。


 私がこれまで感じていた、言いようのない不安が、きちんとした言葉になった瞬間だった。


「知佳ごめんごめん! 遅くなっちゃって」


 昨日感じた胸の痛みを思い出していると、前から明るい声から聞こえてきた。顔を上げると、愛奈萌が大きく手を振りながらこっちに走ってきている姿が見えた。


「いやー、ほんとごめんね。待った?」

「ううん。私が早く着きすぎただけだから」


 まだ待ち合わせ時間の五分前だ。


 愛奈萌は遅刻してきたわけではない。


「そう言ってくれてありがと。んじゃ、さっそく行こっか」

「うん」


 愛奈萌とともにデパートへ向けて歩き出す。辰馬のことを考えるだけで胸が締め付けられるけれど、今日一日は愛奈萌とのお出かけを全力で楽しもう! と、なんとか心を切り替えた。

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