第8話 元天才子役現る!

 昼休みももうすぐ終了。


 教室へ戻るため、知佳の車椅子を押しながら廊下を歩いていると、


「あ。君たちが、いま噂のカップルだ」


 前から歩いてきた女の子に話しかけられた。制服はチャラく着崩されており、スカートもかなり短い。髪も艶やかな茶色に染まっている。しかしただのヤンキーというわけではなく、立ち姿には一般人とは一線を画す華があった。雑誌に載っているモデルを見ているかのように、オーラみたいなものを感じた。


「なに二人してぼうっとしてんの? うける」


 一人で腹を抱えて笑い出す茶髪女。


 なぜだろう。


 初めて話すはずなのに、その声をどこかで聞いたことがある気がする。


 彼女の顔を知っている気がする。


 名前だって、もう少し頑張れば思い出せそうな……。


「あ、あなた……」


 知佳がはっと目を見開いてから口を手で押さえた。


「もしかして、実里愛奈萌みのりまなもさん?」

「正解!」


 彼女はピンと人差し指を立て、


「私もまだまだ捨てたもんじゃないねー」


 と嬉しそうにはにかんだ。


「えっ、あの実里愛奈萌?」


 俺は気がつけば驚嘆の声を上げていた。


 だってそうだろ?


 実里愛奈萌という人間は、俺たちの年代のスーパースターだから。


 彼女は子役時代に、数々のドラマや映画に出演を果たし、その清楚な可愛らしさで一躍時の人になっている。


「そうでーす。私が実里愛奈萌ちゃんでーす」


 頬に人差し指を添え、きゃぴん! とウインクする実里愛奈萌。


「……嘘だろ。あの実里愛奈萌が、こんな身近にいるなんて」


 知らなかった。


 確かに、彼女のことをここ最近テレビで見る機会はなかったよ。


 でもそんな彼女が、まさかこんな変貌を遂げて同じ学校にいたなんて。


 まあ多少……いやかなり風貌が変わってはいるが、その目元なんかは昔の面影を感じられなくもない。


「ってかさっきから君さ、って失礼じゃない? 私、ぜんぜん過去の人じゃないんだけど」


 不機嫌そうに眉を顰める実里愛奈萌。


「あ、そうだよね。ごめん」


 指摘はごもっともだと、俺は頭を下げて素直に謝る。


「いや別に、そんなマジで謝られても」

「でも、デリカシーのない発言だった」

「だから別にいいって。実際、もう事務所もやめて芸能人じゃなくなってるし」


 彼女はそう言うが、一度言及したということは、過去の人扱いされることを本心ではよく思っていないということだろう。


「見た目も、まああのときとはちょっと変わってるから、実里愛奈萌が過去の人ってのも否定できないしさ」


 ちょっとじゃなくてかなりだろ! と心の中でツッコむ。


 だって、彼女がテレビに出ていたときは、礼儀正しく、爽やかで、清楚で、誰からも好かれるような人間だった。


 それがいまではまあ……どこからどう見てもヤンキーだ。


「あ、いまちょっとじゃなくてかなりだろって思ったでしょ! 整形したって思ったでしょ!」

「いや、整形とまでは思ってないよ」

「じゃあかなり変わったとは思ったんじゃん」

「それは……」


 こいつ意外と頭いいのかも。


 子供とはいえ、芸能界を生き抜いていただけのことはある。


「でもま、いいよ、別に。そういう風に私を見ても」


 窓の外に視線を向けた実里愛奈萌は遠い目をしていた。


「みんないまの私を見たら、驚いてと同じような反応するし」


 哀愁漂うその姿に思わず見惚れる。

 やはり腐っても元子役だ。


 でも……え?


 あなたいま俺の名前言わなかった?


「実里さん? いま、俺のこと辰馬って。どうして名前を」

「あれ? 間違ってた?」

「いいや、辰馬であってるけど」


 俺が言いたかったのはそういうことじゃなくて。


「俺の名前、知ってたんだなって」


 俺は実里愛奈萌がこの学校にいることを知らなかった。なので当然、これまで彼女と話したことはない。俺の方がかつて芸能人だった実里愛奈萌のことを知っていることはあっても、彼女が一般人の俺の名前を知っているはずがないのだ。


「それはね、君たちが仲よさそうに名前で呼び合ってたのを聞いたからだよ。それに君たち、いまこの学校のちょっとした有名人じゃん」


 実里愛奈萌は、頭の後ろで腕を組みながらそう言った。


 有名人。


 そりゃそうか。


 足の不自由な子と付き合ってる、心の広い男がいるって噂されているのは紛れもない事実だ。


「まあ、確かにな」

「でしょー? だから私、あなたたちのこと、すごーく尊敬してるんだ」


 実里愛奈萌が俺にぐっと近寄ってきたため、彼女の胸が俺の身体に当たった。ふわりと漂ってきた甘い匂いは香水だろうか。流石に元芸能人だけあって、顔はすごく整っていて綺麗だ。


「そ、それは、どうも」


 そう言いながら、彼女の蠱惑的な瞳や唇から目を逸らす。


 俺、顔赤くなってないよね?


 ってか意外と胸あるんですね。


「謙遜しないでいいよー。だって辰馬、学年一位でしょ? ダントツで頭もよくて、梓川さんを彼女に選ぶくらい人のことを平等に扱ってて、すごくいい人って感じがする」

「ど、どうも」


 こんなにべた褒めされるなんて思わなかった。


 芸能界という特殊な環境にいた実里愛奈萌ですら、梓川さんのことを知らぬ間に特別扱いしているんだなと思うと、悲しくなった。


「あ、いまの別に梓川さんが普通の人より下って意味で言ったんじゃないよ」


 彼女の言葉に俺は目を丸くする。


 実里愛奈萌は、今度は知佳の方を向いて、


「ただほら、普通じゃない生き方をしないといけないわけじゃん。梓川さんは足が動かないから」

「私にとっては普通だけど」


 知佳が遠慮がちにうなずき、自分の足をさすった。


「そりゃそうだけどさ、一般論だよ一般論。私も昔は芸能人として、足が動かない事実には及ばないかもしれないけど普通ではなかったわけだよ。だから勝手に親近感っていうか、梓川さんにこうして素敵な彼氏っつーの? 普通の幸せがやってきたってのが嬉しくて。今日はそれを伝えようと思ったの。ただそれだけ。んじゃ!」


 彼女は胸の前で手をひらひらと振りながら去って行こうとして、


「あ、ちなみに私の本名、渋野しぶの愛奈萌だから」

「え? 渋野?」


 俺が聞き返すと、彼女は苦笑いを浮かべた。


「そ。なんかその名字が私のイメージにそぐわないって、芸名で活動してたの。渋いって字がなんか違ったんだってさ」


 今度こそ、んじゃ!


 実里愛奈萌じゃなくて渋野愛奈萌は、駆け足で廊下を進み、その先の階段を駆け上がっていった。


「台風みたいな人だったね」

「だな。明るいというか、せわしないというか……でも」


 俺は彼女が上っていった階段を見ながら続ける。


「見た目ほど悪くないっていうか、すげー優しい人なんだろうなって思ったよ」


 きっと渋野は芸能界という荒波の中で、俺たちが知ることすら叶わない濃密な時間を過ごし、その中であの優しさを身につけたのだろう。


 知佳のことを、他のクラスメイトとは違う視点で見てくれたし。


「それに、やっぱり芸能人だっただけあって、美人だったね」


 知佳にそう言われて、先ほど至近距離で見た彼女の顔が鮮明によみがってきた。あと胸の感触も。


「ま、まあそうだな」


 俺は知佳に真っ赤になっている顔を見られるのが恥ずかしくて、俺は顔をそらした。

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