126話 逃げる 2


 ポチは片膝をついた状態のまま、カイトへ話しかけた。


「主人あるじ様……申し訳ありません。私は今、この者を屠る事は難しいかと思われます」

「え!? な、なんで!?」


 期待していた相手から聞かされた、衝撃の一言。それに対して反射的に訊く。


「私は言わば、主人あるじ様の魔力塊……しかし、主人あるじ様の魔力が“0”となり供給が絶たれた今、私に残されたのは、ただこの形を保つ程度の魔力……」

「そ……そんな……」


 ポチは落ち着いた口調でそう伝える。


「攻撃の術すべは無いとも言い切れません。しかし、主人あるじ様とリティア様の身の安全が確立されていない今、それを用いる事は勧められません」


 すると、ポチは聖騎士長の体を抑えている手を離し、左の方向へ指を刺した。

 その瞬間に聖騎士長の歯が、彼の腕にさらに深く食い込む。出血し、血が流れるように地へ落ちていく。


「あちらへまっすぐお逃げください。他の者がこちらへ向かっているはずです。その者に救助を」


 彼の指差した方向は、木々の隙間が道のように続いていた。月明かりが出た今なら、問題なく走れそうだ。


「ポ……ポチは!? ポチはどうするの!?」

「私はこの者を足止めします。屠れずとも、この身を盾とする事は出来ましょう」


 ポチを置いて行くことを躊躇っているカイト。すると、ポチの睨みつけるような鋭い目が カイトへ向けられた。


「主人あるじ様、お早く」

「……っ」


 その視線にびくりと震えるが、意を決したカイトは言葉を失っているリティアの手を掴み、立ち上がった。


「お姉ちゃん! 行くよ!」


 リティアの手を引き、ポチに言われた方向へ走り出す。視界の端にポチと聖騎士長が消えていった。


「ね、ねえ! ポチさんはどうするの!?」


 ポチの身を案ずるリティアの声が届いた。それに、顔を向けずに答える。


「大丈夫! きっとポチは……」


 しかし、その言葉を遮るように2人のすぐ横の木へ何かが激突した。


「わっ!?」

「きゃ!?」


 その木は音を立てて倒れる。目を向けると、その折れた木の根本にはポチが倒れていた。


「ポ、ポチ!?」

「失態を……申し訳ありません」


 ゆっくりと体を起こすポチ。その落ち着いた口調とは裏腹に、体は傷だらけだ。聖騎士長に噛み付かせていた腕は、部分的に食いちぎられているようにも見える。


 ポチの鋭い視線の先には、なにかを咀嚼しながらこちらへ歩み寄る聖騎士長の姿。


「私を軽々と投げ飛ばした上に、この威力……この者……見かけによらず、腕力も相当のものですね」

「そ、それよりも大丈夫なの!?」


 見るからに満身創痍のポチに、思わず駆け寄ろうとするカイト。しかし、ポチに静止させられる。


「今は逃げることだけお考えを」


 立ち上がったポチは、聖騎士長へ向かって歩き出す。


「私は、主人あるじ様とリティア様がご無事ならば……それで良よいのです」


 そう呟くように言うポチの後ろ姿。歯を食いしばり、振り向いて再び走り出す。


「絶対に死なないでよ!」

「ポ……ポチさん! 頑張って!」


 カイトとリティアはそう叫び、その場から離れた。



 どのくらい走っただろうか。

 辺りを照らしていた月はすっかり見えなくなり、空は明るくなり始めていた。

 そんな中、森の中をひたすらまっすぐ走っている。


「はぁ……はぁ……ごめんね……少し休ませて……」


 リティアの足取りが重くなり、ついに止まってしまった。カイトは身体強化をかけている故に、常人と比べると疲れにくい。

 しかし、リティアが身体強化など出来るはずがない。それに加え、蓄積された疲労を考えればよく持った方だ。


 体を休めるために、近くの木の影へと隠れる2人。

 呼吸を落ち着かせようとするリティアの背をさすりながら、カイトは走ってきた方向へ目を向ける。


「……ポチ……」


 あれから、ポチと聖騎士長の姿は見えていない。

 まだ戦っているのか……それとも……。


「っ!!」


 その時だった。

 すぐ近くから、地面を踏み締める音が聞こえてきた。


「お姉ちゃん……シッ……」


 まだ呼吸が整っていないリティアへ指示を出す。リティアはとっさに口を押さえるが、とても苦しそうだ。


 足音と思われる音は、近づいているようにも遠のいているようにも聞こえ、緊張が走る。


「ぅ……ふっ……うぅ……」


 必死に押さえているリティアの口から、苦しそうな声が漏れてしまった。

 それと同時に、それに気が付いたかのように足音が、先程と違って確実に近づいて来る。


「……っ」


 この足音はどっち……?

 ポチならば問題はない。それどころか喜ばしいことだ。


 しかし、もし聖騎士長だったら?


 今は手持ちの武器など無い。相手は不死身と言っても過言では無い。

 それに先程発覚した、ポチのような成人男性をも軽々と投げ飛ばす腕力。


 身体強化だけで対抗できるだろうか?


 単純な力勝負ならば、負けないかもしれない。しかし、そんなことに確信など持てない。


 足音はもうすぐそこだ。覚悟を決めるしか無い。

 気の影から、拳を握りしめてその足音の人物が姿を見せるのを待つ。

 足音は木のすぐ向こう側。尋常じゃないほどの心拍数。拳に力が入る。


 そして、ついにその足音の人物が木の裏から姿を現した。



「誰かいるかい!?」

「ぇ……?」



 その声は聞き覚えのあるものだった。

 かつて手合わせをし、自分と同じ地球から転生したと言っていた男性……。


「コウさん!!」

「わっ!?」


 その人物がコウだと判明したと同時に、カイトは彼に飛びついた。

 すぐにハッと我に帰る。


「ごっごめんなさい……」

「いや、大丈夫だよ。それより、事情は聞いたけどよく頑張ったね。俺が来たから、もう大丈夫だよ」


 カイトの頭を撫で、そう伝えるコウ。

 その言葉に安堵するカイトだが、別の疑問がうまれる。


「あの……なんでコウさんがここに?」

「ご両親から君の捜索を頼まれたんだよ。無事に見つけられてよかった」

「そうなんですか……」


 自分の親が自分のために行動してくれた。当たり前といえば当たり前だが、そんな経験の無いカイトにとって、これほど嬉しい事はない。


「……あれ? でも、どうして僕たちの居場所が分かったんですか?」


 再び疑問が生まれる。

 ポチは『召喚主と召喚獣』と言う間柄から、自分の居場所が分かるのもなんとなくうなずける。

 しかし、コウはそんな関係ではない。ここにいるのも、なにか理由があるのか……。


「……道標みちしるべがあったからね」

「道標……?」

「ほら、あれだよ」


 彼の指を刺す方向を目を凝らして見る。

 そこには、赤い斑点が一直線状に続いていた。


「え……もしかして……」

「うん、『血』だよ」


 それは、今自分たちが進んでいる方向へまっすぐ滴っている血液だった。


「俺はこの血を頼りにここまで来たんだ。夜の間は見失わないようにするのに、骨が折れたけどね」


 彼をここまで連れて来るため、自らの血を道標とし導いた。

 つまりその血の持ち主は、彼より早くここに来たということ。


 そして、その人物は1人しかいない。


「ポチ……」


 駆けつけた彼の足はすでに流血していた。それは、道標をつけるため自ら傷をつけたのだろう。


 その姿が脳裏によぎると同時に、現在のポチの危機的状況を思い出す。

 自分が助けに入ったところで、足手纏いにしかならない。しかし、今目の前にコウなら……。


「コウさん! お願いがあります!」

「な、なんだい?」

「僕たちを逃すために、ポチが戦っているんです! 助けてください! こっちで……!?」


 コウの手を引き、来た道を引き返そうとするカイト。

 しかし、掴んだコウの手に引き止められ、その足が止まる。振り返り、彼の顔を見たカイトは固まった。


「コウ……さん?」

「ねぇ、カイト君。ポチって……君が召喚したブラック・ワイバーンだよね?」


 その雰囲気は先程と明らかに違う。 

 以前、彼から前世の話を切り出される直前の時と同じ。

 目を離せない。説明できない恐怖心を感じる。


「そ……そう、です……召喚獣……」

「……そっか」


 コウはため息をつき、鋭い目線をカイトへ向け言った。



「悪いけど、その召喚獣は助けられない」



 その言葉は、すぐに理解はできなかった。


「……え?」

「ほら、行くよ。いつまでもここにはいられない」


 コウは、理解できずに固まっているカイトの手を引き、リティアの方へ歩き出す。


「ちょ……ちょっと待ってください!」


 我に帰ったカイトは、その手を振り払い身構えた。


「どうしてですか!? ポチは僕達のために戦ってくれているんです!」


 すると、コウの目がさらに鋭くなった。


「……ミフネから色々聞いたんだけどね。僕はそのポチって言う召喚獣は、危険だと思うんだ」

「なっ……」


 一刻を争う事態に、カイトの気持ちは焦る。


「……ど、どうしてですか!? ポチは……」

「元のブラック・ワイバーンの実力があるのは前提。そして、人並みの知能を持つ……」

「……」

「それに、その召喚獣は君が使える魔術や魔法まで、使えるらしいじゃないか」

「……!」


 ポチと初めて会話した時ミフネと、同じことを言っている。ポチの味方ではない。

 そう思うと、無意識のうちに拳を握りしめていた。

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