第9話 海底終着駅

 僕のとなえた天の恵みディバイン・グレイスで、アビーの偽物にせものだった姿から本来の姿を取り戻した1人の少女。

 その子はよく日に焼けた褐色かっしょくの肌で、勝ち気そうな髪の短い女の子だった。

 年は10歳くらいだろうか。


「チクショウ! 放せ!」


 彼女はジェネットに押さえつけられて身動きが取れずにいたけれど、それでも目に涙をためて僕らをにらみ付けてくる。

 薄手の涼しそうな麻布の服の上に皮の胴当てという服装からして、この女の子も海賊かいぞくの子供なんじゃないだろうか。

 ジェネットは少し意外そうな顔で女の子を見下ろした。


「てっきりカイル本人が化けているかと思いましたが……」

「あ、あんな奴と一緒にするな! 放せコンチクショウ!」


 女の子は見た目にたがわず、負けん気の強い口調でそう言う。

 さっきの身のこなしといい、この荒い気性といい、海賊かいぞくの娘だけあって普通の10歳の女の子とは違う。


「あなたもカイルにとらわれた海賊かいぞくの子ですね?」


 女の子は歯を食い縛り、無言を貫いて抵抗の意を示す。

 僕はそんな彼女のすぐそばに降り立った。


「さっき君と同じ海賊かいぞくの人たちを元の姿に戻したよ。今のところ皆、無事だ。君のことも助けたい」


 僕の言葉に女の子はハッとしてこちらを見上げる。


「お、弟達は無事なのか?」


 弟たち?

 その言葉に僕はハッとした。

 そうか……さっきの子供たちはこの子の弟たちなんだな。

 ジェネットは女の子の体をあらため、他に武器が隠されていないのを確認すると、そっと彼女を解放した。


「私たちが通って来た通路に皆、倒れていますが、無事ですよ。私たちがカイルを倒します。だからあなたももうあんな男のために働かなくてもいいのです」

 

 ようやく体の自由を得て起き上がった海賊かいぞくの少女はわずかに安堵あんどの表情を見せたけれど、その表情はすぐにくもる。


「無理だ。アイツはあたしらの海賊かいぞく団をたった1人で滅ぼしたんだぞ。100人以上いたあたしの仲間たちはアイツに一撃も与えることが出来ないまま全滅したんだ」

「たった1人で100人以上の海賊かいぞくを? あのカイルという男はそれほどの実力者なのですか」


 ジェネットの言葉に女の子は首を横に振った。


「強いというか……アイツはまるで実体のない蜃気楼しんきろうみたいだった。あたしらの船の上に充満した霧の中にアイツが現れた途端とたん、あたしの仲間たちが次々と倒れていったんだ」


 そう言うと女の子は悔しそうにくちびるむ。


「仲間たちはあたしを小舟で逃がそうとしてくれたけど、なぜか船の外に出ようとしても見えない壁みたいなもんに邪魔されて逃げられなかった」


 その言葉に僕とジェネットは顔を見合わせた。

 多分それはカイルの魔術だろう。

 ジェネットも僕と同意見だった。


「相手を外部に逃さないための魔術結界のようなものでしょう。それからどうなったのですか?」

「すぐに……息が苦しくなって頭がフラフラして何も見えなくなった。気付いたらこの船の中でアイツに捕まってたんだ。チクショウ」


 女の子は無念を吐き出す様にそう言うとうなだれた。

 辛い思いをしたんだね。


「呼吸が苦しくなって頭がフラフラするというのは典型的な酸素不足です。もしかしたらカイルは結界内部の酸素濃度を自在に操って相手を窒息ちっそくさせる魔術を使うのかもしれません」

「ってことは……今この状態も危なくない? ここに閉じ込められて酸素を奪われたら……」


 僕は思わず息を飲む。


「確かにその危険性は考えておくべきですが、もしカイルがそれをやろうとするならば、すでにそうしているはずです。この状況まで私たちを生かしておいたということは、私たちをゲームオーバーに追い込むことはしたくないのでしょう。なぜなら仮にゲームオーバーになった場合……」

「そうか。僕らのプログラムが特別措置で神様の元に戻されるかもしれないと考えているってことだね」

「ええ。公平性を考えれば私たちも他の全NPCと同様に審査を受けるべきですが、カイルは我が主の手腕を警戒したのかもしれません」


 ジェネットがそう言ったその時だった。

 ふいに潜水艇にドンッと衝撃が走ったんだ。

 そしてズズズと何かを引きずるような音と振動が響いてきた。

 何事かと顔を見合わせる僕らの耳に聞こえてきたのは、例によってカイルの船内放送だ。


『海底に到着した。気分はいかがかな? 乗客の諸君』


 海底?

 そうか。

 さっきの音と衝撃は船体が海底にぶつかったせいだな。


『さて、あまりに唐突ですまないが、海中の旅はここが終着駅だ。諸君らにはこの水深200メートルの海の底でご歓談いただこうか。永遠にな。おおそうだ。一つ言い忘れた。この潜水艇は内側から壊そうとすれば仕掛けた爆薬が炸裂し、木っ端微塵こっぱみじんになる。おろかな真似まねつつしむことだな』


 その言葉を最後にカイルの船内放送はプツリと途切れた。

 終着駅?

 永遠に?

 どういうことだ?


 僕らが困惑していると、それまでゴウンゴウンと低くうなっていた潜水艇の駆動音がパタッと途絶とだえ、通路を照らしていた赤っぽい照明がふいに消えた。

 周囲が薄闇うすやみに包まれ、通路の先の突き当たりに設置してある非常灯の明かりだけが辺りを頼りなく照らし出している。

 僕は困惑して周囲を見回した。


「ど、どうなってるんだ?」

「どうやらエンジンが停止したようですね。非常電源以外の機能がオフになったのかもしれません」


 そう言うジェネットの顔に疑念の色が浮かんでいる。


「あのカイルという男、私たちを確実に仕留めるつもりならば、もうとっくに襲ってくるはずですが……」


 確かにそうだ。

 さっきジェネットは偽者にせものアビーに化けていたのはカイルだと思ったらしいけれど、実際には違った。

 このせまい船内に僕らを誘い込んだ割には、カイルは積極的に僕らを襲ってこようとはしない。

 なぜなんだ?

 カイルの目的が分からずに戸惑とまどう僕の前で、ジェネットの表情が疑念から確信のそれに変わっていく。


「……もしかしたら、私たちをここに釘付くぎづけにしておくことが彼の本当の目的なのかもしれません」


 そうか。

 そう考えると消極的な態度にも納得がいく。

 でも、僕らをここに閉じ込めてどうしようというのだろう。


「アル様。おそらくもう……あるいは最初からアナリンはこの船内にはいません。どこか別の場所へ王を連れ去ってしまったでしょう」

「そ、そういうことか。アナリンが逃げるための時間かせぎをするのがカイルの役目だったんだ」

「ええ。とにかくここから脱出しなければなりませんが……」


 そう言うとジェネットは自分のメイン・システムを起動して顔をしかめた。


「やはり……外部との通信が遮断しゃだんされています」


 そう来たか。

 僕も自分のメイン・システムを起動してみたけれど、神様との連絡も取れなければ、この姿からログアウトして王都に戻ることも出来なかった。


「さっきまでは神様とやり取り出来たのに……」

「おそらくカイルは先ほど姿を消してから、何らかの方法でこの船に結界のようなものを張り巡らせたのかもしれません。海賊かいぞくたちを時間かせぎに使ったのは、アナリンの逃亡を手助けするためと、結界生成のための二重の意味があったのでしょう」


 そう言うとジェネットは海賊かいぞくの女の子に声をかける。


「私たちはこれから操舵室そうだしつに向かいます。とにかくこの船を海上に浮上させなければなりません。あなたも一緒に来て下さい」

「イヤだ。あたしは弟たちのところへ行く」

「しかしそれではいつあなた方がカイルに襲われるか分かりません」


 彼女の身の安全を案じるジェネットだけど、海賊かいぞくの女の子は一歩も引こうとしない。

 そこで僕は申し出た。


「ジェネット。こう言う時のために便利なものがあるじゃない」


 そう言うと僕はアイテム・ストックからブレイディーの薬液を取り出したんだ。

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