第3話 世界の真ん中の息吹
翌朝、早くに歩き出したロディーヌは、目の前に広がる世界に興味津々だった。まだ国境のあたりだと言うこともあり、そこには一見草原のようにも見える土地が広がっていたけれど、泉の王国のように馬や羊の姿を見ることはなかった。
代わりに趣がありつつもきちんと整備された遊歩道が張り巡らされ、東屋が作られていたり彫刻が飾ってあったりした。農場地帯ではなくいわば娯楽施設のようだ。まだ人影はなかったけれど、散歩を楽しんだりピクニックをしたりと、身近で自然を感じるのにはうってつけの場所なのだろうとロディーヌは思った。
歩き進めば、その脇には天空草のための倉庫よりもずっと大きな建物が並んでいて、朝も早いと言うのにこちらにはもう多くの人が出入りしている。どうやら大きな市のようだ。何か展示会場のようなものもあった。
全てが自国よりも大規模で、物珍しいものに溢れている。豊かな自然に包まれた、神話の世界のような風景しか知らなかったロディーヌは、これがまさに人の暮らす場所だというような自由自治区の様子に、まだ街の端に入ったばかりだというのに圧倒されていた。
「すごい。本当に大きな街なのね……」
きょろきょろと落ち着きなく眺め回すのはどうかと思ったけれど、自治区の住人たちはそんな視線には慣れっこのようだ。時折挙動不審になるロディーヌの様子に構う人はいなかった。ロディーヌはほっと胸をなでおろしながら先を急いだ。
巨大な公園らしき場所を抜ければ、建物がぐんと多くなってきた。もちろん人の数も。髪の色も目の色も肌の色も様々な人たち、家の形も街の様子も泉の王国とはまるっきり違う。多くの人が行き交い活気に満ちている様子は、まるでお祭りが始まる朝のようだと感じる。熱気に当てられてなんだか目が回りそうだった。
ロディーヌは、一息つこうと街道沿いのベンチに座る。ここでも同じように、飲み物などのワゴンが出ているが、そのいくつかにはこれまでの薔薇色ではない白地に青と赤と緑の十字が組み合わさっている柄のテントがあることに気がついた。これは自由自治区の旗だ。
慌てて旅の手帳をひらけば、自治区においては販売用のワゴンがあると書かれている。自治区の旗カラーであれば、それは金銭を必要とする。薔薇色のワゴンは世界協定の名の下に運営されているもので、旗柄のテントは自治区のギルドのものなのだ。
もちろん、値段がつけられたものを売るワゴンはそれなりの特徴がある。ちょっと贅沢なサンドウィッチだったり、お土産として持ち帰れる品質の容器に入れられた飲み物だったりと、旅人の心をくすぐる趣向が凝らされているのだ。まさに職人の、商人の街に来たのだとロディーヌは納得した。
無料で提供される冷たい水を飲みながら、ロディーヌは街を眺めた。街道の先にも奥にも石作りの家の屋根が延々と広がっている。瓦の形は様々だったけれど、一様に赤みがかったオレンジ色をしていて印象的だ。様々に違うものが、けれど足並みをそろえ肩を寄せ合っているような様子は、まさにこの街そのものを表しているような気がした。
いわゆる外国に来たわけだけれど、幸い同じ言葉を使うため、文化は違っても困り戸惑うことはない。わからないことは素直に聞けばいいだけのことで、旅の初心者であるロディーヌは大いに助けられた。ロディーヌは改めて、共通語を作るという、大街道建設時における各王たちの大英断に心からの感謝を捧げた。
歩けば歩くほど人は多くなり、街道上にも店先にもぎっしりとワゴンが並び始めた。ここでは大街道上を馬車は行かないようだ。きっと運搬用には別の道があるのだろうとロディーヌは思った。こんな人混みの中で馬車と遭遇したら無事に避けられる自信はない。ロディーヌはほっとする。きょろきょろ、ふらふらと歩いていても問題はないだろう。
とにかく全てがひしめき合っていた。何もかもがロディーヌの基準を超えている。険しい道でもないのに、ロディーヌは早々に疲れを感じた。今日は早く休むべきだろうと思った。こんなにたくさんの人たち、そのどれくらいが旅人なのかわからなったけれど、宿は足りるだろうかと心配になる。けれどその心配は杞憂に終わる。
多くの商店に紛れて、やはり宿の数も圧倒的だったのだ。これならよっぽど大きなイベントなどがない限り、空室を捜して歩き回ることになるようなことはないだろう。歩けるだけ歩いたら休もう、ロディーヌはそう思った。
「お嬢さん、甘いものはどうだい? もう夕方だから無料サービスだよ」
その声に振り返れば、ギルドのワゴンの下、愛想の良い笑顔を見せて年配の女性が小さなカゴに入った菓子パンを掲げている。そう言えば休憩で水を飲んだきりだったとロディーヌは気がついた。自分はどうやら随分と舞い上がっているらしい。
「まあ! いいんですか?」
「今日はちょっと多めに持ってきたのにもうほとんど売れてしまったからね。これ以上儲けはいらないよ。それよりも美味しく食べてくれる人が必要なのさ」
そう言って笑う女性はテントの中に入ってきたロディーヌを見て目を丸くした。
「おやおや、これはびっくりだね。こんな綺麗な瞳見たことがないよ。お嬢さん、旅人なのかい? 一人で? もしかして泉の王国から来たのかい?」
ロディーヌが頷けば女性はあっという間に商売人から母親の顔になり、さあさあこれもお持ち、あれもお持ちと紙袋に菓子パンを詰め込んだ。「こんなにたくさんいただけません」とロディーヌが恐縮すれば女性は首を振った。
「どんな事情があるのかは知らないけど、一人で頑張ってるんだ。これくらいはさせておくれ。あんたの旅が順調でありますように、どんな時も幸せが宿りますように。いいね、無理はせず、体に気をつけて行くんだよ」
優しい言葉が胸にしみ、熱いものがこみ上げてきた。遠く西の端の過酷な旅ばかり想像していたロディーヌは、こんなにも多くの人に温かく迎え入れてもらえるなんて考えてもいなかったのだ。この広い世界、誰もかれもが善人ではない、自分は恵まれているのだと嬉しくなる。いつか自分もこんな風に、見知らぬ人に優しく温かい心を向けられますように……ロディーヌは心から思った。
紙袋を胸にしばらく歩いたロディーヌは、まだ日もある時間ではあったけれど宿を取ることにした。真っ白い扉の宿は、いかにも大きな街らしい洗練さを感じさせる。今までよりも少し小さめではあったけれど、簡単なキッチンや独自の洗面台、多くのハンガーが備え付けられたクローゼットなど、実に様々な機能を備えた部屋だ。
一つの部屋の中であれもこれもできるなんて……それはロディーヌには思いもつかないものだった。これは宿だけでなく、きっと街の中の家々でも一緒なのだろう。ここに住まう人たちの誰もが忙しく活動していることを容易に想像できた。
一人のテーブルで、ロディーヌは静かにもらった菓子パンを食べる。備え付けのキッチンで紅茶だけは丁寧にいれた。夕飯はもうこれで十分だろう。そのあと洗面台で顔を洗い、濡れた布で体を拭いて、薄い部屋着に着替えたロディーヌは窓を開けた。
西向きの窓だ。今まさに真っ赤な太陽が沈んでいこうとしていた。大街道が貫く先、その西の空に夕焼けが広がれば、次々と街の灯がつき始める。その明るいことと言ったら! ロディーヌは驚いてしまった。
ここは、昼も夜も活動を続ける場所なのだ。暗くなるはずの空さえも、地上の灯を反射してぼんやりと赤く、自治区の上空全体が光りに包まれているようだ。本当に知らない場所に来たのだと、ロディーヌは軽い興奮状態を感じた。
と同時に、疲れ果てていることにも気がついた。もう指一本動かせそうにない。窓を閉めたロディーヌは暖かいベッドに横になった。まばゆい光の下、波のような喧騒は途切れることはなかったけれど、ロディーヌはすぐに眠りに落ちた。
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