第2話 森を抜けたその先は

 それから穏やかな田園地帯を半日ほど歩けば、薔薇色の道の脇に小さな宿が並び始めた。国境に向けて、大街道がいよいよ旅人のための道となったということだ。

 この先しばらくは森の中を行くことになる。その先が国境。しかし国境と言っても特に何かがあるわけでも何かが必要なわけでもなく、人々は世界を自由に行き来することができる。

 もちろん長い歴史に培われた文化の違いや気候の違いなどはあり、それによって街道沿いの風景も大きく変わっていくため、国境を超えたのだとわかる。


 泉の王国とその北に広がる森の王国は広大な森林地帯を持つ。そのため、そこを抜けると旅人は王国を出たのだと感じる。

 街道以外の方法で抜けることもできるが、それはよほど旅慣れた者。街道沿いでは森林地帯はどこよりも狭くなっていたし、整備された道には行き交う荷馬車や人の姿もあって寂しくはない。少し遠回りになっても大街道を行くのが賢明だ。

 いつの間にか大街道上には多くの人たちがいた。時折、疾風のように走り去る馬は王宮への伝令だろう。ロディーヌは旅人たちをこっそりと観察してみた。ほとんどの人が仕事がらみの様相だ。大きな荷物を抱えている人も多い。身軽そうな自分は彼らの目にはどんな風に映っているのだろうか。ちょっとお使いに出た町娘だと思われているかもしれない。けれど、そんな自分がこの中の誰よりも遠くへ行くのだ。そう思うと、なんとも不思議な気分になった。


「行く先は空の王国ですなんて言ったら、きっとびっくりされちゃうわね」


 真上に輝く太陽を振り仰いだロディーヌは休憩を取ることにした。大街道には多くの宿泊施設がある。旅の手帳を見せれば、温かい食事と安心して眠れる場所がすべての人に無料で提供される仕組みになっていた。道に出ている屋台なども同じだ。

 ロディーヌは、家で家族と一緒に食事をすることがほとんどだったため、外食に慣れていない。店を探して入るのは大変だろうと思っていたので、軽い昼食が街道上で調達でき、かつ傍に設置されているベンチに座って食べられるというのはとてもありがたかった。

 サンドウィッチの包みを片手に腰を下せば随分とほっとした。まだ半日しか歩いていないのにと苦笑するロディーヌだったけれど、何しろ初めての旅、それも一人旅だ。思う以上に緊張していたのだと気づく。朝汲んだ水を飲めば、じんわりと疲れが癒されるような気がした。


「う〜ん、ちょっと頑張りすぎたかしら。お母さまの言う通り、早めに休んだ方が良さそうだわ」


 夕方になって日が傾きかければ、ちらほらと街灯もつき始めた。森林地帯を行くこの場所では陰は思ったよりも早くやってくる。けれど整備された道、大きな街灯、初めて夜を迎えるロディーヌが心配するようなことはなかった。宿の予約も必要なく、その時巡り合った場所で決めればいいだけだけれど、遅くなればやはり空室も少なくなるだろう。少し足腰にだるさを感じてきたロディーヌは、ちょうど前を通りかかった宿に足を向けた。

 一日を元気に歩ききったロディーヌは満足だった。この調子なら、きっと空の王国へもじき着くに違いないと呑気にも思った。たった一日、それもまだ泉の王国すら出ていないと言うのに……それでも先の見えない旅への不安が少しでも緩和されるのはいいことだと、ロディーヌは自分の楽観さを自画自賛した。


 翌日、朝日とともに目覚めたロディーヌは宿の食事をとるとまたすぐに歩き始めた。バッグには、宿の奥さんがもたせてくれたお弁当が入っている。

 まだ大街道を女性が行き来する姿がほとんどなかったため、ロディーヌは行く先々で声をかけられた。平和で安全な場所だとはいえ、年若く美しい娘が一人で歩いているのを見るとやはりみな心配なのだ。同じくらいの年頃の娘を持つ人たちは特にそうで、こうしてお弁当をもたせてくれたり、帽子をかぶっていくよう勧めたり、休憩の間に楽しいおしゃべりをしてくれたりとロディーヌの旅を支えてくれた。


 森の道をさらに一日歩くといよいよ国境を越えるようだ。抜けた先は自由自治区だとすれ違う人が教えてくれる。心なしか視界が明るくなってきたと思った時、森が切れた。薔薇色の大街道はそのままに、あたりの景色が開け、空の色がどことなく違って見えた。ついに泉の王国を出たのだ。その夜、ロディーヌは森を出てすぐの宿に泊まった。建物の形や色が違うことに気がついたロディーヌの胸に、なんとも言えない感慨深さが広がった。


 自由自治区、それは世界の中心に広がっている。はるか昔、西の砂漠を渡ってきた人たち、南の海の向こうからやってきた人たち、泉の王国の青い山脈を超えてきた人たち、今のこの世界の王国以外の場所から集まってきた人たちが住み着いたのが始まりだと言われている。

 あまりに古いことで、彼らの祖国がどんな国だったのかを書き残したものは何一つ残っていない。ただ、彼らは今もみな一様に平等と自由を愛する人たちで、全てに対して大きく開かれた意識を持っていた。王国ではないこの場所では、何かに属するわけではないけれど、互いを尊重しあい認め合って、役割をきっちりこなすことで成り立っているのだ。豪胆で闊達で毅然としていて……それが自由自治区の職人たちへの賛辞だ。彼らが遠く旅してきた勇気ある人たちの子孫だということは間違いない。


 彼らはこの場所だけに固執しているわけではなかった。適応能力に優れ外向的であった者たちが中心となり、外との繋がりも大切にしていったのだ。この地区に初代の長が誕生した時、彼は非常に聡明で、自分たちの歴史をはるかに凌ぐ周りの三つの王国に、街道の敷設ふせつを申し出た。

 三王国の王たちも穏やかで友好的であったため、快くその提案を受け入れた。そして自分たちも惜しみなく援助し、世界がより良くなるようにと力を合わせたのだ。その結果大街道は、長の計画をはるかに超えたものとなっていく。

 さらに、その当時は独自の言葉を持っていた各王国も、これによって深まるであろう繋がりをより強固なものにしようと話し合い、世界の共通語が決められた。大街道敷設ふせつは、世界を一つにしようと願う最初の一歩となったのだ。この大街道の歴史が、創世記に連なる大きな出来事として各王宮に残されているのは、そういう様々な経緯あってのことだった。


 大街道はその後何度も改修され改良され、道幅も広がり設備も整っていった。それと同時に街道近くに流れていた大河にも手が入り、水運も発達していく。橋が架けられたり新しい水路が引かれたりと今までにない規模の工事が始まったため、各王国からも多くの職人や技術者たちが集まってそれに携わった。彼らは自治区に居を構えて仕事をしたが、気に入った者たちが工事の後そのまま残ることもしばしばだった。

 こうしてこの自治区は出来上がっていったのだ。今では世界の真ん中で大きな面積を占めている。住人の多くが手に職を持ち、日々新たなものが作られ変化し続ける場所。そしてそれはまた、止まることを知らぬ勢いで世界に発信されている。


 自由自治区は、世界の流通を司る商人、職人、技術者たちの街。独自の組合を持ち、細く定められた法律によって公正な取引が行われる。それは言い換えれば、決められたルールを守れば誰もが自由に住み働くことが出来ると言うことだ。それは奇しくも始まりの精神と同じだった。そう、ここには今も変わらず自分の力を信じ、そこに起きる新たな展開に胸を高鳴らせる情熱が息づいているのだ。

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