1-裏-2

 何かが聞こえて来るような気がして、はっと、反射的に目を開く。

 目の前には、少女がいて、手で俺の両肩を掴んで揺さぶっていた。

「大丈夫ですか?こんなところで寝ていると危ないですよっ。とりあえず町まで行かないと」

 少女の言葉に疑問を覚える前に、何となく今の状況に既視感があった。見たこともない顔のはずなのに、なぜだか、少女の姿を見て、心が落ち着いた。

 確か、俺の最後の記憶は、自室のベッドで眠りにつくところまでだと思う。それなのに、どうしてだか、少女の顔も、その後ろの崖下に広がる広大な森も、俺はもう知っているような気がしてならない。

 何もしゃべらない俺に、少女は首をかしげていた。俺にはこの後、彼女がなんて言うのかが、なぜだか分かった。

「あの、私の言ってることわかります?もしかして、言語が違うんじゃ……」

 そして、この後、俺はこう答える。

「すみません。ここはどこでなんですか?」

「ああ、よかった……。たまに言語が違う人がいるんです……。ええと、それで、ここは、『りゅういき』で――」

 そこまで聞いて、俺はいきなり立ち上がった。少女に起こされ、森を歩き、竜に焼かれた、その全てが、頭の中で再生されて、蘇った。

「えっ、あの、どうしたんで――」

 少女が話しているのも聞かず、少女の手首をつかんで走り出す。えっ、ちょっと……、と言う少女のことを黙殺して、俺は走り続けた。

 最初は、走りながら、なんとか俺に話しかけようとしていた少女も、いつのまに黙って、俺と一緒に走っていた。どす黒い緑の木々を抜けても、まだ俺は足を止めなかった。そのことに気づいたのか、少女が小さく、えっ、と呟いたけど、それだけで、また、黙々と走る。

「あっ、見え……まし……たよ、……町。あそこまで……行けば……、もう……大丈夫です」

 肺が乾燥しきったような、少女の声とともに、やった目指していたものが見えた。壁と門の向こうに建物が連なっているのが小さく見えた。

 だんだんと壁と門が大きくなっていき、目の前までたどり着いたところで、俺たちはやっと足を止めた。少女は膝に手をついて、肩で息をしていた。その少し離れたところで、俺は地面に座って、息を深く吸って、長く吐き出すことを繰り返していた。

 先にまともにしゃべれるようになったのは、少女の方だった。最近は運動不足だとは言え、少し情けなかった。

「ところで、今のはですか?」

 俺は質問の意味を取りかねて、軽く首を傾げた。

「ええと、じゃあ、言い直しますけど、

 少女の質問に、竜に炎で焼き尽くされたことを思い出し、俺は背筋がぞっとした。口から出した声は震えてしまっていた。

「あれは、夢じゃないんですか?」

 そんな俺を見て、少女は一瞬、目を大きく開いて、それから、俺の前に座った。

「すみません。辛いことを思い出させてしまったかもしれません。でも、それは夢じゃあ、ありません。それは、確かにあなたが体験した現実です。ただし、それは、私にとっての事実ではないですが……」

 少女は伏し目がちで、どこかしら声は柔らかくて、その声色に少し、心は穏やかになった。でも、自分が一度死んだという恐怖は、どうしても心にこびりついて、ぬぐえなかった。

「……、一回です……。森で君に出会って、ここまで来る途中に、竜に襲われて……」

 それ以上は、声が震えてしゃべれなかった。

「そうですか……。でも、これは私たち、魔導士の宿命ですからね……。一応聞きますけど、ここがどこで、どうしてあそこにいたのか、分かりませんよね?」

  軽く、首を縦に振った。

「わかりました。いろいろと突然のことで戸惑っていると思いますけど、同じ魔導士として、あなたに説明しなければならないことがたくさんあるんです。でも、とりあえず、もう夕方ですし、町に入って晩御飯にしましょう」

 空を仰げば、橙色と赤色の中間ぐらいの色が空に広がっていた。目線を下に降ろすと、早く早くという風に、少女が手招きをしていて、重たい体を起こして、少女について行った。

 門から町に入ると石畳の道が続いていて、それに沿って木造の家が立ち並んでいた。通りに面している家は、肉を軒先に並べていたり、刃物を陳列して、奥では鉄を金槌で打っていたり、あるいは皮をぶら下げて革製品を売っていたりと、どうやら色々な商店を営んでいるらしかった。ところどころで十字路があって、大きな通りから外れる左右の道を覗くと、二階に洗濯物が干しているのも見えた。

「結構人が多いからはぐれないように気をつけてください」

 もう夕方だというのに、通りにはランタンのようなものが上にぶら下がっていて、ランプのように明るく、人の往来も多くて、少女の姿も時々、人に紛れた。けど、ローブを身にまとっているような人はほとんどいなかったので、なんとか、少女が店の前で足を止めた時には、隣にいることができた。

 少女に続いて入った店の中では、丸テーブルがいくつも並んでいて、それを囲んで、人々がパンを食べたり、スープを飲んだりしていて、声がいくつも重なったざわめきが、身体を包んだ。

「パンとシチュー、二人分ください」

 カウンターのようなところで背の大きい小太り気味のおっさんに少女が注文すると、すぐにバスケットに入ったフランスパンのような細長いパンと、白い陶器の皿に入ったシチューが差し出された。心なしか、皿の置く音が大きく、耳に残った。

 それを持って、店の端の方の、テーブルの席に並んで座った。ちょっと歩いただけなのに、椅子に座れてかなりふくらはぎが楽になった。

「食べることは生きることです。しんどいことがあっても、とりあえず、食べて、エネルギーを補給しないと身も心も元気になりませんから」

 少女はすぐにパンをシチューに浸して食べ始めた。お腹は減ってきていたので、俺もそれを真似て、パンをちぎってシチューにつけて口に入れる。暖かいものが体の中に入って、自然と身体から力が抜けた。シチューは思ったよりも濃厚で、肉もゴロゴロと入っていて、食べ応え抜群だった。パンも思ったより硬くなくて、パンだけでも十分美味しかった。

 食べ終えると、もう十分に満腹感があった。腹に物を入れたおかげで、疲れていた身体も、萎えていた気力もだいぶん、回復したように思う。少女の方も、ふうーっと息を吐き出して、手でお腹をさすっていた。

 そのまま、食べ終えてから二人ともしばらく何もしゃべらなかった。その間、周りを見る余裕も少し出てきて、食べている人たちを眺めていた。

 ローブを着ている人は俺たちだけで、ほとんどの人は動きやすそうな服装で、中には、鎖帷子のようなものを身にまとっている人もいた。最初は気のせいかと思ったけど、周りの人たちがなぜだか、ちらちらとこちらを見ているようで、いつのまにやら、俺たちの周りの席から人がいなくなっていた。

「そろそろ出て、宿屋を探しますか」

 バスケットと皿を返して、逃げるように店から出ていく少女を追って、大通りに戻る。店から出ていくとき、さっきのカウンターのおっさんがこちらを睨んでいるのが見えた。

 宿屋は大通りを歩き続けて、入ってきたのとは逆の町の入り口にあった。中に入ると、小太りのおばさんが暖簾をかき分けて奥から出きた。その眉間にはしわが寄っていて、声もどこかしら苦々しげだった。

「魔術師用の部屋は一部屋しかないよ。この建物の最上階の一番奥、一応ベッドは二つあるけどそれでいいかい?」

 わかりましたと、少女は鍵を受け取って、すたすたと受付の横の階段を登っていった。部屋のある最上階は下の階に比べて心なしか掃除が行き届いていないようだった。でも、部屋の中は、十分にきれいで、ランプが小さいテーブルの上で瞬いていた。

「はああ、疲れたー。久しぶりのベッドー」

 部屋に入るなり、少女はベッドにダイブして仰向けになった。少しあっけにとられつつ、俺も、もう一つあるベッドの方に腰かけた。

「あのう、今日はありがとうございます、何から何まで。森で起こしてもらって、御飯をおごってくれて、宿まで取ってくれて」

「いえいえ、これも魔術師にとっての慣習の一つですから。私も、昔、あなたのように、他の魔術師に助けてもらいました」

 ベッドの上で、ひらひらと手を左右に振る少女を見ながら、俺はこれまでにあった出来事を順繰りに思い出した。それにしてもよく分からないことだらけで、少女に聞きたいことがいくつもあったけど、逆になにから聞いたらいいか分からなくて、ぱっと口に出たのは、自分でも少し予想外のものだった。

「魔術師って嫌われてるんですか?」

 食堂のようなところで睨まれたり、ちらちら見られて、周りから誰もいなくなったり、宿屋のおばさんの態度がきつかったり、そんなことから連想したことだった。

「あー、よくわかりましたね。私なんかは、最初の頃は全然気づきませんでしたけど……、そうですか……。確かに魔術師は魔術師以外の人からは疎まれてますね。でも、この町なんかは十分ましですよ。中には、魔術師というだけでこちらを殺そうとしてくるところもありますから……」

「えっ、どうして……」

 淡々としゃべる少女だったけど、俺は肩をビクッとさせた。普通、異世界小説とかなら、普通の人間の上位にいるのが魔術師だというのにいったいどういうことなんだろう。

「すみません。そこら辺のことは話し出すとかなり長くなってしまうのでまた明日ということで……。今日のところはもう寝ましょう。あなたも疲れたでしょうし、私も実を言うと、あなたにあそこで会うまで、かなり長い旅をしてきて、やったここについて正直結構、疲れてしまってるんです」

 ということで、おやすみなさい、とゆっくり言って、少女は静かになった。

 部屋の中はいい感じに暗く、外も空は黒くて、さっき晩飯を食べたせいもあってか、急速に眠気が襲ってきて、自然と俺もベッドに横になった。意外にふかふかなベッドに顔を沈めながら、意識の方もゆっくり沈んでいった。

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