1-裏-1
何かが聞こえて来る。どこか遠くから、声のようなものが届いてくるような気がする。靄のかかった曖昧な思考の中で、ぼんやりとなんだろうと思った。
いきなり身体を揺さぶられたような衝撃で、意識が鮮明になった。それと、同時にさっきからぼんやりと聞こえて来ていた声も、ちゃんと耳に届いた。
「大丈夫ですか?こんなところで寝ていると危ないですよっ。とりあえず町まで行かないと」
いったい何なんだろうと、寝起きにもかかわらず、いろんな疑問が頭に浮かんだ。こんなところって、俺の自室は別に危なくなんかないし、こんな声の人を俺は知らないし、町って何のことだ。
瞼を持ち上げると、目の前に、見知らぬ少女の顔があった。それだけじゃない、少女の後ろには、映画で見るような雄大な森が広がっていた。
突然のことに、夢でも見てるんじゃないかと思う。いや、これは実際のところ、夢なのだろう。起きたつもりで、まだ俺は自室のベッドで横になっているに違いない。いわゆる、明晰夢というやつなのだろう。でも、それにしては、意識がはっきりしすぎているような気もするが……。
「あの、私の言ってることわかります?もしかして、言語が違うんじゃ……」
「すみません。ここはどこでなんですか?」
夢と思えば、声を出す余裕もできた。それに、頭も少し回るようになって、どうしてこんな夢を見ているのかも、彼女の服装を見て分かった。彼女は、濃い赤色のローブに身を包んでいた。ローブといえば魔女だろう。たぶん、異世界の小説を読んでいたせいで、それが夢に反映されているんだ。
「ああ、よかった……。たまに言語が違う人がいるんです……。ええと、それで、ここは、『りゅういき』ですよ?。そうだ、早くここを抜けて町まで行かないと、危ないんです。立てますか?」
少女に手を差し出されて、こちらも手を伸ばす。そのとき、自分の腕の色が、見慣れた色じゃなくて、透き通るような白色になっていることに気がついた。これも、たぶん小説でのエルフとかの描写に引っ張られているのだろう。
起き上がって、服についた土とか草をはらう。よくよく見てみれば、自分も少女のように、ローブを着ていて、色は、黒色だった。木の下で、幹に背を預けて寝ていたらしく、体の節々が痛かった。
「さ、行きますよ。私について来てください」
すたすたと、少女は、森が一望できる崖とは逆の方に歩いていく。慌てて、こけそうになりながら、後を追った。
しばらくは、無言のまま、黙々と歩いた。道は舗装されてはいないが、森の中で、ここだけ木々が生えていないらしく、見通しは良かった。
木々の色がどす黒い緑色から、淡い緑色に変わったあたりで、少女は、ふーっと息を吐き出した。
「ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。町までもあと少しです」
こちらを振り向いて少女は笑った。頬にできたえくぼが可愛らしかった。
「ところで、どうして『りゅういき』でなんかで寝ていたんですか?私が見つけなかったら危なかったですよ」
どうしてと言われても、夢の中で目覚めたら、あそこにいたんだから、適当に答えるしかない。
「気がついたら、あそこにいたんです……。信じてもらえないかもしれませんが……」
少女の方をみると、顎に手を添えて、うーん、なるほどと神妙そうに唸っていた。
「あの、それで、さっきから、『りゅういき』って何度も言ってますけど、『りゅういき』って何なんですか?」
先ほどから何とも言えない表情で、斜め上を見つめていた少女は、俺の声に、ビクッと肩を震わせた。
「ああ、ごめんなさい。考え事してた。ええと、『りゅういき』っていうのはね……」
いきなりしゃべるのをやめた少女は、天を仰ぐ。そして、いきなり俺の腕を掴むと、走り出した。
「やばいやばい。大丈夫だと思ってたのに、ここにいても目を付けられるんだ。とにかく走って」
最近、運動をしていないせいか、走ると喉が痛くなって、ドロッとしたものが口にたまる。何が何やら分からないけど、とにかく俺も足を動かした。
でも、いったい少女が何から逃げようとしているのかはすぐにわかった。走り出してすぐに大気が震えている音が耳に届いてきて、だんだんそれが大きくなっていく。鼓膜が破れんばかりの音量になったところで、それは、俺たちの行く道を遮るかのように空から現れた。
それを見た瞬間、俺は、「りゅういき」と言う言葉が一体何を指すのかが半分分かった。「いき」はともかくとして、「りゅう」は「竜」の「りゅう」だと悟った。空から降りてくる、翼を持ち、うろこに覆われて、前足後ろ足に鋭い爪を持つ巨大な動物、あれが竜以外のいったい何だというんだ。
空から降りてきていた竜が、地上に降り立つと翼の風圧で、俺は道の後方に飛ばされる。飛ばされながら視界の端で少女が風で木の幹に叩きつけられて地面に落ちるのが見えた。
風が弱くなって、なんとか起き上がって、腕で風を防ぎながら、竜の方を見ると、燃えるような赤色と金色が混ざったような竜の目が俺に向いていた。
肌に鳥肌がたって、身体がぞくぞくする。もうおしまいだということを悟るしかなかった。殺気というか悪意というか、そういうものが竜からあふれ出ているのが目に見えるかのようだった。炎で燃やされるのか、はたまた食いちぎられるのかは分からないけど、どちらにせよ俺はここで殺される。
身体が凍り付いたように動かなかった。でも、唯一動く目は、道のわきでうずくまっている少女の姿を捉えた。その姿を見て、俺は手を拳の形に握った。
さっきまで全然動かせなかった身体が、氷が解けたかのように動かせた。一か八か、俺は竜に向かって走った。突然のことに反応できなかったのか、竜は何もしてくることなく、俺は竜の横をすり抜けて、そのまま走り続けた。
耳をつんざくような咆哮が後ろから聞こえて、風で背が押されてつんのめりそうになる。近づいてくる咆哮を耳で聞きつつ、それでも俺は足を止めることなく、少女から遠ざかる。
息が切れて走れなくなってきたところで、ついさっきのリプレイのように竜が目の前に降り立って、後ろに吹っ飛ばされて竜とは反対の方に仰向けで地面に倒れる。
もう立ち上がる気力もなく、首だけ捻って、後ろを見ると、さっきよりも敵意が倍増したようにみえる竜の姿があった。
少しでも少女から離れることができただろうか。さきほど走ってきた道には、もう少女の姿は見えない。俺がこうしている間にどうにかして、逃げてほしかった。こんな危ないところで寝ていた俺をわざわざ起こして町まで連れて行ってくれようとした少女の恩に少しでも報いることができただろうか。
竜の腹が赤白く輝いて、竜が口を開くのが見えた。そして、そこからごうごうと吐き出された炎に一瞬にして俺の身体は包まれた。
肌が焼ける痛み、それが最後に俺が感じたものだった。
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