第134話 遺言

「さてと、仕事も終わりましたし、温泉に行きましょうか」


私は仕事にひと段落着いたので、ペンを置き、皆に声をかける。


「いいわね、今の時間なら、温泉館は夕食の時間だし、温泉の辺りも空いてるわね」


「確かにそうですね。空いてる時間でないとねぇ…」


 私はトーカの言葉にそう返す。何故かと言うと、前に夕食後のお客様がご機嫌な時間にいったら、メイドゴーレムと間違われて、今度指名するからと言って、しつこく名前を聞かれた事があった。


 トーカの方も誘拐されていると言う事になるので、トーカ自身も帝都で初めて会った時と、今では別人の様に雰囲気が変っており、帝都の時とは異なる様に、変装をしているが、出来れば避けた方がよいだろう。


「セクレタさんはどうします?」


まだ、事務作業を続けているセクレタさんに声をかける。


「私はもうちょっと、仕事を続けるわ」


「あっ、手伝いましょうか?」


私達だけで温泉に行くのは心苦しいので、セクレタさんに手伝いを申し出る。


「いえ、いいのよ。これはマールちゃんに後で提出する企画書だから。提出する本人に手伝ってもらうのも変な話でしょ?」


「あぁ、済みませんね」


「いいのよ、私も終わったら、文字通り温泉に飛んでいくから」


 セクレタさんがそこまで言って下さったので、私とトーカはセクレタさんに頭を下げて、執務室を退出する。


「しかし、こう客人が多いと、温泉に自由に入りにくくなったわね」


隣を歩くトーカが口にする。


「そうですね、私もここまで人が来るとは思っていませんでしたよ」


「でも、私が言うのも何だけど… 本当に私の事、バレてないのかしら?」


何度か、一緒に温泉に行っているが、やはりトーカはバレないか心配している様だ。


「そうですね… トーカさんは初めて会った時と比べて、かなり印象が変りましたから、家族でも無い限り分からないんじゃないでしょうか?」


「私、そんなに変ったかしら?」


トーカは首を傾げる。


「えぇ、変りましたよ。初めて会った時は、えぇっと、なんていうかもっと威圧的でした…」


「あぁ、あの法務局の制服ね… 黒色で、法は何物にも染まらないって意味らしいんだけど、普通の人からみたら高圧的よね…」


 最近はもうあの制服姿を見なくなったが、トーカの言う通り、かなり高圧的な服であった。ちなみに、トーカの今の服装は、転生者達が用意した『セーラー服』なるものを着て、流していた髪も三つ編みにしており、顔も眼鏡をつけている。


「服装もそうですが、やはり一番変ったのは表情ですね。随分と柔らかくなりましたよ」


「そう? やはり、眼鏡をかけたのがいいのかしら。前にも言っていたけど、私、目が悪いから、人の顔を見る時に、目をしかめちゃうのよね、だから、睨んでいるように思われていたみたいね」


 トーカは自分の雰囲気が変った事を、服装や眼鏡のお陰だと思っている様だが、実際にはそれだけではなく、私は心の変化が一番大きいと思う。


 初めて会った時のトーカはいつも何かに対して、気負っていて、常に神経を張り巡らせていたような気がする。しかし、今ではそんな張りつめた物はなくなり、柔和な笑顔を良く見せるようになった。また、初めて会った時の当時からは信じられないが、恋する乙女の様な仕草も見せる時がある。人は変れば変われるものである


 私とトーカがそんな話をしていると、すでに温泉館の三階広間へと辿り着いていた。そこには、お風呂上がりの飲み物を冷やす水槽前で、腕を組んで考え込むカオリの姿があった。


「どうしたんですか?カオリさん」


「あっマールはん」


私の言葉にカオリが振り返る。


「飲み物が足りなくなったのですか?」


「いや、ちゃうんやけど」


「それより、私はフルーツ牛乳をもっと増やして欲しいんだけど」


カオリに声をかけるついでにトーカがカオリにフルーツ牛乳を増やす要望を告げる。


「それはできひんな、めったに飲めへんから、価値があるんや」


「ほんとにそれ、言うんだ…」


カオリのフルーツ牛乳増加お断りの定番のセリフを聞いたトーカが呟く。


「で、どうしたんですか?」


「いやな、この水槽にうちらが作ったお酒もいれてるんやけど、思った程飲まれてへんなと思って…」


 最初の頃は、カオリとのゲームに勝利したものだけが、お風呂上がりのお酒を飲むことができたが、勝者が出てこないのと、カオリ自身も毎回、そんな事はしてられないので、今は自由に飲めるようになっている。ちなみに、私がエアホッケーでカオリに挑戦していた時は、負ける度に罰ゲームとして、牛乳を飲まされて、お腹がたっぷたぷになった経験がある。


「それが何か問題でも?」


「マールはんやったら、タダで飲めるんやったら、お水と炭酸飲料とどっち飲む?」


「私はフルーツ牛乳」


私の問いにカオリは質問で返すが、私が答える前にトーカがフルーツ牛乳と答える。


「トーカはんはそんなにフルーツ牛乳が好きなんかいな…また、考えとくわ、で、マールはんは?」


「そうですね、炭酸飲料でしょうか」


「まぁ、普通はそやろ? だから、不思議やねん」


私はカオリの言葉の意味が分からず、首を傾げる。


「マールはんとトーカはんやから、水と炭酸飲料で訊ねたけど、貴族のおっちゃんたちやったら、牛乳とお酒、どっちがいい?って話やねん」


「あぁ、そう言う事ですか」


私はカオリの話を理解して手を叩く。


「せや、タダで一本飲めるっていうのに、みんな、あんまりお酒のんでないねん…」


カオリは私達が最初に来た時の様に、眉をしかめて腕を組む。


「セクレタはんにも聞いて、宴会の時のお酒の注文の事を調べてもらったんやけど、うちらのお酒よりも、帝都で売っているお酒を注文される事が多いらしいねん」


「そうなんですか… まぁ、人の好みですから、いつもの物を頼むのが普通じゃないですか?」


私はカオリの疑念を払拭させるため、一般論を述べる。


「いや、宴会の初めに、うちで作ったお酒を何種類か利き酒でだしているんやけど、その調子やねん」


カオリが難しい顔をする。


「まぁ、お酒作りは始めたばかりですから、今後も研究が必要ですね」


「…うん…そやな… 悪かったなマールはん、ややこしい話して」


カオリは眉を開いて私に微笑む。


「いえいえ、構いませんよ、ではお風呂に入ってきますね」


「ゆっくり入ってき、彗星が大きく見えるから、ええ感じやで」


私とトーカはカオリと別れ温泉に入ったのであった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「さてと、これでいいかしら」


 マールちゃんとトーカを見送った後の私は、一人執務室で続けていた仕事を漸く終わらせ、完成した書類の束をまとめる。


そして、マールちゃんの仕事机の前に行き、提出書類受けに、完成した書類の束を置く。


「あれ?これ…何かしら…」


 マールちゃんの机の上には見慣れない冊子が置かれている。しかも、ほのかに魔法の反応を感じる。私は目を凝らして冊子の表紙を見る。


「これ…エミリーの日記? そう言えば、マールちゃん、エミリーの夢を見てから夢見が悪いと言って、エミリーに夢の中で怒られていると思ったから、日記を自室からここへ持ってきたと言っていたわね…」


 私は日記の表紙を見つめ、しばし考え込む。勝手に日記なんて見てもいいのかしら?でも、マールちゃんの物ではなく、エミリーの物よね…


私は思い切って日記を手に取り、パラパラと中を確認しながら捲っていく。その中に、魔法陣が記されたページがあった。


「これが、転生者達を召喚した魔法陣ね… 魔力はもう残っていないみたいだけど… よくこんなもので呼び出せたわね…」


 私の中のエミリーの人物像は、人としては情に厚い良い人間であったが、難しい事には不向きな人間であった。なので、エミリーがこの様な魔法陣を調べ上げたのはよっぽどの思いがあっての事であろう。


「そんなにもとの世界に帰りたかったのかしら…」


 私はページの続きをぺらぺらと捲っていく。すると、エミリーの命日近くの日付になって、ページが白紙になった。私はここで終わりかと思っていたら、白紙のページにポツポツの文字が浮かび上がる。


「これ…私の魔力に反応して文字が浮かび上がっている?」


 私は本に魔力を吸われる感覚を覚える。そして、私はその浮かび上がった文字の一行目を見て驚く。


 『親愛なるセクレタさんへ 私こと、エミリーからのお願いです』



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