ルーキー 05/14

 立ち返ってお前の中に在るものの話だ、と傳は言う。


「ふつう魔術ってのは複数組み合わせて使うもんだ。当然だよな、ゴムボールを空中で静止させるだけで満足ならともかく、人の欲は底無しだ。だから願いをかなえる魔術を作り上げるのが魔術師の目標となるが、その魔術の成立条件は膨大でとても実現不可能となる。それを、別の魔術で補って、いくつもの魔術を組み合わせて、願いに到達するためのきざはし───これを儀式と呼ぶ」


 イツキの体内に埋め込まれた“何か”は、牧曰くその儀式の核である。


「何だって事前に準備できるものはしておくものだろう?」


 有形ゆうけい無形むけいを問わず揃えられた準備。それをパッケージングしたものは、儀式にとっての中核となる。なぜならばそこには桁違いの手間がかかるものだから。高価であったり、供給が限られていたり、他にも欲している人がいたり、あるいは“一九九九年の春にウェールズで生まれたアルビノの馬の左目”のように存在しないものだったり。あらゆる労力をかけて、時には《クラックワーク》まで用いての準備は一朝一夕では到底不可能だ。


 そしててして儀式には時間的条件がせられているパターンが多い。魔術であっても《クラックワーク》であっても時間を操作することは極めて難しく、パッケージングしておいた核がそれまでに破壊されてしまえば間に合わない───取り返しがつかない。


「核が壊されたら儀式はほぼ百パー失敗する。一端の魔術師なら、そういうことがないよう核には自己保護機能を組み込むくらいはする」


「───つまり、それがイツキを救った、と?」


「そう考えるのが自然だろう。察するにその核は、《クラッカーズ》でない人間の体内保管も条件なんだろ? 俺だったら保管庫たる人体の生命維持くらいは噛ませる」


 牧は是非を答えなかった。だが、彼女がイツキに核を託した直後から思う存分《クラックワーク》を奮っていたことを考えればあながち外れてはいないだろう。


 腕を斬り落とされたとき、彼女は儀式を諦めればあっさりと返り討ちにできたということ。それをせず、命を失う危険性もあったというのに守り通した最重要が、核なのだ。


 それが現在はイツキの体内にある。


「……持ってて、いいのか」


 話を聞けば聞くほど、自分が預かるに相応しいとは思えなかった。巻き込まれただけの無力な高校生で、また核を狙われても何もできない。ちゃんと持ち主に返すべきだ。


 けれどイツキは、叶うことなら返したくなかった。儀式核を持っていればイツキは牧に守ってもらえる、関わっていられる。


 まだ、話していられる。


「取り出せません」


 ───


 イツキに可不可を論ずることはできない。魔術的制約で不可能な事情があるのかもしれないし、取り出し用《クラックワーク》は難易度が高いのかもしれない。だからイツキの判断基準はそこではない、


 奥入瀬牧が嘘をついているとイツキには


 彼女は不可能ではないと思っているのに全く逆のことを言った。


 だが、何故───


 まさかイツキの葛藤を読んだわけではあるまい。先刻挙げていた得意な《クラックワーク》に読心はなかったが、もし万一こうして話している裏側ないしんをすべて知られているなら舌を噛んで死んでやるとすら思う。そもそもイツキの願望を読んだとて合わせる必要など皆無だ。イツキのための嘘ではない。誰に対してとすれば、この場で彼女が最も警戒する相手───伏人傳をおいて他にはいるまい。彼には取り出せないと思われている方が都合がいいのだろうか。


 まさか儀式核の移動にはキスが不可欠で、恥じらって隠しているという話じゃないだろうし───


「やったろうか?」


「いいですか、貴方は儀式核に手を出さないように。容赦しませんよ」


「だよな。俺とお前は別に味方でも友達でもないしな」


 イツキがぐるぐると思考を巡らせている間に、超越者クラッカーズたちの会話は続いている。


「にしても大変そうだな。つまりイツキごと核を守らないといけなくなったワケだろ? 頑張れ!」


「他人事だからって……。約束通り一晩はここを借りますからね」


「マジ? 何で?」


「《虫喰みバグ》は片づいていませんので。恨むなら一晩に条件をつけなかったご自分をどうぞ」


「いやそうだけどさあ。《虫喰み》片づいてないの? ってきたんじゃないの」


「サイズからして分体ぶんたいです。本体───親個体は健在でしょう」


「うっへぇ。んじゃあ、この話はどっちから説明するよ」


「……今度こそ、私がします」


「あいよ」


 話はまとまったらしい。牧が、魔術のときの醜態しゅうたいもあるのだろう、かすかに緊張した面もちでイツキに向き直る。


「《虫喰み》についてです。……興味がなければ」


「あるよ! さっき俺んこと襲ったアレのことだろ? 興味あるに決まってるだろ!」


「はい。あれが《虫喰み》、古くはムシバミと呼ばれていた人類の敵です」


 世界を改竄かいざんしてむしばみ、無感情に人を殺すことを昆虫バグじみた本能で定められた現象生命体、故にバグbug。今日ではコンピュータプログラムに発生する異常の名をかんされたそれは、《クラックワーク》にも似た改変能力を持つクリーチャーだ。


「彼らは一見有機的に見える場合でも、心臓や脳のような器官きゅうしょは存在しません。徹底的に破壊する必要があります」


「さっきのはそうしてたように見えたけど」


「はい。ですがアレは分体───子個体で、あれを産み落とした大元が存在するはずです。そちらが貴方を狙うかもしれない」


「どうしてそう分かるんだ?」


 調査できる《クラックワーク》でもあるのかと思い問う。牧は首を横に振ると、


「《虫喰み》は本能的に人間を襲って殺すことと、もう一つ、常に成長し続けなければならないという制約があるんです。より大きく、より複雑に進化し続けることが必須の存在。どうしてそうなのかは知りませんが……」


 牧の視線が遠くなる。記憶を想起しているときの目だ。


「私が最後に目撃したとき、《虫喰み》はあれよりも大きかった。それが縮んでいるということは……」


「───分裂か」


「はい。おそらく厳密には、まったく等分とうぶんな分かれ方ではなく親子の関係でしょうけれど」


 なお、例外として《虫喰み》が存在規模はそのままに存在密度のみを高めることで、外見的サイズを収縮させるという事例は存在している。ただしその場合、外見や行動パターンが明確に高次に移行しているため、様態が変わらないままサイズだけ小規模化している今回のパターンには当てはまらない。


 そして、この説明が先刻の牧と傳の会話に帰結きけつする。イツキを狙った個体の親が残存する以上、儀式核保持者たるイツキを防衛しつつ撃滅げきめつしなければならない。結界に防護・隠匿されたオーバードーンは絶好の……。


「つまり、虫喰みを倒すまで、俺はここにいればいいのか」


「はい。私がちゃちゃっと《虫喰み》を倒してくるまでの辛抱ですから」


「心配しなくても、大丈夫だよ。ちゃんと待ってる」


 一晩くらいならば言い訳もきく。友人の家に泊まるテイでいけばバレるまい。


 心配はしていないが、問題は一つだけあった。牧が怪物退治にここを離れている間、いまいち信用もなくおしゃべりのうるさそうな傳と二人きりという点だったが───


「ああ、それなんだけど俺も手伝うわ」


「「はァ!?」」


 ───想定外の言葉がその口から飛び出し、驚愕は綺麗にハモった。

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