第132話 故意か過失か

 教祖とは──。



 その名の通り宗教の開祖となった人物を指し、この場合ならば悦楽教を開いた者という事になるのだが。


「──……きょ、教祖? 貴方が、悦楽教の……?」


(……調べてなかったのかな。 それとも──)


 言うほど悦楽教の実情に明るいわけでもない双子が驚くのはともかく、【影裏えいり】の一員として使命達成の為に調査していただろう筈のアルシェまでもが困惑している事に、フェアトが僅かに違和感を覚える一方。


「えぇ、そうよぉ。 もう五年も前になるわねぇ──」


 当のミュレイトは無駄にパッチリとした二重まぶたが鬱陶しい瞳を、さも昔を懐かしむように細めつつ。


「アタシが福の神、“ジジュ”様に啓示を受けたのは」


「「啓示……?」」


 あろう事か、ジジュというらしい福の神の名を口にして啓示を受けたと語り出し、それを聞いたフェアトとアルシェは困惑と驚きが混じったような声を出す。



 福の神──ジジュ。

 


 この世界の生命や大地を司る地母神ウムアルマとは流石に比べるべくもないが、それでも感情を司る神としては位が高い方の神であり、その名を騙るなどという行為は神罰が下っても不思議ではない愚行で──。


(一応、本当に崇めてはいるって事なのかな……)


 だからこそ、かの宗教が福の神様を崇めている事自体は事実なのかもしれないとフェアトが熟考する中。


「──で? その……何とかいう神様の命令で仕込んでやがったのか? あのジュースだの花だののヤクはよぉ」


「ちょっ……!!」


「えっ……?」


 スタークが何の突拍子もなく、およそ数時間前に渡されたジュースや花輪レイに含まされていた薬品か何かに言及した事で、フェアトとアルシェは目を点にする。



 かたや、何を勝手に──と。



 かたや、もしかして貴女たちも──と思う一方で。



「……ふぅん……?」


「? 何だよ」


「いいえ、何でもないわよぉ? ただ、そうねぇ……」


 当のミュレイトはといえば、どういう感情からきているのかも分からないほど昏い笑みを湛えており、その笑みの真意を理解できないスタークが低い声音で問うが、それでも彼は動揺一つ見せず顎に指を当てて。


「……確かに、アタシたち観光組合が配ってるジュースや花輪レイには──『とある液体』を含ませてあるわ」


「「「!!」」」


 そこに笑みを浮かべていても、その瞳は全く笑っていない──あの時のマネッタたちと同じ表情を貼りつけた状態で、あっさりと衝撃の事実を明らかにした事により、スタークたち三人が一斉に顔を見合わせる。


「……どういう事かしら? もし害意があるなら──」


 僅かな沈黙の後、【魔弾の銃士】として──そして何より、【影裏】の一員として真剣味を帯びた表情を見せたアルシェが腰の魔法銃に手をかけつつ、ミュレイトたち観光組合の思惑を探るべく脅しにかかるも。


「やぁねぇ、害意なんてないわよぉ? その液体を手に入れたのは数年前、地底湖に繋がる洞窟でねぇ──」


 ミュレイトは少しの怯えも見せぬまま、まるで奥様同士の井戸端会議のような笑みと手振りで害意を否定するとともに、その液体を手にした経緯を語り出す。



 数年前──正確には、およそ五年ほど前の話。



 その頃にはもう観光組合の長であり、その精神も女性寄りとなっていたミュレイトは、どうにも組合そのものの利益が上がらない事に随分と思い悩んでいた。


 おそらく先の魔族との戦いで人間、獣人、霊人といった旅行という概念を理解できる生物が減った事が関係しているのだろうとは分かっていても、それを単なるいち観光組合の長が何とかできよう筈もなく──。


 あまりに苦悩していた彼が、その落ちに落ち込んだ気持ちのままにふらつく足で辿り着いたのが、ミュレイトやマネッタも帰依しているの教会だった。



 そう、『悦楽教』自体は元より存在していたのだ。



 ミュレイトは、その教会の中にある妙な像──二人の男女が手を取り合っているような形の像の前に膝をつき、『このままじゃ、あの子たちを路頭に迷わせてしまう』と組合員たちの事を第一に考えて祈りだす。



 その時だった──ミュレイトに啓示が下ったのは。



 福の神ジジュは彼に対して、『互いの利になる』と前置きしてから、とある地底湖の奥にある『何か』の存在を上手く使えと示唆しつつ、これまで布教を白紙としてミュレイトこそが悦楽教の教祖だという神託を全ての信徒に下す事で、かの聖神々教を呑み込めと。



 告げた──



 それから、ミュレイトは即座に行動に移ってジジュに告げられた地底湖を船で訪れたところ、その奥には地底湖とは別の『とある液体』の湧く源泉があったようで、その液体の効力を感じ取った彼は数年をかけて害にならない程度の分量を研究し、それを含有させる事を組合員たちに伝達するとともに組合員たちにも。



 摂取させた──



 そう、ここまでの話は全て彼が口にした事であり。



 真実かどうかなど、スタークたちには分からない。



(これは……どっちなんだろう)


 だからこそ、その視界の端で姉が腕を組み首をかしげているのも構わず、フェアトは思考の海に溺れて。


(……虚実を織り交ぜてるなら故意。 本当に危険なものだと思ってないなら過失……判断が難しいけど、どちらにせよ彼らの所業を放置しておくわけには──)


 また、フェアトと同じく聡明なアルシェも彼女と同じく二つの可能性に辿り着いており、どちらだったとしても怪しい事には変わりなく、これ以上の放置は危険すぎると判断して再び魔法銃に手をかけた時──。


「──あたしらを、その地底湖とやらに連れてけ」


「……うん?」


「「!?」」


 いつの間にか腕組みをやめていたスタークが、あまりにも脈絡なく地底湖に案内しろと口にした事で、ミュレイトは首をかしげ、フェアトたちは目を見開く。


 やたらと姉の勝手な発言が目立つ──そう思ったフェアトが『何を言ってるんですか』と口にする前に。


「本当にそういう気がねぇなら見せられるだろ?」


(……なるほど……一理あるわね)


 真に害意がないと曰うのであれば、その現場を見せる事に抵抗などないだろう──と、スタークなりの考えを聞いたアルシェは『悪くないかも』と少し唸る。


「そう、ねぇ……まぁ構わないのだけど……」


「何だよ」


 その一方で、スタークからの命令にも似た提案を受けたミュレイトは、またしても割れた顎に指を当てつつ何やら悩む様子を見せており、そんな彼の煮えきらない態度にイラッとしたスタークが先を促すと──。


「さっきも言ったように……その地底湖、昔は間違いなく観光名所だったのよ。 でもね? あの源泉を見つけてから私以外が入ると倒れちゃうようになってるの」


 何でも、その地底湖に続く洞窟も含めた場所には例の液体から漂う甘ったるい香りが充満し、ミュレイト以外の組合員や観光客が足を踏み入れようとすると狂気的な笑みを湛えた後、倒れてしまうのだと明かす。


 ジュースや花輪レイに含まれている液体も、ミュレイトや組合員たちが稀釈して初めて実用に足るのだとか。


「……貴方は大丈夫なんですか?」


「啓示を受けたから、かもねぇ」


「……そう、ですか……」


 そんな中、何故ミュレイトには影響がないのかとフェアトが尋ねたところ、『多分だけど』と付け加えて答えてきたミュレイトの、どうにも根拠のない発言にフェアトは一つも納得いってなさそうにしていたが。


「それでもよければ案内するわよ? まぁ、もう遅いから向かうのは明日にしたいところだけど……どう?」


「「「……」」」


 そのままフェアトから視線を外した彼は、おそらく三人の代表なのだろうと考えていたアルシェに対して選択を持ちかけ、それを受けたアルシェが思案する一方、双子は顔を見合わせつつ少ししてから頷き合い。


「──お願い、します」


「……あぁ、そうだな」


「ちょ、ちょっと!?」


 自分の意見を聞かずに判断した双子に、アルシェが驚きと困惑からくる不安げな声を出してしまう中で。


「いいわよぉ♡ それじゃあ明日、ここに集合ね♡」


 話が纏まったと踏んだミュレイトは、『うふ♡』と相も変わらず低い男声で微笑みつつ話を終わらせた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 それから、スタークたちが応接間を出た後──。



 結局、三人の誰もが最後まで手をつけなかった紅茶や焼菓子を飲み食いしていたミュレイトはといえば。


「──……ふ〜……」


 苦悩からか、それとも疲労からか分からない長めの溜息をつきソファーの背もたれに背中を預けていた。


 それもその筈、彼の脳内は明日あの地底湖に案内しなければならない三人の事でいっぱいだからであり。


(あの子猫ちゃんたち、これまでの子たちとは全く違うみたいねぇ……このままだと不味いかしらァ……?)


 つい先程まで自分と話していた三人──特に、あの双子の異質さを本能から、もしくは過去の壮絶な経験から感じ取っていた彼は明日までに何かしらの対策でも立てておくべきかと考慮しようとしていたのだが。



 すぐに、その考えを取りやめた。



 それでは何の面白みも──スリルもないから。



「……ふふ、どうしてくれようかしらねぇ……♡」



 そんな言葉とともに浮かべていた表情は、マネッタたち組合員が湛えていたものと──よく、似ていた。

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