第104話 覚醒する【盾】

 時は、ほんの少しだけ遡る──。


 クラリアやガレーネに【コール】による伝達が届いたのは数分前の出来事であり、その場に王城のある中央区の方から【クローズ】を狭めていた者たちと、【サーチ】によって通り魔の現在位置を特定した者たちを合わせて三十名弱ほど居合わせる中、取り分け強そうな男が一人。


「──間違いねぇ。 こいつが例の通り魔だ」


「「「……!!」」」


 いかにも好戦的な表情を浮かべ、されど決して戦いを愉しむのではなく確実に仕留めるべく誰よりも集中していたのは、ヴァイシア騎士団一番隊隊長ハキム。


 彼は基本的に攻撃魔法を得手としているのだが、クラリアに代わり騎士や冒険者たちを統括する立場として、【クローズ】の構築や展開に一役買っていたようだ。


 彼の部下に当たる騎士たちや、また彼の事をよく知る冒険者たちは彼が嘘や冗談を言う男ではないと分かっているし、もっと言えばフェアトが手渡していた猫の模型によって通り魔の外見は全員が把握している。


 とはいえ実際に相対してみると目の前にいるのは完全に単なる猫であり、とてもではないが一ヶ月にも亘って王都に被害を出し続けている存在には見えない。



 これなら、すぐにでも──。



「!? おい──」



 そう考えてしまった騎士や冒険者たちが猫に向けて突撃、或いは魔法を放つのを止めようとしたハキムの声は、もう少し早ければ間に合うかもしれなかった。



 一つだけ言わせてもらえるとすれば、ハキム以外の者たちも決して油断や慢心をしていたわけではない。



 ただ──この地に住まう者の一人として、ここに居合わせた誰もが【ジカルミアの鎌鼬かまいたち】を討ちたいという強い感情を持ち、その感情が逸ってしまっただけ。



 だが、その感情の逸りこそが戦いにおいては命取りであり、それを証拠にハキムが瞬きをしたその一瞬。



 視界に映ったのは、あまりにも凄惨な光景で──。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 王都を包み込むほどに大きな鋼の硬度を持つ氷塊。


 その中心部に近づいていけばいくほど露骨に体感温度は低下していき、それでも特に寒いとは感じないフェアトはともかくとして、フェデルタに乗り王都を駆けるクラリアや、フェデルタの脚にも劣らない速度で王都にある家々の屋根を駆けるガレーネの息は白い。


 自分たちが創った模型馬もけいばよりも遥かに速く走るフェデルタの速度に、フェアトは何とか振り落とされまいとクラリアの腰の辺りにぎゅっと抱きついていたのだが、そんなクラリアの様子が変わった事に気がつき。


「……クラリアさん? 何かあったんですか……?」


 乗馬、或いは【コール】による通信に集中しているのかもしれないのだから邪魔するのは悪いと考えながらも控えめに声をかけると、クラリアは振り返らぬまま。


「……【光伝コール】が完全に途切れた……おそらくは」


「……!」


 つい先程まで交信していた筈の部下との【光伝コール】が途切れた事を口にしつつ悔しげに歯噛みしており、そんな彼女の横顔を見たフェアトはそれで全てを悟る。



 その部下とやらは、まず間違いなく──。



 フェアトが状況を察したのと同時に、クラリアがフェデルタに加速せよと命じようとした──その時。


「……私の方もだよ、クラリア。 それで、シルフたちに『何か知らないか』って聞いてみたんだけど──」


 どうやら家々の屋根を駆けながらも、そして未だに鳴り響き続けている大音量の金属音を耳にしながらもガレーネは二人の会話を聞いていたらしく、『あの子たちとも連絡が取れなくなった』と口にしつつ──。


「君のとこの一番隊隊長が、まだ戦ってるみたい」


「「……!!」」


 王都で生まれ育った者の顔や背格好は大体だが把握しているという風の精霊たちによると、ハキムが一人で【ジカルミアの鎌鼬かまいたち】と戦闘を繰り広げているらしく、それを聞いた二人は同時に顔を見合わせて頷き。


「急ぐぞ!! フェデルタ、最高速で頼む!!」


『ブルルル……!!』


「私も本気でいかないとだね……!」


『『『────♪』』』


 先程までも充分すぎるほど速かったが、どうやら本気ではなかったらしいフェデルタは主人からの頼みを受けた事により全身全霊で駆ける事を誓い、ガレーネも風の精霊シルフの力を借りて更に加速せんとする。



 こんな時でも、シルフたちは愉しげに笑っていた。



 もちろん、フェアトには見えていないのだが──。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 三人が現場へと辿り着いたのは、およそ数分後。


 ただでさえ数日前に自らの腹心リゼットを失っている身であるクラリアは、よもやハキムまでと考えてしまい気が気ではなかったものの、どうにか冷静さを保ちつつ。


「ハキム!! 無事──……か……」


 フェデルタに乗ったまま、ハキムの安否を確かめるべく思わず声を上げた彼女の視界に映ったのは──。



「……っ! これは……!!」


「「……!!」」



 死屍累々──。



 ──としか称する他のない凄惨な光景。



 これまでの被害者は皆、普段通りの生活はできなくなっても命までは奪われないという状態が殆どだった筈なのに、この場で地面に身を投げ出していた騎士や冒険者たちは一様に五体不満足のまま絶命している。


 この場まで騎士たちを乗せて懸命に走ってきたのだろう戦馬せんばも、その殆どが首や四肢、或いは胴体を削り取られ、もはや処分を待つだけの姿となっていた。



 だが、そんな彼らは皆──血を流してはいない。



 それもその筈、【電光石火リジェリティ】は光をも超える速度での移動を可能にする称号であり、ラキータに傷を負わされた者たちの身体は『傷つけられた事』に気がつかず、ゆえに血を流す事も痛みを感じる事もないのだ。


 とはいえ、これはラキータの意思によるものではなく、ジカルミアを覆った鋼の硬度を誇る氷塊を壊す為に光速を超えたラキータに突撃、或いは魔法を放とうとした騎士や冒険者たちが勝手に巻き込まれただけ。



 これが本来の、【電光石火リジェリティ】の力なのである。



 しかし、ラキータに対し突撃も魔法の行使もしていない筈のハキムも、どういうわけか膝をついており。


「……っ、クラリア、ガレーネ……フェアトもか」


「……肩と腕を、やられたのか」


「あぁ……すまねぇ。 あいつらを、護れなかった」


 息も絶え絶えといった具合の掠れた声とともに振り返ったハキムの左肩から先は、まるで砲丸を弾とした散弾でも受けたのかというほどの夥しい傷を負っており、もはや繋がっているのが不思議だったが唯一無事な左手の指が動いているのが余計に不気味さを増す。


 どうやら、ハキムは騎士や冒険者たちが削り取られた際に、ラキータの体当たりの余波が直撃しかけたものの、その余波を右腕を犠牲にして凌いだらしい。



 腕どころか肩まで持っていかれてしまっていたが。



 自分以外の全員が覆らぬ死に陥ってしまった事をハキムが悔いて、そんな彼を見たクラリアがフェデルタから降りつつ腰に差した剣を抜き放っていた一方で。


「あれが、【ジカルミアの鎌鼬かまいたち】──精霊たちの力を借りても見つけられなかった通り魔の正体なんだね」


「……」


「……フェアト?」


 ガレーネが、ただ一つ適性を持つ風属性の【クリエイト】にて創り上げた真空の弓を構えつつ覚悟を決める中、彼女から声をかけられても一切の反応を見せないフェアトに違和感を覚えた──その瞬間だった。


『──!! ふー……っ!!』


 それまで、どんなに攻撃ちょっかい受けてもかけられても気にする事さえしなかったラキータが【クローズ】への体当たりを中止し、これでもかというほどに全身の毛を逆立てて威嚇し始める。


「!! 来るか──」


 それを見たクラリアとガレーネは殆ど同じタイミングで超光速の特攻に対応するべく臨戦態勢を整えた。



 ──その時。



「なっ!?」


「あれっ?」



 ──ラキータが消えた。



 比喩などではなく、まさしく視界から消えたのだ。



 子供並みの動体視力や反射神経しか持ち合わせていないフェアトはともかく、ヴァイシア騎士団の団長であるクラリアや霊人の一種たる森人エルフのガレーネでさえも、ラキータの光を超えた速さに目が追いつかない。


 だが、それでも歴戦の強者として危機を予感したクラリアとガレーネは、すでに戦闘不能となっているハキムごと身を護る為に、それぞれが魔法を行使する。



 ──間もなく、ラキータが彼女たちに接近し。



「くぅっ!?」


 かたや、【光壁バリア】を展開しかけていた為か淡い純白の光を纏っていた剣で、クラリアは何とかラキータの体当たりを受け止めるのでなく受け流す事に成功し。


「危なっ!!」


 かたや、あらかじめ【風創クリエイト】で創っていた真空の弓を分解する事で風の通り路を生み出し、それによりガレーネはラキータの体当たりを逸らす事に成功する。



(……っ、不甲斐ねぇ……!)



 もちろん、この二人のお陰でハキムは無事だった。



 ……では、フェアトは?



「ぅ──」


「「フェアトっ!?」」


 当然ながら、クラリアやガレーネでさえ見切る事のできない一撃をフェアトが見切る事などできよう筈もなく、ラキータの体当たりを受けた彼女は割と遠くの方まで吹き飛ばされてしまい、それを見たクラリアとガレーネは思わず声を重ねるほど驚きを露わにする。


「無事か!? フェアト!!」


 クラリアが、すぐに反応して先程ハキムにかけたものと同じような声を、そこそこ離れたところまで飛ばされたフェアトに向けてかける中、当のフェアトは。


「……大丈夫です。 びっくりはしましたけど」


『……にゃあぁああ……!!』


 仰向けで地面に倒れたまま胸の辺りにラキータを乗せつつ、どうにも緊張感を思わせない平坦な声とともに片手をヒラヒラと振るも、あまりに余裕そうな態度を見せる彼女に白猫は牙を剥いて再び威嚇し始める。



 しかし、フェアトの態度は変わらない。



 どうせ効かないだろう──と分かっていたから。



 尤も、フェアトが知らないだけで彼女の姉が襲撃を受けた際に、すでに一撃を見舞われていたのだが。


「……私、無敵の【盾】なんて名乗る事もあるんですよ。 まぁ私が護るのは世界で一人だけなんですけど」


『にゃ……?』


 そんな中、至って冷静なフェアトは自分の方へ駆け寄ってこようとするクラリアやガレーネを手で制しつつ、あまりに突拍子もなく自分が無敵の【盾】であると語り出した事で、ラキータは首をかしげてしまう。



 ラキータでなくとも、きっと同じだっただろう。



「でもね? こうやって貴女の所業を見て、それじゃ駄目なんだって気づかされました。 この手の届く範囲くらいは護れなきゃいけないんです。 だって私は──」


 その後もフェアトの一人語りは止まらず、チラッと地面に転がっている騎士や冒険者たちの遺体を見遣りながらも、スカートのポケットを右手で漁って──。


「──勇者と聖女の娘なんですから」


『!?』


 そこから取り出した美しい水晶の欠片のようなものを見て──そして何よりフェアトが口にした衝撃の事実を聞いて、ラキータは小さな瞳を一気に見開いた。



 その水晶の煌めきも、フェアトの素性についても。



 ラキータは一瞬で全てを悟ってしまったから。



「力を貸してくれますか、シルド──貴女の全力を」


『りゅっ!!』


 そして、その手に持った水晶の欠片を未だ呆然としているラキータを通り越し、シルドに与えるべく左手の方へと移動させようとした時、フェアトがそうするよりも早くシルドは彼女の左手を無理やり動かしつつ指輪の一つを自分の顔に変えて、水晶を呑み込んだ。



 ──その瞬間。



『りゅうぅうう──りゅーーーーっ!!!』


『にゃあ"ぁっ!?』


 水晶を呑み込んだ顔だけではなく、フェアトが嵌めていた残り三つの指輪もが同時に強い光を放ち、シルドの咆哮を間近で受けたラキータは思わずフェアトの胸の上で耳を押さえたままうずくまってしまい──。


「な、何だ!? この神々しい光と咆哮は……っ!?」


「眩しいし、うるせぇが……目も耳も痛くねぇ……」


 その光や咆哮は当然ながらクラリアたちの方へも届いてはいたものの、ハキムの言葉にもあるように強く発光している筈の四色の光が彼らの目を焼く事もなければ、その咆哮が彼らの耳をつんざく事もなかった。



「あ、あれって……!」


 その一方で、ガレーネは淡く優しい四つの輝きに照らされながら、その光の中に薄らと映る巨大かつ荘厳な竜のシルエットに見覚えでもあったのか、透き通るような切れ長の瞳を丸くするほど呆然としてしまう。



 あれは、かつて絶滅した筈の──。



 そんな事を思案していたガレーネをよそに光と咆哮は次第に収束していき、そこには仰向けの姿勢から地面に座る姿勢へと変えていたフェアトと、フェアトの胸の上辺りに乗ったまま身を伏せているラキータと。



「──四つの、【盾】……?」



 きょとんとした表情で呟くガレーネの言葉通り、フェアトやラキータを取り囲むように宙に浮かぶ──。



 半透明で、そこそこの大きさを誇る四つの盾が存在し、それぞれ青、橙、藍、紫の四色に発光しており。



『な、うぅうう……!!』


 それを見たラキータは、ふわふわと自分の周囲を取り囲む四つの盾に、これまでにないほど最大限の警戒をしつつ決して迂闊に動く事なく威嚇し続けている。


 そんな折、先程まで嵌めていた筈の四つの指輪がなくなった左手を、ラキータの方へ向けたフェアトは。



「今この瞬間から私は──」



 何かを宣言するように口を開いたかと思えば、『いえ』と自らの発言を訂正するべく首を横に振り──。



は──無敵の【盾】です」


『りゅーっ!!』



 自分一人の力ではなくシルドの力も併せて初めて無敵の【盾】なのだと、そう宣言してみせたのだった。

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