第89話 朝の挨拶もそこそこに

 所変わって──。


 雲一つない爽やかな朝、相も変わらず四つの指輪と化したシルドを左手に嵌めたフェアトは、たった一人で王都ジカルミアの通りをゆっくりと歩いていた。


 王城から少し離れた位置にあるという、クラリアを始めとするヴァイシア騎士団の詰所へと向かう為に。


 本来なら、ガヤガヤと王都民や商人たちの影響で賑わっている筈の王都は──やはり、閑散としている。


(姉さんじゃないけど……やっぱり気味悪いよね)


 先日、姉が何の気なしに呟いた『静かすぎて気味が悪い』という言葉を、その時のフェアトは失礼だと咎めたものの、ハッキリ言えば何一つ間違っていないと思い直さざるを得ない状況にあるのだと理解した。


 フェアトの目には映らないが、この地に存在する家屋には様々な属性の精霊が宿り、そのせいもあってか普段なら王都民の目には神秘的な光景が映っている。



 これもまた、ジカルミアの自慢の一つなのだが。



 今の王都民に、その光景を慈しむ余裕はない。



 それもその筈、先日も通り魔が出没したせいで王都は動乱に包まれ、その影響か王都民は外出などしようとはせず、また商人たちも門兵から通り魔が出没したとの情報を耳聡く聞いて王都入りを断念していた。


 なるべく早く抜けてしまおう──と考えて歩みの速度を上げようにも、その辺の子供にも身体能力で劣る彼女では程度が知れており、ジカルミアの王城も位置する“中央区”の入口にある詰所に到着するまで実に。



 三十分弱ほどもかかってしまっていたのだった。



 痛痒はもちろん、どうやら疲労にも割と疎いらしいフェアトは大して疲れてなどいなかったものの。


(……何でこんなに王城と離れてるんだろ……)


 そんな事より国を護っている筈のヴァイシア騎士団の詰所と王城が離れている理由が分からず、されど考えても無駄だと判断したのか首を振ってから詰所の扉に近づき、そこそこ遠慮がちにノックしようと──。



 ──した、その瞬間。



「──あぁ、そっちも任せ……っと、フェアトか?」


 彼女がノックしようとした扉が独りでに開いたかと思えば、そこから顔馴染みの長身の男性騎士──ハキム=ファーノンが姿を現し、フェアトを視認する。


 怒りや戦いを愉しむ感情を除けば大人しい彼は、あまりに突然のフェアトとの邂逅に驚いた様子はない。


「わっ、ハキムさん? お、おはようございます……」


「おぅ。 で、どうした? こんな朝早くに」


 むしろ驚いていたのはフェアトの方であり、たどたどしい挨拶をしてしまった事に若干の気恥ずかしさを覚えていたのだが、そんなフェアトの羞恥など気にする事もなくハキムは彼女が来訪した理由を問うた。


「え、えぇ。 実はヴァイシア騎士団の方々に、お伝えしなければならない事があるんですが……えっと」


 それを受けたフェアトは気を取り直す為わざとらしく咳払いをしてから、『お話したい事が』と明かしたはいいが、そんな彼女の視界には詰所の中で忙しなく動く騎士たちが映っており、『お忙しいですか?』と問うてしまうのも仕方ないと言えば仕方ないだろう。


 尤も、そうやって忙しなく動いているのも通り魔が原因であり、フェアトが持ってきた情報一つで彼らの動きは随分と簡略化、或いは最適化する筈なのだが。


「あー、そうだな。 これから俺らは出かけるとこなんだが……歩きながらでもいいなら聞けると思うぜ?」


 一方で、ハキムは自分の赤い短髪をガリガリと掻きつつ、どこかへ出向かなければならないと告げながらも、どうやらフェアトの頼みを断るつもりはないらしく、その強面な表情で笑顔を作って答えてみせる。


「そう、ですか? それなら、お願いします」


「おぅよ。 さて、あいつはまだか──っと」


 彼なりの優しさなのだろう、と理解できたフェアトは同じように笑顔を浮かべて礼を述べ、それを見たハキムもまた笑みを見せた後、他にも出かける者がいると言って振り返ると、ちょうどそのタイミングで。


「待たせてすまない、ハキ──ん? フェアト?」


 やはり、かの通り魔を警戒しているのか動きやすさと魔法への耐性を兼ね備えた鎧を装備したクラリアが姿を現すと同時に、フェアトを視認し首をかしげる。


「おはようございます、クラリアさん」


「あぁ、おはよう。 どうしたんだ? こんな早くに」


 流石に二度目は驚かなかったフェアトが頭をぺこりと下げて挨拶をした事で、クラリアも同じく挨拶を返し、ハキムがしたのと似た質問をしようとするも。


「何か話があるんだとよ。 で、に向かう道中でいいなら話を聞くぜって事になってな」


「話を……そうか、もちろん構わないぞ」


 フェアトが口を開くよりも早く、ハキムが彼女の目的とその目的を達成する為に、とある場所への移動に同行させようと思う──と口にした事で、クラリアは考える間もなくフェアトの同行を了承してみせた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 その後、詰所を離れた三人は相も変わらず気味が悪いと言わざるを得ない閑散とした王都を歩いており。


「──で? 結局、話ってのは何なんだ?」


 ゆっくり朝食を楽しむ暇さえなかったのか、その手に持った世辞にも美味しそうには見えない、パンに魚の干物を挟んだだけの軽食を齧っていたハキムが先程のフェアトの話を思い返して何となしに声をかけた。


「それなんですけど……ちょっと、いいですか」


「「?」」


 それを受けたフェアトが念の為にと言わんばかりに辺りを見回した後、人目がない事を改めて確認してから二人を手招きした事で、クラリアとハキムは顔を見合わせ困惑しながらもフェアトの方へと顔を寄せる。


 近すぎず、されど遠すぎず──そんな距離まで寄せてきたのを見ていたフェアトは意を決して口を開き。



「──通り魔の正体、判明しましたよ」


「「なっ!?」」


「しーっ」


「「……!」」

 


 昨夜の出来事から得た情報の一つを伝えた瞬間、無理もないとはいえ目を剥いて驚いた二人は思わず声を上げてしまい、そんな二人に驚いたフェアトが唇に指を当てて『静かに』と暗に告げた事で、クラリアもハキムもほぼ同時に口を手で押さえて声を抑えていた。


 しばらく口を押さえたままの二人だったが、フェアトの衝撃の発言から数秒後にようやく手を離し──。


「……冗談では、ないんだな?」


「えぇ、もちろんです」


 目の前の少女──勇者と聖女の娘が、このようなタチの悪い嘘や冗談を口にする筈がないと分かっていても、その真偽を問わざるを得ない立場にあるクラリアが確認すると、フェアトは真剣な表情でそれを首肯。


「……で、どんなやつだった? 獣人か? 魔物か?」


 そんな二人のやりとりを見ていたハキムが、クラリア以上に神妙な表情と声音を持って、フェアトが見たという通り魔の正体について問いかけんとし──。



「猫です」


「「……はっ?」」



 それを受けたフェアトは至って真剣に通り魔の正体を口にしたのだが、あまりに突拍子もない情報だったゆえか、もしくはその情報の少なさゆえか、クラリアとハキムは揃って口をポカンと開けてしまっていた。


「ですから、猫だったんですよ。 まぁ、その猫が通り魔だと見抜いたのは私じゃなくて姉さんなんですが」


「スタークが……それで、どうしてその猫だと?」


「……実は昨夜に色々ありまして──」


 その反応も無理はない──と思いつつも覆しようのない事実である為に、フェアトが改めて通り魔の正体と、その正体を看破したのが自分ではなく姉なのだと明かし、クラリアは当然その根拠を確かめんとする。


 フェアトとしても根拠を語らない理由はない為、昨夜に王城の浴場で起きた出来事を詳らかに語った。


 浴場に設置された窓から侵入してきた事、随分とリスタルに懐いていた事、試しに姉が攻撃してみたところ姉の攻撃が削り取られたらしい事──などなど。


「……相変わらず無茶苦茶だな、あいつは」


 そう語り終えたフェアトの話を黙って聞いていたハキムは、スタークの後先を考えない破天荒さや、されど本質を見失わない直感の鋭さに、ある種の畏敬の念を抱きつつ、その真紅の髪を掻きながら苦笑する。


 現に、あの白猫が単なる動物だったのなら、リスタルの目の前で虐待どころか殺害をしてしまっていた筈であり、それを考えるとスタークの行動はとても褒められたものではないのだから仕方がないだろう。


「ま、待ってくれ、その話だとリスタル様が……!」


 その一方で、クラリアは『通り魔と王女が以前から接触していた』という部分に焦燥を覚えており、それが本当なら今この瞬間も安全ではないのでは──そんな考えに至った事で、あわあわとしてしまっている。


「大丈夫ですよ、リスタル様には姉さんがついてますから。 まぁ、そこまで考えたうえで王城に残ったのかと言われると……ちょっと微妙ではあるんですが」


「そ、そうか……それなら……いや、しかし……」


 まるで親か姉妹の如き感情を露わにするクラリアに対し、とりあえず落ち着かせるという意味でも『姉が城に残っているから有事の際でも問題ない』とフェアトが口にした事により、クラリアは納得しつつも安心はしきれないといったような呟きを漏らしていた。



 そんな彼女の心配は、そこまで間違ってはいない。



 何を隠そう、あくまでもスタークはノエルや国王と接触する為にと城に残ったのであって、リスタルを護る為に留守番を選んでいたわけではないのだから。



「……ハキム、悪いが──」


 それを察したからなのか、そうでないのかはともかくとして、クラリアは何かを頼み込むべくハキムの方へと真剣味を帯びた顔を向けんとしたものの──。


「言われなくても分かってる。 フェアトたちのお陰で通り魔の正体が判明した今、捜索に当たらせる人員は減らしても問題ねぇだろうからな。 そっちを回すぞ」


 彼女の言わんとしている事を先読みしていたハキムは、その手に『猫の模型』のようなものを携えながら頷き、この瞬間も忙しなく動いている部下たちの一部をリスタルの護衛に回せばいいんだろうと口にする。


 ちなみに、この猫の模型はフェアトが──というよりシルドが魔法で創ったものであり、つい先日の模型の馬とは違い属性が不足している為に動いたりはしないが、『それでもよければ』とハキムに渡していた。


「……あぁ、すまない。 へは私一人が顔を出せば充分だろうし、そちらは任せる」


 今の彼になら任せられるだろう──そう判断したクラリアは軽く頭を下げてから、つい先程から自分たちが出向こうとしていた場所へは自分とフェアトの二人で向かうと告げて、ハキムに後の事を一任する。


「了解──じゃあな、フェアト。 情報ありがとよ」


「いえ、これくらいは……ただ──」


 それを受けたハキムが籠手に刻まれた騎士団の紋章を見せるように拳を胸に当てつつ、かの通り魔についての情報提供への感謝を述べたが、フェアトとしては当たり前の事をしただけであり、それより言っておかなければならない事がある、と顔を上げんとするも。


「それも分かってる。 その猫を見つけたら、お前ら二人のどっちかだけでも必ず呼ぶから──頼んだぜ」


「……!」


 どうやら、ハキムはフェアトの言いたい事をも察していたらしく、その猫が並び立つ者たちシークエンスだというのなら自分たちでは敵わないだろうと自覚しているからこそ双子の力を借りたい、と口にして胸に当てていた拳をフェアトの前に出し、それを見たフェアトは──。


「……えぇ、必ず」


 彼の拳に自身の小さく綺麗な拳を当てて、その整った表情に使命感を帯びさせながら応えてみせていた。


「さて、フェアト。 私たちは先に向かうとしよう」


 足早に去っていくハキムを見送った後、気を取り直すように首を振ったクラリアが『先を急ごうか』と声をかけた事により、フェアトは首を縦に振りつつ『はい』と何気なく返事をしようとしたのだが──。


「……そういえば、どこに向かってるんですか?」


 よくよく考えると、クラリアたちがどこへ向かおうとしているのかを聞いていなかった事を思い返し、フェアトが今更ながらにおずおずと問いかける一方で。


「うん? あぁ、まだ伝えていなかったか」


 どうやらクラリアも行き先はおろか目的さえも話していなかった事に気がついたようで、『こほん』と一度だけわざとらしく咳払いしてから口を開き──。



「私たちが向かうのは──【冒険者】の“集会所”だ」



 当初、自分がハキムと二人で向かうつもりでいた目的地を、さも何でもないかのように告げてみせた。

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