第68話 まるで揺らめく炎のような
無論、剣と指輪に変化中の神晶竜を装備していたスタークとフェアトは真っ先に二体の異変を察知した。
「わっ!? し、シルド? 何を……」
かたや、これでもかというほどの勢いで『とある場所』へと左手を向けるように持ち上げられた事で。
「……何だ? 何に反応を──」
かたや、これまでと比べても大袈裟に思える震えを右手に持たされていた半透明の剣から感じた事で。
察知した──というより、させられたという表現の方が正しいかもしれないが……それはそれとして。
グイッと持ち上げられた左手が向いた方にフェアトが視線を遣り、そんな妹に釣られるようにスタークが同じ方へ顔をゆっくりと向けると、そこには──。
『──ぅるる……』
「ぇ、あ、あれは……!?」
「おい、マジかよ……っ!!」
クラリアに見放されたショックで呆然としてしまっていた、そんなリゼットの足元から地面を割るように顔を出す、めらめらと燃える小さな犬の姿があった。
──まだ、トレヴォンは生きていたのだ。
自分を小さな火種として切り離す事で──。
「っ、姉さん! まだ終わって──」
「分かってる! おい、そこ危ねぇぞ!!」
左手に嵌まる四つの指輪──もといシルドが四つの属性の魔力を充填し始めた事で、ようやく『戦いが終わっていない』と悟ったフェアトが姉に声を飛ばすよりも早く、スタークは疲弊しきった身体を立ち上がらせて叫びつつ剣を携え、リゼットの方へ駆けていき。
そんなスタークの声は思ったより大きく、クラリアやハキムたちにも届いたのか『何事だ』と振り返る。
「は……? だ、誰に言って──え?」
一方、自分に話しかけられたのかどうかすら判断できないほどに放心していたリゼットは、こちらへ迫真の表情で駆けて来るスタークをぼんやりと見ていたのだが、そんな少女の視線が自分ではなく自分の足元にある事に気がついて、ふと顔を下に向けると──。
『あれ? この人間さんもどこかで見たような気がするけど……ま、いいや。 これ以上ない
「……は、あ?」
きょとん──という擬音が聞こえてきそうなほどの間の抜けた表情と声音を持って自分を見上げる、ごくごく小さな犬が黒焦げの地面を割りつつ顔を見せた。
無論、『どこかで見たような』というのは間違いではなく、かつて魔族だった頃のトレヴォンと対峙した騎士団に、リゼットやハキムもいたというだけの話。
犬の形をした業炎──この時点で平静な状態のリゼットなら感づいたかもしれないが、あいにく今の彼女にまともな判断をしろという方が無理難題であり。
「何、これ……っ、だ、団長──」
されど、こんな状態でも『普通ではない』という事だけは何とか察せられたリゼットが一歩、また一歩と後ずさりながら、そこで起こりかけていた事態を理解しきれず困惑していたクラリアに手を伸ばそうと。
──した、その瞬間だった。
『えいっ』
「え──」
ふわっ、という音が聞こえてきそうなほど緩やかにトレヴォンがリゼットに向かって跳躍し、その小さな身体で彼女の胸当ての中心から少し左、心臓があるのだろう位置に飛び込んでいったかと思えば──。
──じゅっ。
と、そんな音とともに火種の犬がリゼットの胸当てを溶かすように貫き、そのまま身体の中に侵入する。
「はっ!? か、身体ん中に──」
「……リゼット? スタークも、どうし──」
それを見ていたスタークは驚くと同時に足を止めてしまい、クラリアはクラリアでスタークが何をしようとしたのかも、リゼットに何があったのかも分からず困惑を露わにしておそるおそる声をかけんとした。
──その時。
「ぁ、がはっ──ぁあ"ぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
「「「!?」」」
突如、身体を内側から焼き尽くされるような──いや、現に焼き尽くされているのだろう途方もない激痛がリゼットを襲うだけでは飽き足らず、そんな彼女の目や口といった部位からは村を壊滅させたものと同じ禍々しい業炎が止めどなく噴き出してしまっている。
生きながらにして灼熱地獄に堕ちた──と言われれば納得しかねない、それほどの凄惨な光景だった。
「り、リゼット!? スターク、何があった!?」
そんな光景を目の当たりにしたクラリアは、それでも団長らしく素早く気を取り直して自分よりは事情に詳しいだろうスタークに駆け寄り、問いかける。
「……悪い、倒し切れてなかったみてぇだ」
すると、スタークは未だに叫びを止めぬまま燃え続けているリゼットを見ながら強めに舌を打ち、彼女としては珍しく申し訳なさそうな声音で事実を告げた。
「何っ!? では、あれは……火災を起こした何者かがリゼットを襲っているのか!? くっ、リゼット!!」
「おい! そんな不用意に──」
瞬間、信じられないと疑うわけでも双子を責めるわけでもなく、クラリアは抜剣しつつリゼットに向けて駆け出していくも、いくら何でも危険だとスタークが彼女を止めるべく駆け出そうとした──その時。
「あ"ぁああああああああ──……ぁ、あ、う……」
それまで聞こえていた叫び、そして噴き出していた業炎もが次第に勢いが弱まった事で、クラリアは事態が収束したのかという希望的観測を持って足を止め。
「……り、リゼット……? 一体、何が──」
その口から黒煙を吐き出し、その瞳を焦がしたかのように黒く染めて空を仰いだまま立ちつくすリゼットに、クラリアが怪訝そうに声をかけようとする。
そして、すぐにでも焼け焦げた身体を癒す為に魔法を行使すべく剣に魔力を充填せんと──したのだが。
『──はぁ、よかった。 上手くいったみたいだね』
「!? お前は……! リゼットではないな!?」
その声音も表情も完全にリゼットのものではあったが、されど口調が違う事に異常を感じたクラリアは飛び退いて剣を構え直し、リゼットを癒す為ではなく何某かを討ち倒す為の魔法を行使する準備を始める。
すると、リゼットのような何かは口を歪めて嗤い。
『リゼットじゃないよ? 僕の名前はトレヴォン。 このリゼットって人の魂は僕の称号、【
今こうして会話している自分はリゼットではない事と、すでにリゼットの魂は自分が喰らった為に現世から消え失せたのだとあまりにもあっさりと明かした。
「と、トレヴォン……!? いや待て! それより、どういう事だ!? リゼットの魂を食べたなどと──」
一方、リゼット──もといトレヴォンが自身の名前を明かした事で、クラリアだけでなくハキムも目を剥いて驚いてしまっていたが、それよりも先に確認せねばと彼の技、【
──したものの。
『どういうも何も、そのままの意味だよ? いやぁ、やっぱり見込み通りだったね。 今まで食べた人間さんの魂の中ではダントツで美味しかったなぁ……』
「き、貴様……っ!!」
トレヴォンは精悍である筈のリゼットの顔で子供のようなあどけない表情を作りつつ、ぽんぽんとお腹の辺りを軽く叩いて『ご馳走さま』と微笑み、それを見たクラリアは悔しげに歯噛みしてしまっていた。
【
その効力もさる事ながら、この技の最も恐ろしいところは──
つまり──勇者が存命だった頃から、すでに最高の癒しの力を持っていた聖女レイティアでさえ、この技を受けた者を蘇らせる事は不可能であるという事だ。
無論、【
尤も、いつ何時どんな相手でも使える技ではないらしく、ある程度のダメージを自分が負っている状態で自分と同等かそれ以下の力を持つ者にしか使えないという割と限られた条件を持つ技だったようだが。
『この身体、凄く良いよ! 火属性への適性が高い事もそうだけど、この細い身体の奥底に眠ってた──』
その後、自分の焼け焦げた肩をぎゅっと抱くような姿勢で嗤うトレヴォンが、リゼットの身体や精神を乗っ取った兼ね合いで知識として得ていた彼女の火属性への高い適性がリゼットを選んだ理由の一つだと語りつつ、それ以上の理由がまだあるのだと息を吸い。
『──どろっどろの溶岩みたいに溶けて揺らめく炎のような想いが……っ、最高なんだよぉ……!!』
「「「……!!」」」
いかにも元魔族といった邪悪極まりない笑みとともに、リゼットの魂の奥底に秘められていた真っ黒な感情こそ彼女を選んだ第一の理由なのだと明かすと同時に、その背後に巨大な業炎の犬の首が三つ出現する。
スタークが討ち倒したものより小さくはあるが出力は明らかに大きく、まず間違いなくトレヴォンの力にリゼットの力が単純に足されているのだと──。
「っ、何をわけの分からない事を! いいから早く、その身体と魂をリゼットに返せ!! さもなくば──」
そんな中、現実を認められないのか認めたくないのか、その充分すぎるほどに魔力を充填した剣の先をトレヴォンに向けつつ叫び放ち、そんな彼女の後ろでハキムや騎士たちも臨戦態勢を整えていたのだが。
『……それができないって話をしたつもりだったんだけどなぁ……ま、いっか。 どのみち戦う気でいっぱいの子たちもいるし、こうなってからじゃ遅いよね』
トレヴォンとしては、『返す事はできない』という事実を前提として話をしていたのだとリゼットの表情で苦笑して頬を掻きつつも、クラリアたちより更に強い戦いの意思を自分に向ける双子へ目を向けてから。
『──さぁ、第二ラウンドの始まりだよ』
にっこりと嗤って──そう、告げてみせた。
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