第60話 一閃

 少し離れた位置で、フェアトに赤熱した大槌を振り下ろそうとしていたハキムの右手が破裂し、それどころか右腕にも赤いひびのようなものが走っている。


 それは、もしも【溶岩太鼓アグニドラム】を右手に受けたとしたら、そんな傷を負うだろうと容易に想像でき、その凄惨な光景を見た騎士たちが一様に言葉を失う中で。


「な……っ!? は、ハキム!? 何があった!?」


 突如、右手を失った事による激痛に左手で右手首を押さえつつ低い悲鳴を上げるハキムに、リゼットは何が起こったのか分からず声をかける事しかできない。


「た、隊長の手が……吹き飛んで……!?」


「何だ!? あの少女は今、何をした!?」


 そんな中、隊長の戦いを見守っていた騎士たちからは、その瞬間が見えていた筈なのだが──それでも正確に事態を把握する事はできず、ざわついてしまう。


「魔法を使ったようには見えなかったが……いや、それより隊長の手当てを急げ!! このままでは──」


 一方、手合わせをする場の準備を完了したという報告をクラリアにしていた一番隊の副隊長が、フェアトが魔法を使ってはいなかった事を看破しつつ、それどころではないと応急手当の用意をせんと──した時。



 そんな彼より早く、クラリアがハキムの傍に立ち。



「──【光癒ヒール】」


「っ、く、クラリアぁ……っ!」



 ハキムの手首に純白の光を纏った長剣を優しく押し当て、そこに展開された魔方陣から放出された癒しの光が出血と痛みを止めた事で、ハキムは治療してもらっているとは思えない鋭い眼光を彼女に向ける。



 わけも分からず少女に右手を吹き飛ばされた事も。



 立身出世を邪魔された相手に治療されている事も。



 悔しくて悔しくて──仕方がないのだろう。



 聖女レイティアや二体の神晶竜とは比べるべくもないとはいえ、クラリアの【光癒ヒール】も中々の回復力を持っているらしく、ジワジワと──ではあるものの失った筈の右手を再生させる為に肉が盛り上がっていき。


「しばらく大人しくしていろ、ハキム。 専門ではないから時間はかかるが、そのうち右手は元に戻る筈だ」


「……く、そ……っ!!」


 【神官】と呼ばれる光の使い手のみが就く事のできる回復や蘇生を生業とする者たちには効果も速度も劣る事を伝えると、ハキムは舌を打ちつつ黙りこむ。


 それを見届けたクラリアは剣を鞘に戻してから、おそらくハキムに何かをしたのだろう右手をにぎにぎとしていた無表情のフェアトに視線を向けたまま。


(……流石だな……フルール殿の教え子というだけはある──どうやら、も満更嘘ではなさそうだ)


 フルールから双子についての話を聞いた際に、スタークはともかくフェアトは彼女の教え子だと聞いていたらしく、その力を称賛しながらも──もう一つ、フルールから『他言無用で』と聞かされていた双子についてのとある話も信じざるを得ないかと独り言つ。



 その一方、右手をにぎにぎしていたフェアトは。



(【因果応報シカエシ】……上手くいってよかった……先生との練習以外で使うのは初めてだったけど、これなら)



 どうやら、【因果応報シカエシ】と名づけた『【盾】なりの反撃手段』が機能した事に、『歴戦の騎士に通用するなら元魔族相手でも大丈夫かもしれない』とフルールに心から感謝しつつ胸を撫で下ろしていたのだった。


 【因果応報シカエシ】──普段は傷つかないからと受け止めたり受け流したりしているだけの物理や魔法を問わない攻撃を、フェアトが受けた部位と同じ部位に跳ね返す無敵の【盾】が完成させた唯一の反撃手段。


 ただ、その辺の子供にも劣る反応速度しか持ち合わせていないフェアトが、しっかりと『右手に攻撃がくる』と理解し、よほど集中していないと跳ね返す事はできない──取り扱いの難しい反撃手段でもあった。


 ちなみに、いつもの無敵の状態は【存在証明カワラズ】と名づけたらしく、その名づけ親はフルールである。


「──さて、そちらの彼は退場するようですが?」


「うっ……わ、私はまだやれる! 侮るな!!」


「……そうですか、では──」


 その後、突然の事態に【闇眩ブラインド】も【氷縛バインド】も解いてしまっていたリゼットに目を向けるも、リゼットが若干だが未知の恐怖に身体を震わせながらも長剣を構えた事で、フェアトがゆっくりとを前に出した。



 ──その時。



「……おいこら、あたしを忘れてんじゃねぇぞ」



 おそらく、リゼットが魔法を解いた事で自由を取り戻したのだろうスタークが、服や髪についた氷の欠片を乱暴に払いつつフェアトの隣まで歩いてくる。


「……え、あぁ、姉さん。 無事でした──か?」


 一瞬、先生の事を考えていた事で姉の事を失念していたフェアトは、ほんの少しだけ面食らいながらも優しげな瞳を姉へと向けて声をかけようとしたものの。


「……何でちょっと火傷してるんです……?」


 そんな姉が、ところどころ肌や服を焦がしている事に気がつき、きょとんと小首をかしげてしまう。


 闇と氷の支援魔法、火傷する要素はない筈だが。


「……冷えたのをどうにかしようとしたんだろうよ」


(りゅー!)


「な、なるほど……?」


 どうやら、パイクは剣の状態のままスタークの冷え切った身体を何とかしようとし、リゼットが解除する前に【火解ブレイク】で魔方陣を燃やそうとしたらしく、そのせいで魔法に打たれ弱い彼女は火傷を負ったようだ。


「にしても騎士ってのぁ思った以上に……こう、せこい手使うんだな。 あの団長の格も知れるってもんだ」


「な、何だと……っ!?」


 そんな折、妹から視線を外したスタークが次に目を止めたのは離れた位置に立つリゼットであり、とりあえずとばかりに安い挑発をすると、リゼットはあまりにもあっさりとスタークの挑発に乗ってしまい。


「……私たちの……っ、団長を愚弄した罪は重いぞ!? ハキムの分も貴様に返してくれる!!」


 もはや手合わせという事も忘れてしまうほどに、そして思わず敬愛を超えたクラリアへの想いを口にしてしまうほどに怒り、再び剣に魔力を注ぎ始める。


(あの少女は異常なほど魔法に弱いと見ていい筈。 しかし、あの時の身体能力を考えると……とにかく、この距離を保ったまま魔法による遠隔攻撃を──)


 されど、リゼットはれっきとした副団長であり、そんな風に怒りに打ち震えながらも冷静に思考を巡らせる事は欠かさず、つい先程まで悲痛な叫びを上げていた少女の弱点をつく為の策を練りつつ剣からスタークへと視線を戻した──リゼットの視界の先に。



「ぇ、き、消え……!?」



 スタークの姿は──どこにもなかった。



 間違いなく、そこにいた筈だというのに。



「──ふ、副団長!! 後ろです!!」


「!?」



 その時、真剣な手合わせだからと余計な口出しは控えていた騎士たちだったが、ハキムの敗北を目の当たりにした事により黙っていられず声を飛ばし、それを受けたリゼットが『まさか』と背後へ振り向くと。



「何もかもが遅ぇ──あんた、本当に副団長か?」


「っな、あ──」



 そこには、すでに半透明の剣を抜き放つべく腰だめに構え終えたスタークの姿があり、それを見たリゼットは反射的に剣をスタークに振るわんとしたが──。



 ──もう、間に合わない。



「……一振り程度で壊れてくれるなよ」


(りゅーっ!!)



 これまで、あの辺境の地で試しに使った剣や槍、斧や槌といった武器は全て、スタークの力に耐えきれず一振りで、もしくは二振りで壊れてしまっていた。



 だからこそスタークは今、一見するとリゼットに向けた言葉のようにも聞こえる台詞を呟いてから──。



「──【竜剣一閃ヴルムソード】」



 その半透明な剣を──勢いよく抜き放った。



 魔法を使っていないにも関わらず、まず間違いなくクラリアの【光斬スラッシュ】を遥かに上回る超高威力の斬撃。



 尤も、スタークが素手で放つ手刀の方が強いが。



(死──)



 瞬間、リゼットの脳内にあまりにも明確な死のイメージが浮かんで、これまでの思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、スタークの剣がリゼットの身体を。



 両断する──その一瞬。



「──く……っ!!」


「ぇ、だ、団長……?」



 いつの間にかスタークとリゼットの間に割って入っていたクラリアが、その整った表情を苦痛に歪めつつも無敵の【矛】の剣戟を長剣で受け止めた事に、リゼットは驚きと困惑で脳内が一杯になってしまう。


「──ここまでだ。 異論はあるか? リゼット」


「しっ、しかし……! 私は……!」


 その後、同じく状況を理解しきれず首をかしげたスタークが剣を下ろしてから、クラリアが手合わせの終了を宣言するも、リゼットは納得がいかないようだ。


「リゼット、君も分かってるんだろう? 今の一撃、私が止めなければ──自分がイザイアスと同じように両断されて地面に転がっていただろうという事を」


「……っ!!」


 とはいえ一部始終を見ていたクラリアが、フルールから双子の強さの秘密を聞いていた事も相まって、あのまま斬撃を受ければ間違いなくあの咎人と同じ末路を辿っていたと語るとリゼットは悔しげに唇を噛む。


 クラリアの言う通り、彼女も分かっていたから。


「そして……スターク、見事な一撃だったよ。 まさか私が剣術で劣るとは思ってもみなかった──ほら」


「っ、団長の剣が! それに腕も……っ!!」


 翻って、クラリアがスタークに視線を移して少女の力を称賛しつつ、その剣をカツンと補強した地面にぶつけた瞬間、バキンと鈍い音を立てて砕けてしまう。


 どうやら、スタークの一撃を受け止めきれていなかったらしく、クラリアの剣もその剣を持っていた腕もボロボロに砕けてしまった事に、リゼットも騎士たちもその表情を驚愕の色に染めてしまっていた。



 実質、団長の敗北とも言えてしまえるから。



「……何つーか……スッキリしねぇ。 あたしも一撃を止められてるし、ここは引き分けって事にしようぜ」


 しかし、スタークとしては本来なら団長ごと両断できても不思議ではなかった一撃を、クラリアの剣術にいなされてしまった事に不満を覚えていた為、『いずれ決着けりはつけるからな』とも聞こえる言葉をかけた。


「……あぁ、ありがとう」


 それを察したクラリアは【光癒ヒール】でボロボロになった腕を、そして【土癒ヒール】で砕けた剣を修理しつつ、いかにもといった苦笑いを浮かべていたのだった。

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