第41話 頑張っても報われない?
以前、Twitterの『質問箱アプリ』で、『頑張っても報われない時って、どうやって乗り越えてますか?』というご質問をいただいた事があります。
私、あまり頑張らない人間なのですね(笑)。
楽し過ぎて夢中になってしまう事は、よくあるのですけれど。
質問者様は、聞く人を間違われたようですね。
自分以外の人による『評価』などによって『報われたと感じるか、報われなかったと感じるか』については、意識的に考えないようにしている気がします。
自分以外の人の気持ちって、その人だけのものであり、自分にはどうする事も出来ないからです。
どなたかが自分の小説にひょっこり遊びにいらして下されば、それはそれはもう嬉しくて舞い上がりますし、コメントや評価をいただいた時などは(厳しいご意見なども含め)、天にも昇る気持ちになります。
それによって『報われた』と感じたり、『一生懸命書いて本当に良かったー!』と感じる事は当然、今まで多々ありました。
でも私の中で一番『報われた』と感じるのって、『何かにチャレンジすることによって、自分自身が大いに楽しめた! ちょっとだけど、成長できた!』という瞬間なのですよね。
他人の評価というものは案外、当てになるようでならないものです。
人と自分の感覚ってどうしても異なるので、ズレが生じて当然なわけですしね。
その時の状況などによって、評価の内容が大なり小なり変化する場合もありますし。
誰かに対する『評価』そのものを、自分の影響力を増やすために利用する方もいらっしゃいます。
自分が報われるかどうかを、他人の言動や態度や判断や価値基準に全て委ねてしまったら、それこそ『人の評価によって報われるかどうか』にただ振り回されるだけの人間になってしまいます。
そんな気持ちでいるものですからね、ひねくれ者のじふちゃんは、人の『評価』は有難く受け止めつつ、それに振り回されたり『報われた!』だの『報われなかった!』だのと一喜一憂したりしないようにしております(笑)。
『頑張る』と『報われる』の捉え方の違いで答えが大きく変わるかも知れないので、人の評価を気にし過ぎない事はある意味、大変重要なのかも知れませんね。
際限が無い気がするんです。
どちらも。
『100%』の努力や苦労をした!
『85%』の成果や成功を獲得!
…って数値化されれば楽なんでしょうけどね。
結局自分自身が後から
『ここはこういう意味で頑張って、こういう部分は報われたよな。逆にこういう部分が努力不足だったから、こういう結果に終ったし報われなかったのかな? 分析するに次からは、こういう風にしてみたら、自分の期待通りの結果になるのかも知れないぞ。ふむふむ…』
と振り返って、もう1度頑張るための材料にしちゃえれば、それでいいやと思えるんです。
考え方ひとつだと思います。
100%報われた気持ちにならなくても、自分には残るものが何かしらある。
じふちゃんはそういう考え方で乗り越える…というより、何に対しても100%を求めないようにしています。
全部が全部報われて「嬉しいー! 最高ー!」みたいな状態になり、気持ちが100%スカッとする事って、滅多に無い様な気もしますしね。
でもやっぱり、いつもこんなに頑張っているのだから、ちょっとはスカッと報われたい!
ってなる事もありますけどね(笑)。
そんな時は、自分にとっておきのご褒美をあげるようにしております。
じふちゃんの場合は、ただただ美味しいものを食べたり、好きな物語に触れたり、たーくさん眠るのが自分へのご褒美になっちゃう場合が多いのですけれど(笑)。
あ、そうだ。
そろそろ、あの作家さんの素敵な小説を、読みに行かせていただこうかなー?
それとも映画を観に行こうかな?
舞台のチケットを予約しようかな?
大好きなアイドルグループが近々デビューするから、ファンクラブに入っちゃおうかな?
あとあと、ときめきメモリアルGS4と攻略本を買ったんだから、早く始めないといけません(笑)。
結構頑張っているんだから、このくらい自分にご褒美を与えて報われたっていいですよね?!!
……もしかしてこれって。
報われるんじゃなくてただ、自分を甘やかし過ぎ(笑)?
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