43. アリクイ


 家に帰ってもミイの姿はなかった。部屋は出ていった時のままで、めちゃくちゃに散らかったままだった。


 スマホが無いので、バニラに連絡を取ることもできない。公衆電話から自分のスマホに電話をかけてみたが、繋がるはずもなかった。


 あてもなく新宿あたりを歩いていると、視界の端にリンスーが客引きをしているのが見えた。俺の姿を見とめると、彼女はニヤリと笑って駆け寄ってきた。


「どーん!」


 走ってきたお尻をサッと避ける。俺が逃げたので、リンスーは驚いたような顔をした。


「よけたアル?」


「もう同じ手にはひっかからないですよ」


「今度はもっと勢い良くぶつけに行くアル」


「そう言うの良いですから。怪我しそうなことはやめましょう」


「それもそうだネ。ところでどうアル? 閉店セールやってるヨ」


「閉店?」


「そうアル。今日で最後アル」


 いきなりですかと言うと、リンスーは残念そうにうなずいた。


「ちょっと嫌なところに目をつけられたアル。だから、今日が最後の稼ぎどきアル」


「何ですかそれ。嫌なところ?」


「あまり表では口に出せないようなところネ。アリクイみたいにチューチュー金を吸われる前に、夜逃げすることにしたアル」


「ちょっとまじで大丈夫ですか」


「今のところは大丈夫アルね。すぐに危なくなるので、この街を離れることにしたアル」


「せっかく仲良くなれたと思ったのに」


 リンスーも残念そうに肩を落とした。


「今度はどこに行くんですか」


「どこだろうネ。もうこの業界から足を洗う気持ちが強いヨ」


「マッサージ店とかどうでしょう。さっきの、めちゃくちゃ良かったです」


「やりたい気持ちは山々だけど、ビザがないから困ったもんだネ」


「不法滞在?」


「本当に困ったネ。まぁどうにかなるアル。貯金はたまったので、故郷に帰ることも考えているアル」


「あまりこんなところで喋れることでもないんですが。気をつけてくださいね。本当に」


「大丈夫だヨ。サキこそ、女に刺されないように気を付けるアル。モテるからって、見境なく女に手を出して、刺されても知らないアル」


「もうケリはつけましたよ」


「さすが、チンコが元気な男はやることが違うアル」


「やめてくださいって。ところでスマホ持ってます?」


「持ってるヨ」


「バニラさんに連絡取りたいんです」


 任せるアル、と言った彼女はポケットからスマホを取り出すと、元気な声で言った。


「バニラ、悪いネ風邪のところ。絶倫チンコから電話アル」


「おい」


「はい。繋がったヨ」


 リンスーからスマホを渡される。画面はバキバキにヒビが入っていた。電話を取ると、昨日より鼻声になっているバニラの声が聞こえてきた。


「あ、やっぱりサキくんのことだったんだ」


「やっぱりって」


「他に誰がいるのよ。それで、どうしたの?」


 バニラにミイがいなくなったことを話す。彼女は呆れたように言葉を返してきた。


「え? また見失った?」


「それでスマホも奪われてしまって」


「公園でブランコこいでたんでしょ。説得できなかったの?」


「説得はしたんですけど、睡眠薬使って眠らされてしまったんです」


「あらまあ。ひょっとして未練あるそぶりでも見せた?」


「あー」


「バカだねえ。油断しちゃダメだよ」


 ずず、と鼻をすすってバニラは言った。


「そしたらミイちゃんは阻止しにかかるに決まってるでしょ」


「今となっては、分かります」


「ていうか、幼なじみちゃんには会えたんだ」


「会えました。ちゃんと」


「がんばったね。偉い偉い」


「それでミイを預かることに決めたんですけど、肝心のあいつの姿が見当たらなくて。バニラさん、どこか見当つきませんか」


「うーん」


 悩んだようにうなった彼女は、残念そうに言った。


「ごめん。頭働かない」


「すいません。風邪ひかせたのもこっちなのに」


「いやいや。あれはその場のノリ。見当はつかないけど、東京にはいると思う」


「本当ですか」


「たぶんね。今回は怒っているんじゃなくて、悲しんでいるから。きっと近くて遠いような場所」


「知っている場所ですね」


「どうだろうね」


 それ以上は分からないよ、とバニラは残念そうに返した。


「財布を置いていったなら、お金なくて漫画喫茶とかも使えないでしょ」


「それもそうだった。もうちょっと冷静になるべきでした」


「私に推測できるのはそれくらいかな。後は頑張って探すしかないね。応援したいのはやまやまだけど、ごめん、頭痛い。あうあう」


 それじゃと倒れるようにバニラは電話を切った。

 絞られたとは言え、まだ情報が少ない。もうすぐ夜になってくるし、早く見つけないと万が一ということもある。


「リンスー、スマホありがとう」 


「それ、あげるアル」


「え?」


「盗品アル。場所が割れたら困るから、サキにあげる」


「これ持ってて俺がやばいことになったりします?」


「ないヨ」


 たぶん、と一言付け足してリンスーはうなずいた。めちゃくちゃ怖かったので、やっぱり返すことにした。


「いらないアル?」


「気持ちだけで」


「残念。餞別せんべつの一つでもと思ったアル」


「餞別は送り出す方から渡すもんだけど」


 何かないかと思ってポケットの中を探ったが、ファミマでコーヒーを買った時の、くしゃくしゃのレシートしかなかった。


「今、渡せるものがない」


「良いアル。別れはいつだって唐突アル」


「そうは言っても何かないかな」


 リンスーは俺を見ながら、不思議そうにパチパチとまばたきしていた。


「別に気を使わなくて良いアル」


「いや、そうじゃなくて。色々してくれたからお礼の一つでもしたかったなと」


「お礼? 友達としてアル?」


「そんな感じ」


「ホウ」


「違うかな」


「違わないアル。サキがそう言うなら」


 リンスーは珍しく照れ臭そうに微笑んだ。


「じゃあ、次に暮らすところが決まったら連絡するアル。餞別はその時にもらうアル」


「なんか順番がはちゃめちゃな気がするけどオッケー。連絡先知らないけど。どうしよう」


「私からバニラに連絡するアル」


「約束ですよ。またどこかで会いましょう」


「そうネ」


 大きくうなずいた彼女は俺の背中に手を置くと、押し出した。


「妹ちゃん見つかると良いアルね」


「うん」


「さ。さっさと行くアル。またネ」


 またねと言葉を返して、ミイを探しに歩いていく。


 とりあえず、ミイが立ち寄りそうな場所をしらみ潰しに探すことにした。


 探し尽くして一周して同じ場所を通りかかった時、リンスーの姿はなかった。きっともうこの街には帰ってこないだろう。短い付き合いだったが、思っていた以上に寂しい気持ちになった。


 辺りは夜になった。


 繁華街に人が増えていく。


 路地裏、公園、駅の構内。


 思いつく限りのところを探す。


 それでもミイはまだ見つからなかった。

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