第62話 トーリの過去とちょっとビリー 2

 トーリはセージと共に回復薬などを作り始めてからは毎日時間が足りないと思っていた。山ほど研究したいことが出てきたのだ。

 もちろんハイエルフの薬師の書を見て作るので、高品質の薬品は確実に作ることができる。

 しかし、そこで終わりではなく、その先へ進む。


「なかなか上級薬師の書が見つかりませんね。粗悪品の作り方は知られていますけど、使う原料が高くて無駄にできるほどのお金はありませんし。回復薬の改良でもしますか」


 その言葉を聞いたときは疑問符がわいた。

 ハイエルフのレシピは完璧ではなかったのか。

 トーリ、ひいてはエルフの常識とも言える考えは脆く崩れ去ることになる。


「エルフの里で品質が良くなるということは原料に差があるはずなんですよね。薬草の形の違いや採れる場所の違いを調べましょうか」


「今は生活魔法の水を使っていますが、攻撃魔法の水を使ったらどうなるんですかね。火魔法は……さすがに危険かな」


「粉末って粒度はどれくらいが良いんでしょうか。細かければ細かいほど良い? 分級してみますか」


「なぜ濾過ではなく蒸留なのかってことなんです。つまり、マイナス効果を持つ成分も薬草に含まれる可能性があるんですね。ということで、分留してみましょう。温度計って作れるのかな?」


 初歩的とも言えるHP回復薬の時点で次々と出てくるアイディア。

 トーリには理解出来ない言葉も多く度々セージに聞いてメモを取った。


 セージの言ったことの全てが効果を示した訳ではないが、品質が上がることもあった。

 ただ、最初は品質が上がったことに気付いていなかった。

 鑑定結果が高品質のままだったからだ。

 変化したのは品質の表示ではなく量だったのである。


 回復薬系は200ミリリットルが基本で、それを飲みきることで効果を示す。

 動きの多い前衛ならまだしも、後衛の魔法士はMP回復薬に苦しめられることが多い。

 飲み過ぎた後に走って吐いたり、タイミング悪く魔物に会って戦闘中に漏らしたり、悲惨な事態を経験して強くなるとも言われている。


 200ミリリットル以下で効果を示すことに気付いたときが、トーリのハーフエルフ生で最も衝撃を受けた瞬間である。

 それを伝えられたセージは「おーそれは良いですね。もう少し減らして、100ミリリットルくらいにならないですかね」と言った。

 トーリはこの時のことをハーフエルフ生で最ももどかしい思いをした瞬間として覚えている。


 薬師の常識を覆す鮮烈な出来事であるにも関わらず「やっぱり体が小さいと量が飲めないんですよねー」と軽く言うセージ。

 驚天動地とも言える衝撃的な発見をした喜びを分かち合えず、かといって他人へ気軽に明かすことは出来ない。

 爆発するような喜びを分かち合いたいのに出来ない、そんなもどかしさで体が震えたのは初めてだった。


 凄いことなんだと主張しても、セージは「そうですね。素晴らしい発見です。品質を見極める指標ができましたから。これで研究が進みますね」と言った。

 そう言うことじゃないという思いと、ここからが始まりなのかという気付き。

 そして、研究と共にセージの神格化も進行した。


 途中でセージがガルフのところで修行を始めてしまったが、ランク上げのためだと言われると止めることもできない。

 そして、セージから研究を任せると言われ、不安とプレッシャーを感じながらも取り組んだ。


 トーリはセージから学んだことを基に、自らも考えて着々と品質を上げ、100ミリリットル程度で効く回復薬の調製に成功した。

 その日は興奮で眠れない夜を過ごし、翌日の早朝、セージのところへ行った。


「おっこれは! 素晴らしいですね! さすがトーリさんです! どうやって作ったんですか?」


 セージの言葉に、トーリは喜び勇んでどういう方法で作ったかを解説する。

 とうとうここまで到達したのかという達成感が身を駆け巡った。


「なるほど。あの仮説は正しそうですね。じゃあ理論段数を上げてみましょうか。下処理として油分を使ってみるのもありですね。あとはこれが他の回復薬系にも応用できるかが大きなポイントです」

 

 セージの言葉にしばし呆然とするトーリ。

 達成感に包まれたのも束の間、新たな課題が出てくる。全てやりきったという考えが幻想だったことを知った。

 そして、ストンと腑に落ちる感覚を味わった。


 ガルフと話をしたときセージのことを神の使者だと表現したが正しかった、あれは天啓だったと納得した。

 トーリは薬師としてハイエルフを超えて神の領域に至る道を歩んでいるのだと考えた。

 今まさにこれは神のお告げであり試練を与えて頂いているのだと理解し、さらに研究を進める日々が始まった。


 ある日、トーリはラングドン家の研究所長への打診を受けた。それは魅力的な提案だった。

 店の経営、常連客のための薬品作り、お金のやりくり、様々なことから解放されて、さらに研究を深めることができる。

 数年経ったにも関わらずHP・MP回復薬しか研究が進んでいないのは日々の生活があったからだ。


 最終的に、セージが研究所長、トーリが副所長になれた。この時にはもう神のお導きだと信じて疑わなかった。


 ラングドン家で副所長、実質所長として就任してからはスケールアップに悩んだ。一度で大量に作るとなると勝手が違う。そもそも器具を揃えるところから始めることも多い。

 しかし、トーリはセージから学んだことを実践し、成果を上げていった。この時にはトーリはセージと回復薬の製造について議論ができるほどになっていた。

 まだまだセージから学ぶことは多かったがそれでもトーリにとって一歩神の領域に近付いたと実感できることであった。


 セージが王都に行くことになり、秘密の頼まれ事を受けた。それは高品質MP回復薬のストックだ。神霊亀の戦いに備えて高品質薬が必要になるからである。

 まだ二年という時間はあったがトーリの中で最優先事項となり、早速最も高品質なものを貯めていくことに決めた。


 この時に作ったのがMP回復薬(満)、通称『エルフの霊薬』。

 その中でも、わずか50ミリリットル程度で効果を示す高品質中の高品質品を貯めていった。

 それは一リットルの高品質薬を精製して、100ミリリットルの最高品質薬を得るという方法だ。残りの9割は普通品質になるのだが、それでもエルフの霊薬には違いない。それを魔法騎士団に回していた。

 

 そして、トーリは他にも状態回復やステータスアップのアイテムを揃える。多くが高品質であったが、もうトーリにとって高品質の価値はそれほど高くなくなった。

 高品質の先を追い求めて、研究に没頭していく。


 そして、その名声は本人の知らないところで広まり、王国を超えてエルフの里コルホラにまで届くことになるのだが、それはまだ先のことである。



 ちなみに、魔法騎士団では『エルフの霊薬』が届けられたことに衝撃を受けていた。魔法を使うものなら誰でも知っている伝説の回復薬だ。

 学園卒で薬品にも詳しいレベッカは特に驚愕していた。『エルフの霊薬』の量産。それだけでも王国の研究所の中でトップと言える功績だ。


 ただ、実際のところレベッカや小隊長程度の実力にならないと意味がない。

 多くの団員はそんなにMPが高くないのでMP回復薬(上)で十分なのである。しかし、レベッカは魔法騎士団長としてMP回復薬(上)でいい、とは言えなかった。

 次々に供給される霊薬に、団員の実力を上げなければいけないと無駄にプレッシャーを感じるのであった。

 

 そして、元トーリの店のオーナーであるビリーは、王都の定宿でトーリが店を出ることや店番が代わることなどが書かれた手紙を受け取っていたのだが、まだ十年まで時間があるため帰らなかった。

 そして、全てを任せると手紙を送り、また旅立ったのである。


 ビリーの旅は決して順風満帆ではなく、つらいことが多かった。

 旅に出る前のイメージでは、美しい風景を眺めながら馬車に揺られ、町に着けば見たことのない料理に舌鼓をうち……というものであった。


 実際には馬車に長い間座って揺られているだけで腰が痛くなり疲労が貯まる。山の上の町に行ったときは膝を痛めてしまい、しばらく療養した。

 食事が合わないところでは腹痛に悩まされ、温泉の町では硫黄の匂いに慣れず頭痛が治まらないこともあった。

 HPは万能ではなく、頭痛、腹痛、腰や膝の痛みなど内側からのダメージは守ってくれない。それを痛感した日々。


 さらには、冒険者に裏切られて山賊や魔物に怯え、町中で盗賊に物を盗まれ、詐欺師に騙され金を失い、散々な目にもあった。

 もちろん良いこともある。町の人の優しさに触れることや雄大な景色を見て感動すること、聞いたこともなかった美味しい食べ物に出会うこと。

 けれど、町で暮らしていた時より、はるかに辛いことは多い。

 

 それでも旅を止めようとは思わなかった。

 夢が叶っている実感があったからだ。

 辛いことがあろうと、町で暮らしているときより幸せだった。九割が苦しくとも一割に心を揺さぶるものがあれば十分だったのだ。


 あと二年で60歳。

 人族は70歳まで生きる者が少ない世界である。

 体もお金も限界を迎えつつあるが十年の旅をやり遂げたいと思っていた。

 自らの夢を追い求め、ビリーは今日も新たな町へ向かう。

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