第40話 桜漬けの雪に転がる緑梅。首を傾げ、嘴で触れて、そして。薄空に雀が三羽。
「俺がさ。葵の罰になるわ」
胸を張る草玄の、そのやり切った感満載の顔に、イラっとした選択神様及びに孔冥。
選択神様は考えを撤廃しようかと思ったり、孔冥はこのまま天界に置き去りにしようかと思ったり。
汗なんか掻いてないくせに手の甲で額を拭うんじゃないよ。
「まあ別に理由は何でもいいよ、うん。神様不足でもないけど、どれだけいても困らないし、うん」
「なんか、神様ってみんな緩いんだな」
助かったけどよと、孔冥に同意を求めんと視線を送る草玄。孔冥はおもむろに頭を振った。
「だから天使たちが大忙しなんですよ」
「まあまあまあ、孔冥、うん。世の中には適材適所って言葉があってだね、うん。大体上司なんて緩い方がいいんだよ、うん。おかげで天界はうまく回っているだろ、うん」
「私たちのおかげですよね」
「そうそう、うん。そうやって、自分たちの生き甲斐を感じられるって素晴らしい事だよね、うん」
孔冥はイラっとした。寝転びながらも胸を張って、褒めてくれてもいいんだよとドヤ顔を見せつけて来る選択神様にイラっとした。
「まあまあまあ」
草玄は孔冥の両肩に手を添えては、ぽんぽんと二、三回優しく叩いて怒りを収めるように宥めた。孔冥は離れてくださいと冷たくあしらった。草玄は口を尖らせた。
「冷てえの」
「早く目的を果たしなさい」
「それもそうだな」
緩んだ顔を引き締めた草玄。選択神様の前で正座になって、雲の上に置いた両の手に重心をかけようとした。ら。ずぶずぶずぶと雲の中に沈みそうになって、慌てて腹筋を使い、雲の中に沈んだ両の手の救出を果たした。こほん。作り咳を出してから今度は細心の注意を払い、両の手に重心をかけて、僅かに前のめりになった。
「俺は恋の神様になりたいです。理由は葵の為です。神様になって永遠に葵に命を捧げ続けたいです」
「うん、いいよ。けど、一応神様だから、うん。恋の神様だって言うんなら、恋の応援をしなくちゃいけないよ、うん」
「具体的には何をすればいいんですか?」
「こうやって雲の上から頑張れーって応援するの。うん。具体的な事は天使たちがやってくれるから、うん」
「え?俺ずっと雲の上にいなくちゃなんねえんですか?」
青天の霹靂。もしそうだったら、葵が天界に来た時にしかイチャコラできない。
(いや。でも、それでも、俺は、)
「……一日の半分は天界で、あと半分を地上で過ごせないですか?」
「草玄」
「止めて。そんな目で俺を見ないで」
「気色悪い声を出さないでください」
「いやいやいや、うん。別に雲の上からじゃなくてもいいよ、うん。僕たちは好きで雲の上にいるだけだから、うん」
パアッと曇天の垣間から日が差すように、草玄は喜色満面になった。爛々と輝かせて目が痛い。
「じゃあずっと葵の傍にいていいんですね?」
「葵は逃げ回るだろうけどね、うん」
「大丈夫です。追いかけ続けますから」
「…まあ、うん。承認する前に一つだけ確認させて、うん」
「はい!」
「葵は神様が創った不死の薬を飲んで生き続けている事は知っていると思うけど、うん。その不死の薬って戯れに創られたものだから、不完全でもあるんだ、うん。つまり、葵は永久に生きるかもしれないし、そうではないかもしれない。うん。君は、それでも神様になるのかい、うん」
葵がいない世界でも生き続けられるか。
孔冥は注意深く草玄を見つめた。知っているのは、神様たちと自分だけ。葵すら知らない事実を目の当たりにして、動揺するのではないか。考えを改めるのではないか。
(なんて、要らない心配ですよね)
孔冥は一度目を伏せてから、微笑を浮かべて、草玄を正視した。
動揺など、欠片も見当たらない、自信に満ちた表情、佇まい。高く吊り上がった口元から威風堂々と発せられる宣言。
選択神様は草玄に是非を言い渡した。
カコォォォン。
葵と厳耕がタクシーの運ちゃんに連れて来られたのは、藁葺き屋根のとても趣のある小さな平屋であった。すでに連絡が入っていたのだろう。上品な妙齢の女性が玄関の前で出迎えてくれた。
玄関を除き、部屋は四つ。囲炉裏のある居間と、畳部屋の寝室、大人一人が手足を伸ばせるほどの露天温泉風呂、トイレである。
ここから歩いて十分ほどに建てられてある二階建ての一般住宅で作って持ってくるとの事。
ここは女性、
温泉地帯であるこの周辺は高確率で温泉が掘り当てられる事。
などなどを教えてもらった今、縁側でこじんまりとした庭園を眺めていた。
目隠し用に厳耕が立っても隠れるほどの笹で覆われ、白みがかった灰色の丸い石が敷き詰められた地面の上には、添水と赤茶色の丸い鉢が一つずつ。自宅で育てている植物を一鉢だけここに持ってくるのだそうだ。
どうぞおくつろぎください。
囲炉裏で沸かした湯で緑茶を淹れて、葵と厳耕へと手渡した佳乃。そう言っては、食事は七時でよろしいでしょうかと確認を取る。厳耕は葵に了承を求めては是との返事をもらい、佳乃にそれでいいと返した。
では失礼します。
佳乃が部屋を辞してから、カラカラと年月の経った玄関の開け閉めする音と、草鞋が地面を削る音を耳にしながら、緑茶を一口すすった二人。ほっ。と。安堵の息を小さく、柔らかく、下ろす。
爆ぜる竹炭。流れる水。打ち合う竹と石。緑茶をすする音。
薄い空。笹に絡まる枯れ蔓。添水。石の間から顔を覗かせる小さな雑草。緑茶。湯呑。両の掌。オンシジウム。別名、群雀蘭。一枚の花弁は山吹色で、茎に近く窄んだ箇所には赤い斑が点々と。
一人分空けられた隙間。意識するのは、
「超いい雰囲気のとこ悪いな、お二人さん」
「草玄」
聞き間違いかと思いきや、振り返った先にはやはり、突っ立っている草玄がいた。
ひらり。草玄は葵に手を振ってから、厳耕に視線を留める。
「少し面を貸してもらおうか」
「…葵殿。暫しの間、失礼する」
「…はい」
草玄にも、厳耕にも何も言えず、葵はただ首肯して、草玄と厳耕をその場で立ち上がる事なく見送った。
平屋の前の道を幾分か進んだ先、小川が流れる場所で、草玄は厳耕と相対した。
「俺がおっさんが死んだ後も葵の傍にい続けるから、安心しろ」
揺るぎない眼差しに、ふっと口元が綻ぶ。
「宣言するのが遅いな」
「うっせ」
「葵殿が私に想いを返した時に言うべきだった」
「口約束なんかにしたくなかったんだよ。確定させておきたかった」
「私に先に言っていいのか?」
「葵には、追々話すさ」
「…今日はこのまま葵殿と一晩過ごす」
ああ。明確に肯定した草玄。あのよ、と言葉を紡ぐ。
こんな光景を想像できようとは思いもしなかったが。
「偶には三人で過ごそうぜ」
「葵殿が了承したならな」
迷いない答えに、初めに抱いたのは面白くない。次いで、受け入れ。諦めではない。
だってこんなにも気分は晴れやかだ。
対抗はきっと、死んだとしても永遠に続く。それがどうした。望むところだ。
「今日はこのまま退散するけどよ。葵に指一本でも触れたら、葵に何を言われようが、ぜってー、おっさんとは会わさねえからな」
「器が大きくなったと思ったら」
呆れ顔に、ドヤ顔を返す。
「まだまだ成長過程だからな。おっさんとは違ってよ」
ひらひらと、草玄は背を向けては、片手を緩く上げて小さく振り、そのまま立ち去って行った。
「存外、そうでもない」
未知を吸収する事が成長と言うのなら。
「葵殿に手土産でも買って行くか」
名も知れぬ鳥の鳴き声を聞きながら、タクシーに乗っている途中で見つけた和菓子屋へと歩を進めて行った。
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