番外編 スチュアートの朝
非番の朝、廊下に出たロスは、となりのフィギー・ガブリエリ軍曹の個室から、フィギーとヘンリーが一緒に出てくるところに出くわした。
ロスは思わず「うわあ」と口の中でつぶやき、その場からスッと去ろうとした。
「待て待て!」とふたりはロスをひっ捕まえた。「おまえは今盛大に勘違いをしている!」
「いや別にお邪魔はしないんで、ご自由に、ごゆっくり」
「違うって言ってんのォ!」
「てか今のうわあっての、人事評価AIに感知されたらアレ的なアレでコトだぞ」
「朝となりの部屋から同僚がイチャつきながら出てきたら何のどんな組み合わせだろうがだれだって『うわあ』ってなるでしょ! それこそ人事評価AI沙汰じゃないスかね? お互いなんにも見なかったことにしましょ。では」
まくし立てて逃げようとするロスにしがみつき、ヘンリーは意味ありげな視線をフィギーに送った。「ダメだこりゃ。見てもらった方が話が早くないかね、ガブリエリ軍曹」
「そうだな、バウムガルト軍曹」フィギーはうなずくと、ロスの上腕を持ちやすいようにつかみなおした。「上官命令。来い」
「非番の日に階級出してくるの卑怯でしょ、ちょっと、離してください、助けてーッ!」
「朝から大声出すなよ」
部屋に連れ込まれたロスは椅子をすすめられ、デスクに着かされた。
「なんですか?」
「これを見ろ」
示された机の上を見ると、なにやらごちゃごちゃしたものが乗っている。
「なんですか?」とロスは繰り返した。
「ボードゲーム以外の何に見えるんだよ?」フィギーはじれったそうに言った。「おれらのオリジナルだ」
「はい?」
たしかに、盤と駒だ。手書きの文字や、廃材を工作したようなアイテムが、自家製であることをうかがわせる。
「昨日の仕事明けからずっとこれを作ってたんだ」
「明けから?」
「そう、プランナーはぼく、デザイナーはフィギー」とヘンリーが順番に自分たちを指さす。「仮に『火星基地ゲーム』と名づけた。これで遊んでみてくれない?」
「ええ?」
「おめでとう! おまえが世界初のプレイヤーだ!」
「頼むよロス、第三者の意見を聞きたいんだよう」
ロスが軍曹ふたりをよく観察してみると、なんとなく汚げで、ヨレヨレしており、目だけはギラついて、そして口数が多い。明らかに徹夜特有のハイテンションだ。当番日の仕事中に仮眠が取れていなければ、二晩続けて寝ていないということになる。疲れてくればやがては解放されるだろうと踏んで、「わかりましたよぉ」とおとなしく従うふりをした。「で、どうすればいいんです?」
「まず、職種を決める」
「職種?」と言いながら、渡されたサイコロを振った。ふたつのサイコロは二と五の目で止まる。
「えーと、七は……」ヘンリーは自作のメモを取り出して参照した。「おまえは偵察兵だ。給料日が来るたびに十五万マーズ稼げる」
「それってどのくらいなんです?」
ロスは一マーズは何ドルなのか訊ねたかったのだが、ヘンリーはこう答えた。「下から二番目だな。一番稼げるのは“指揮官”」
フィギーもサイコロを転がした。「おし、おれは衛生兵。月給四十五万マーズだ」
「これ、ここでプレイしたら、無駄な軋轢を生みません?」
「一回最後までやれ。ぼかぁ狙撃兵になった」ヘンリーは高らかに宣言した。「初任給を配るよォ!」
紙幣を模した紙切れ(基地長の肖像画が描いてある)を受け取りながら、ロスは確認を入れた。「そもそもどんなゲームなんですか、これ」
「火星基地の兵士になって火星開拓をするゲームだ」フィギーが補足する。「ちなみにこのゲームは二人から六人まで遊べる」
現実でさんざんやってるのに、なぜ余暇の時間まで火星で働かなくてはならないのか。起き抜けのロスの頭に疑問が募るが、「これはおまえの分身だ」と重々しく駒を渡され、ともかくプレイ開始だ。フィギーとヘンリーはそれぞれ、ベッドサイドテーブルと私物コンテナの上に腰掛ける。
「おまえから振っていいぞ。出た目の数だけマスを進める」
「すごろくですね」
「遊びやすさとルールのわかりやすさは大事だからな!」
「駒は火星探査車に乗せろ」フィギーが小さなローバーの模型を押しつけてきた。やたら精巧だ。
サイコロの出目は二だった。止まったマスの文章を読み上げる。「『火星人に襲われる。一回休み』――いきなり?」
「火星の洗礼と言ったら火星人だろ」
「まあそうですけど」二マス目から十マス目までは火星人関連の事故で埋められている。「これ地球に持って帰れないっスよ?」
「細かいことはいいんだよ。早く振れ、フィギー」
「あいよ」フィギーはそうした。「『部屋のベッドの下から、前の住人が残していったエッチなポスターが見つかる。十二マス進む』やったあ! エッチなポスターだ!」
「いくらなんでも進みすぎでしょ」
「アホめ、ここでのエッチなポスターの入手可能性の低さを考えろよ。希少なものには価値ってやつがあるじゃんか」
「まあそうですけど」
ヘンリーが粛々と賽を振る。「『ポーカーで負ける。五十万マーズ失う』か。けっ!」
「負け方ヤバすぎでしょ」
「ヘンリーがそのマスに止まるとシャレにならないなあ」
「課金はギャンブルじゃねえ! 『開発者さんありがとう』の気持ちだからァ!」
「ソシャゲ破産する人の考え方、怖いなあ」
マスを進むたび、ロスは地球からおやつを輸入しすぎて金を失ったり、故郷の家族になにかあって金を失ったりした一方、偵察兵としては順調に昇進した。
マーズ紙幣を整理しながらロスは言った。「おふたりは、なんで徹夜してまでこれを作ろうと思ったんですか?」
「ロスよ」とフィギー。「登山家はなぜ山に登るんだ?」
「え? そこに山があるからっス」
「そうだろ?」フィギーは叫んだ。「ボードゲームもそうなの! 作れそうなら作るんだよ! 理屈じゃねえんだ! わかったかアルピニスト!」
「自分、山がなくても山を作ったりはしませんけど」
「黙れ!」業を煮やしたヘンリーが脅した。「ゲームをやれ!」
「これハラスメントっスよ」ぶつぶつ言いながらロスはサイコロを転がした。「ん? なんですか、この赤いマス?」
「火星人襲来だ! 全員でサイコロを振って、合計二十以上なら“撃退”、いかなければ全員から十万マーズずつ没収」
「肉体へのダメージを懐のダメージに変換してるんすね」
「おまえもだいぶわかってきたじゃねえか」ヘンリーがニカッと笑う。目が血走っているのでかなり怖い。「はい、どんどん行くよォ」
ゲームは滞りなく進んでいった。
最後に「地球行きロケット」のマスで、サイコロで合計八以上の目を出さないと上がれないチャレンジを制すると、ロスは火星基地ゲームを一番乗りで上がった。
「上がりー」
「わあー」
「おめでとうー」
先に上がったにもかかわらず、ふたりの先輩からぱちぱちと温かな拍手を受け、ロスは心ならずもはにかむ。「ど、どうもス」
フィギーとヘンリーも相次いで上がる。
「はい、財産を数えてェ」ヘンリーが間延びした声で号令をかけた。「おいくらかなァ」
ロスは申告した。「二百二万マーズです」
「二百五十万マーズだ」とフィギー。
「ぼく十二万マーズ」
「ヘンリー先輩、財産がマイナスだった時期が長かったですね」
「憐みの目で見るな。ということでェ、一番財産の多いフィギーが優勝。素敵な老後が送れまァす」
フィギーがひらひらと両手を上げた。「やったあ」
「あの、ちょっといいですか」ロスはとうとう我慢できなくなった。「まあ、思ったより遊べましたけど……これ、もしかしなくても、人生ゲームっスよね?」
そのときにはもうすでに、フィギーとヘンリーはいびきをかいて眠り込んでいた。
(おわり)
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