番外編 ファッジ中尉の火星第七基地へようこそ!


 動画撮影の準備はオッケー。ファッジはカメラを自分に向け、録画ボタンを押すとしゃべり始めた。

「ハァイ! ネルガル・ディフェンス・サービスのアーニー・ファッジ中尉だ。今日は火星から、おれたちが暮らすこの第七基地を紹介していくぜ」

 端末を持ったまま、廊下を移動する。笑顔で。

「まずは給湯室から行こう」たまに振り返って、目線をカメラに合わせる。「火星で二番目にワクワクする場所だ。ここには栄養補給のための物資がそろってる。いつでも手軽にコーヒーブレイクができるって寸法だ。おれは甘めのコーヒーとロールケーキが好きだぜ。おや? だれか先客がいるようだな!」

 狙撃手と観測手のコンビが給湯室の作業台でなにやらやっている。

「羽生軍曹と歩兵ドロイドのマスタードだ。彼はおれと同じ高校出身なんだぜ。言っとくけど人間のほうな。ヘイ、なにしてるんだ?」

 羽生が答えた。「お茶の入れ方を教えてる」

「アンドロイドに?」

「やってみたいって言うから」ばつが悪そうだが、あたりがお湯でびちゃびちゃだからだろう。様子から察するに羽生の方のミスらしい。「さっき見た映画にアフタヌーンティーのシーンがあって」

「へえ。ちょっと教育の成果を見てみようか。マスタードちゃん! おれになにか飲み物を!」

「そこの蛇口をひねれば水が出てきますよ」

「有益な情報をありがとう! んん、軍曹、もう少し練習が必要なようだな?」

「はい中尉」

「うむ、よく励むべし。では、次の部屋に行こう!」

「あのな……」「『なにか飲み物を』というのは、お茶に限定されないのでは……」という会話が遠ざかる中、ファッジは通いなれた食堂へ向かった。

「ここは食堂! 火星で一番ワクワクする場所だぜ。広いだろう。ここは第七基地のメンバー全員が入っちまうくらいの広さがあるんだ。ま、実際に全員で食事をすることはないけどな。今は昼食が終わったところだが、まだだれか残ってるな?」

 食堂の片隅で、クリスがジャガイモの皮をむいていた。テーブルの片側に山と積まれたジャガイモ、もう片側に皮をむき終わったジャガイモがある。後者はまだ十個ほどだろうか。手は動いているが目が虚ろだ。首から段ボールの切れ端でできた札をぶら下げていた。〈わたしは冷凍庫のマンゴーシャーベットを全部食べました〉とフェルトペンで書いてある。

「おっとぉ……。コック長が狼藉者をひとり処刑したらしいな」

「助けてください」クリスが蚊の鳴くような声で言った。

「おれからフォローしておくと、彼はいつもはこんなにしおしおじゃない。勇敢な兵士で、とても立派な火星開拓者だ。みんなからの信頼も厚い」

「勘違いだったんです……一杯食べていいって言うから……」

「一スクープに決まってるだろ!」厨房の方から声が飛んできた。「だれが一バット食べていいっつうんだよ! お誕生日のお子様気分か?」

「おいしかった?」マンゴーシャーベットを食べていないファッジは訊ねた。

 クリスは味を思い出したか、そのときだけちょっぴり元気を取り戻した。「はい!」

「うむ! 謹んで皮むきを続けるべし。なにしてる、手を休めるな」

 クリスはむせび泣き、ファッジはカメラに向かってコメントした。「どんな屈強な兵士にも、うっかり屋な一面があるってことだな! じゃ、次の部屋に行こう」

「終わんないよぉ……」

 かぼそい嗚咽を背に、ファッジは食堂を出た。階段を下りて地下に行く。

「地下にも部屋があるぜ! ここはトレーニングルーム。鍛える場所だな! みんなの好きなプロテインのフレーバーはなんだろう? おれはチョコ……おやおや?」

「さあ張った張ったァ!」張り上げた大きな声が動画に収まる。「ほかに賭ける者はいないか? 現在マクルーダがやや優勢だよォ!」

 トレーニングルームの一角に人が集まっている。叫んでいるのはヘンリーだった。手元の箱でなにかを回収している。その後ろにランニングマシンが二台あり、それぞれの横でマクルーダとフィギーが首を回したり肘を伸ばしたりして準備運動をしていた。

 人の輪の一番外側にいた兵士に訊ねる。「なにやってんの?」

「あっ、指令……」彼はやばい、という顔をしたが、ファッジが笑顔なのでほっと緊張を解いた。「ランニングマシンで耐久レースをやるんです」

「ああ、だんだん速さの設定を上げてくやつ?」

「出そろいましたかねェ?」ヘンリーががなる。「それではァ、世紀の対決を始めまァす! 赤コーナー!」と言うが特にマシンに色分けはされていない。「自ら火星にやってきた命知らず! 学生時代はサッカー部で鳴らした男! そのヒラメ筋で何人の女をものにしてきたのか! フィギーィィィ……ガブリエリィィィ!」

 フィギーが両手を上げて応える。

「青コーナー! 地球に帰れば一家の大黒柱! 愛する家族に勝利を報告できるか? 趣味のマラソンで鍛えた大腿四頭筋が今うなりを上げる! ジャファルゥゥ……レェイ……マクルゥゥゥダァァァ!」

 マクルーダはどうもどうも、と照れつつ手を振りながら走行ベルトに乗る。

「ランニングマシンのスピード上げ係は、ド畜生で有名なロス伍長にやっていただきまァす」

 ロスは二台のマシンの真ん中に陣取った。「え、自分、ド畜生で有名なんですか?」

 ヘンリーはロスを無視した。「エグいスピードアップに両者はどこまでついて来られるのか? いい勝負になりそうですね。それではァ、位置についてェ」

「あんたはいい人だけど、負けねえよ。ことこの件についてはな」

「わたしだって。容赦しないよ」

 火花を散らす兵士ふたりを見ながら、隣の男に訊いた。「そもそも、なんでこんなことになってんの?」

「あのですね、互いに相容れない主張があって」

「めずらしいね。あのふたりはどっちかっていうと和を貴ぶ系だろ」

「よーい……スタート!」ヘンリーが腕を振り下ろす。「両者ゆっくりと走り出しました。負けられない戦いがここにある。この番組は炊事班の協賛でお送りいたします。さあスピードが上がった。二段階上がったでしょうか。まだ余裕のある表情です」

 ヘンリーに実況の才能があったとは知らなかったな、とファッジは頭の中の上司メモに書き込んでおく。いつ使えるかはわからないが。

「マクルーダ、第七基地随一のステイヤー、さすがの走りだ! 走ってきた47.195キロは伊達じゃなァァい! 対するガブリエリ、体を流れるイタリア人の血にかけてこの勝負負けられません! スタミナで劣る分短期で決着を付けたいところだがおおっとォ! ここで連続の速度アップ! ロス伍長の鬼畜のリモコンさばき! 上司相手でもまったく容赦しない! ド畜生ここに極まるゥ!」

「協力してるのになんなんすか! 帰りますよ?」ロスは言いながらも、ぽちぽちとボタンを押し、ベルトの速度がぎゅんぎゅん上がっていく。

「自覚一切なし! 恐ろしい子! ドSの純粋培養であります! 速度はすでに時速……おっとガブリエリ! 足運びが乱れてきたか?」

「しっかり走れ!」と野次馬。「おまえに賭けてんだぞ!」

「負けねえよ」息を切らしながらフィギーが言う。「この世の理ってやつを教えてやる!」

「食わず嫌いなだけじゃないか?」とマクルーダ。「これが終わったら一緒に食べよう」

のやつをな! うおおお!」

 沸く観客の中、ファッジは「マジでなんの話?」と先ほどの兵士に訊いた。

「ピザのトッピングにパイナップルはありかなしか問題です」

「うむ! 存分にやりあいたまえ」名残惜しそうな顔を作ってカメラを見る。「決着まで見届けたいが、次の部屋に行こうか」

 盛り上がる野次馬たちを後にし、ファッジはトレーニングルームから出た。

「なにごとにも全力で挑むのがNDS社員のいいところだなあ」しみじみと言いながら、階段の上まで戻る。「ちなみにおれはどっち派かというと……いや、やっぱり内緒にしておこう。いつか世の中から争いがなくなりますように。さてと、次にみんなに見せるのは風呂だ! 暮らすところの水回りは気になるよな? たしかにここは火星、使える水は限られてる。だがここは火星開拓の最先端、当然バスルームもエコなシステムが……」

 風呂場のドアが急に開いたため、ファッジはもんどりうって床に倒れた。

「あら、ファッジ? ごめんなさいね」

 ファッジは目を白黒させてシモンズ基地長を見上げた。鍛えられた体躯が、腰に巻いたタオル以外になにもつけていないことを把握すると同時に、そのあまりに頼りない布の結び目がゆるんでいくのを見とめた。ファッジ中尉がなすすべもなく床に這いつくばっているあいだ、仕事をしていたのは彼の手から投げ出された端末だけであった。



「あのね」とシモンズは言った。「生放送だったら大事故よ。……その手があったかって顔をしないの」

「なぜですか? アフタヌーンティーあり、イケメンの弱った姿あり、手に汗握る大勝負あり、基地長のポロリありで撮れ高バッチリですよ」

「羽生の水遊びはともかくとして、基地内の私刑と賭博とおっさんの裸、どれか一個でもレッドカードよ」

「賭博って言っても基地内通貨おかしですけども……」ファッジはシモンズの眼光の鋭さに身を縮めた。「あのう、基地長がなんで真っ裸で廊下に出てきたのかお伺いしても?」

「シャワーを浴びてる途中でお湯が出なくなったの。ネッドを呼ぼうとして」

「そいつは不運な」

「まったくよ」シモンズは濡れた髪をかき上げた。「確かに撮れって言ったわよ、新規採用者向けプロモーションビデオの材料に第七基地の映像が欲しいって本社が言ってきてるからなんか出さなきゃいけないわよ。でもね、そもそもの話、アナタの作るものってなんだか、こなれすぎなのよ。なんなの? 芸人?」

「すみません、なにをやってもうまくできてしまい、不徳の致すところ」

「とにかくボツよボツ、合同企業説明会で隣のブースの会社がハンカチ噛むようなスタイリッシュでハイセンスな映像にしてちょうだい」話は終わりとばかりに椅子を回して背を向けたシモンズは、そのまま一回転して正面に戻ってきた。「もとい」

「もとい?」

「それ、アタシに送ってくれる?」シモンズは付け加えた。「しかるべき部分にモザイクをかけてからね」



 その映像が、アメリカ航空宇宙局が火星遠征軍参加者から募っていた、小学生向けのイベントで流す宇宙開発最前線の映像のコンテスト「宇宙のおしごと知ってもらおうコンペ」に応募されていたことをファッジが知るのは、その三週間後のことであった。

 同時に落選も知った。



 ◇



 再生ボタンを押す。流れる動画を見ると、思わず笑みが浮かぶ。過酷な環境でも、へこたれずに自然体で過ごす兵士たちがいる。地球と変わらずに、バカ話に興じ、笑いあい、協力し合う人々がいる。

 ここは未来の火星の礎だ。それが、つらく苦しいだけのものでなくてよかった。

「やあ、おれたちの基地はよく見てもらえたかな?」ファッジ中尉がキメ顔で締めの言葉を言う。「みんなに会える日を楽しみにしているぜ! 第七基地から、アーニー・ファッジ中尉がお届けしました」

 火星第七基地。我々の基地だ。

 満足感を覚えながら、シモンズは端末の電源を落とした。



(おわり)



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