火星のどこかで待ち合わせ(後編)①
オリュンポス山が抱く平野は、恐ろしいほどの静寂で満たされていた――否、一帯を塗りつぶすような風の音が、巨大な宇宙の手に両耳をふさがれているような、そんな錯覚を起こさせていた。表層でうごめく怪物も、人間も、昆虫も、機械も、その手からは逃れることができないのだった。風は荒れ、土は舞い、岩石は佇み、山影はうつろう、その繰り返しが延々と続いている。
その荒野のただ中を、まっすぐな轍を残してバギーが走ってゆく。
「いやな風だ」運転席のスチュアート・ロス伍長はひとりごちた。
火星面用バギーは、シンプルなフレームに申し訳程度の座席と幌がついた代物だ。最近まで幌すらなかったらしい。吹き込む風とガタつく走路で、おだやかなドライブとはいかなかったが、ロスのひとりごとはインカムを通じて他の兵士全員に共有された。
「まったくだね」助手席の兵士が返事をしてやる。ジャファル=レイ・マクルーダ曹長相当は、端末に目を落とし、やおら付け加えた。「でも、もうすぐポイントAだ。あと五キロを切った」
「うす。先輩方、そろそろ着きます」
後部座席のフィギー・ガブリエリ軍曹は「あいよ」と返事をし、首を左右に倒した。ヘンリー・バウムガルト軍曹は黙ってアサルトライフルの銃身をなでている。
向かいの席のクリス・ピーターソン軍曹は、この中では最古参のメンバーだ。腕を組んだまま外を見ていたが、「あ」と声を上げた。「火星人」
すぐさま後ろに流れ去った光景ではあったが、ハンドルを持つロス以外の乗員は全員、その姿を目にした。火星人は荒野にポツンと佇んで、こちらに顔を向けていた。
「ほんとによォ」ヘンリーがつぶやいた。「ぞっとしない造形してるよなァ……」
「あれで結構、動きが速いのが最悪」フィギーが相槌を打った。
「前回は何匹仕留めたんだっけ」
「四十二」
「相手は何匹いるんだっけ?」
フィギーは片手を顔の横でくるくる回した。「いっぱい」
ヘンリーの両肩が脱力した。「やる気に満ちてくるようだぜ」
「まるでエミュー戦争みたいだね」マクルーダがつぶやいた。
「え?」とクリス。
「なんスか、それ?」とロス。
「オーストラリアであった、動物と人間の戦争だよ」マクルーダは説明した。「一九三〇年代だったかな。エミューという飛べない鳥が、農地に住み着いて作物を食い荒らすものだから、困った農家の人たちは軍に泣きついた。オーストラリア軍は軽機関銃と弾薬一万発を用意して、駆除に取り掛かったんだけど、エミューは近づくと逃げるし、てんでんバラバラに走るから、銃で狙いにくかった。銃の動作不良とかも重なって、作戦はかなり難航した。最終的に、到来したエミューは二万羽、殺せたのは千羽弱と言われている。軍隊は一か月後に撤退したんだ」
「え?」フィギーが声を上げた。「人間、負けたの!?」
「いや、まあ、目的を果たせなかったと言えばそうだけど……」
「なんで今その話するんですかあ」
「やる気に満ちてくるようだぜ」
「わあ、ごめんごめん。わたしたちはもうちょっと効率よくやってると思うよ」
「確かに」ロスが何気なく言った。「おれら、全体の何割殺したところなんでしょう? いてっ」
ヘンリーが手を伸ばし、ロスの肩を小突いたのだ。「景気のいい話をどうも」
フィギーが話題を変えた。「エミューと言えばさ、クリスが腕に飼ってるやつがそうじゃない?」
「惜しい」クリスが笑って答えた。「似てるけど違うんだな」
「あれ、何のタトゥー? ダチョウ?」
「うん、近いぞ」
「違うの? じゃあなんだろう。マニアックな鳥?」
「おっと。本当にそろそろ到着だ」マクルーダが声をかけた。「みなさん、準備しましょうか」
バギーは停止した。これ以上放置できないと判断された、大きな巣が近くにある。マクルーダから、ポイント到着の報告が第七基地に向けて発せられる。
作戦はシンプルだ。野生動物の狩りと同じ。追い込んで、殺す。くぼんだ地形へ群れを追い立てていき、逃げ道を奪って、あとはひたすら駆除していくだけだ。やつらは群れで行動するが、群れにはボス的な存在がいることがわかっている。ボスが死ぬと、群れは統制を失うので、そこを叩く。
「オーストラリア軍はともかくとしてだ。まるごと上から爆撃とかできねえのかなァ?」
荷台から重火器を降ろしながらぼやくヘンリーに、クリスが答える。「火星上空じゃ風が強すぎて、ドローンが飛べないって聞いたことあるから、難しいんじゃねえかな」
「だから、あいつらがいるんだろ」フィギーが言った。
「ああ……。今日はどのへんだっけ?」
「あのへんかな?」
フィギーとヘンリーはそろって遠くの岩山の上を眺め、「わかんない」「そりゃあな」と言い合った。
「爆撃で火星を穴だらけにするわけにもいかないしねえ」マクルーダが言う。
「もとからデコボコなんだから多少穴が増えたっていいだろうよ」
「そういうわけにもいかないですよ」ロスが異を唱えた。「最近は研究者や環境保護団体もうるさいですし」
「環境保護って、火星環境の?」信じられないというふうにヘンリーが眉をひそめた。
「そうですよ。知らないんスか? 今地球でめっちゃ話題じゃないですか」
「あいにく“推し”に関係ないことは興味がないんだよねェ」ヘンリーは肩をすくめ、ロスにずっしり重いライフルグレネードを渡した。「地球のホットな時事問題は、優秀なおまえが押さえといてくれ」
「現代社会に詳しいロス伍長、こっち手伝えよ」とクリス。
「おう識者、火炎放射器の予備燃料ってどこに乗せた?」とフィギー。
「なんスか?! おれそんなに変なこと言ってないっスよね! だいたいうちの飯だって……」
「車両班、無駄口を叩くなー」基地からの通信が割って入った。「作戦中だぞー」
火星面小型三輪
残ったヘンリー、フィギー、ロスのバギー班は、そこに留まって合図を待った。
通信機が告げた。「“ボス”の狙撃完了」
「来ました」
「よし、行きますかねェ」
フィギーは荷台に据え付けた機関銃に手を添えた。バギーが再び動き始めた。
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