火星のどこかで待ち合わせ(前編)④
アンドロイドを伴って羽生が基地に帰ると、ファッジがのしのしと歩いてきた。「MS!」とアンドロイドに向かって言う。「なにをしてたんだ?」
アンドロイドのアイカメラが瞬いた。「任務を遂行していました」
「そうじゃない。七
「第七基地の南西七十二キロ地点で通信装置が故障しましたが、ほかに支障がなかったため、任務を続行しました」
「そうか! おまえになんて任務を与えたかな?」
「『火星人の様子を見てこい。もし接触したら可能な限り殺せ』です」
「あ」ファッジは自分の命令ミスを認めたようだ。「報告期限をつけ忘れたか……わかったよ。得たデータを作戦部に回せ」
「了解しました」
「他に特異なことはあったか?」
羽生はファッジとアンドロイドのやりとりを眺めていた。近くでよく見るとわかったが、一週間荒野をさまよったアンドロイドはひどい汚れようだった。元が何色なのかわからない。ほとんどが火星の赤い砂ぼこりだが、火星人の血らしい黒い汚れがあちこちにこびりついていた。完全に二足歩行をしていて、武器を携帯しているところを見ると、戦闘支援の歩兵アンドロイドらしい。兵士の作業を肩代わりして戦場を円滑に回す役割のロボットだ。あそこまで速く、積極的に動くものは初めて見た。人の形をしているが顔に目鼻などはなく、目の代わりのカメラが時折光をともした。
ファッジは向き直った。「マサムネ、こいつがMS-T4000だ」
アンドロイドが訂正した。「MS-T4400です」
「だとよ。歩兵型戦闘支援アンドロイド。一週間前から行方不明だったが今発見になった。こいつは狙撃支援ができる」ファッジはバギーが引っぱってきた砲台ロボットの残骸をあごで指した。「さっきの戦闘でK-10がだめになった。今後はこいつを使っていこう」
「大丈夫なのかよ」
ひざのあたりから細く煙が上がっているが、「問題ありません」とアンドロイドは短く答えた。
「なんにしてもほかにないんだよ。悪いけど、新しい戦闘支援アンドロイドが来るまでは使ってもらうしかない。それか、昔ながらのやりかたでいくか、だ」
つまり、スコープ外からいつ襲ってくるかわからない火星人を警戒しながら、なにからなにまでひとりでやらなければならないということだ。当然できるが、観測手がいたほうが負担は減る。
「わかったよ」
「よし」ファッジがぱんと手を叩いた。「ユーザー登録を済ませておくか」
羽生はせきばらいした。「あー、MS-T4400?」
アンドロイドが反応した。「はい」
「ユーザー登録。ネルガル・ディフェンス・サービス火星課、狙撃班所属の、羽生マサムネ軍曹だ」
「はい」しばらく間があった。「狙撃手……、ハニー、軍曹、で、よろしいですか?」
ファッジと羽生は顔を見合わせた。
「おまえが悪いぞ」ファッジはおいおいと顔をしかめてみせた。「火星のロボットに、地球の極東の島国の言語なんか設定されてるわけないだろ?」
「次に火星に来るときはぴったりな名前に改名しておくよ」羽生は一音ずつ区切って言い直した。「は、にゅ、う」
「ハニー軍曹」
「だめだな。壊れてんじゃないの」
すかさずアンドロイドが口をはさんだ。「音声認識にノイズがあるようです。もう一度登録しますか?」
ファッジはとうとうこらえきれずに噴き出した。「もういいんじゃね? ハニー軍曹で」
羽生が異を唱えようとすると遠くでチャイムが鳴った。食事の時間の合図らしい。息も絶え絶えに「飯だ。行こうぜ」と言うファッジにしぶしぶ従う。
「あれはどうすんだ」
「大丈夫、自分でガレージに戻る」
羽生が振り向くと、その通り、きびすを返して歩き始めるMS-T4400の姿が見えた。機械油か返り血か、判別の付かない黒いしずくが後に点々と落ちていた。
勤務が終わった。次の部に引き継ぎ事項を伝達して解散だ。兵士たちは第一部、第二部、第三部に班分けされていて、羽生が配属されたのは第二部だ。三部に後を託し、自分は待機に入る。三交代制を採用している第七基地では、火星の一日ごとに、つまり二十四時間四十分ごとに当直班・待機班・非番班を交代する。当直が明けると、次の一日は待機の時間帯だ。仮に何か問題が起きて人手が足りない時、真っ先に叩き起こされるが、その二十四時間四十分が終われば、同じ時間だけ休日が待っている。第七基地で待機班の招集はほとんどないと聞いている。部屋に戻っていくらか寝るのがスタンダードな過ごし方だろう。
ミーティングルームの廊下にかかったホワイトボードに、「来週はハイパーチューズソル!」という文言があった。火星の一日は、地球の
「ヘイ、新入りだろ?」Tシャツ姿の黒髪の男が近寄ってくる。「よろしくな! おれはクリス・ピーターソンだ」
右手を差し出してきた。前腕を覆うようなタトゥーが目を奪う。直球のコミュニケーションにやや圧倒されながら、握手に応じる。「羽生マサムネ」
「ま、マサ……」
「ハニューでいい」
「いや、難しくないぞ。おれだってご先祖様に日本人がいるし。そのはず」あとでわかったが、彼はハワイ州出身で、日系三世だか四世だか、ということだった。「おれがピーターって呼ばれるようなものだもんな? そいつはなんとも具合が悪い。ましゃむ……」
羽生の隣の部屋で、同い年、海兵隊の出身だという。
「おれ、明日からそっちの部に入るから、よろしく! ああ、それな? 三十六日に一回、地球の時刻と火星の時刻が合うから、その日のことだよ」クリスは言い直した。「そのソルのことだ」
火星の
「ややこしいな」
「すぐ慣れる。一日にほんの四十分足すだけだ。それはそれとして、今話しかけたのなんでだと思う?」
「さあ」
「新入りにビールがある場所を教えてやるためだ。こんな重要な情報、もちろん、聞かないわけないよな?」
といったふうに、火星基地には嗜好品が提供されている。超長期滞在のストレスに対応するための、福利厚生の一環だ。新鮮な空気を作ってくれているテラフォーミング技術者たちに敬意を払って煙草はないが(「いや、マジな話かはわかんないけど」)、アルコールは食堂の大型冷蔵庫に、菓子は居住エリアにある給湯スペースに常備されている。簡素な袋に入った大豆のお菓子は、基地内で農作物の実験をしているノアという企業とネルガル炊事班のコラボ商品ということだった(「酒のアテになかなかいいんだぜ」)。たいていの兵士は酒とお菓子が大好きだ。ファッジのように、三か月に一度届く荷物に入れてお気に入りのスイーツを輸入する者もいた。もっとも、過度に摂取して体に影響が出るようなら、健康管理チームから注意勧告とヘルスケアプログラムへの誘いが届く。ネルガルの兵士たちの健康状態は正規軍と共通のチェックデバイスを使って常に把握されていた。耳もしくは手首に埋め込まれたチップは、この仕事をやめたらどうするんだろうとみんなが思っているが、誰も具体的なことは気にしなかった。
食べ物以外にも、適度な娯楽が用意されている。配られた端末から映像ライブラリや電子書籍につなぐことができるし、火星通信衛星を経由してインターネットも見られる(ついでに言えば監視されている。保秘の徹底のため)。運動は義務ではないが推奨されていて、地下一階にトレーニング設備がそろう。待機と非番、両方の兵士が使うので、このエリアにはだいたいいつでも誰かがいた。
「時におたく、ビールはどことか、こだわりはある?」
「特にない」
「じゃあよかった。ここのビールは全部“ホルス”のだ」クリスはホルスビールの缶をひとつ取って羽生に渡し、もう一本取るとこの場で開けて口を付けた。「んー! おれはここのが一番好き。ネルガルと業務提携してるって知ったときは神に感謝したもんよ」
羽生は思わず含み笑いを漏らした。
「なんかおれ、おかしいこと言った?」
「ネルガルは冥界の神だろ」
「ん? ああ、そうなの?」
「ホルスは天空の神。頭がハヤブサで両目が太陽と月」
「やばいな」
「そんなやつと、冥界のネルガルが手を組んでるなんて、おかしいなと思っただけだ」
「……はー」クリスは缶に描かれたハヤブサの絵と羽生の顔をしげしげと見比べた。「へー。そうなんだ。物知りなんだなあ」
「で、どっちの神に感謝したんだ?」
クリスはニヤッとして、缶をちょっと掲げてみせた。腕のタトゥーにダチョウみたいな首の長い鳥の絵があるのが見えた。「あいにくおれの神はひとりさ」
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