正体どこに③

【前日 10:30 p.m.】

 サミットでも出されたおいしいワインが空になると、チョコレートミントは新たに一本出してきたが、飲んでふたりは思わず顔を見合わせた。

「悪くないけど、こっちから飲むべきだったな」

「オッケー、サングリアにしよう」とミントは席を立った。ポピーシードがかごにいれてかざっているフルーツから、オレンジと洋梨を取る。ハニーがオレンジの皮をむいているあいだに、チョコレートミントはキッチンで洋梨を切りスパイスを集めてきた。まあまあ飲めるものができあがったところで、本日二回目の〈新たなる希望〉がスクリーンにかかった。

「いいよね、このコンビ」ふたりのドロイドが砂漠を歩いている場面になると、チョコレートミントはグラスを回しながら言った。「マスタードさん、こんな感じ?」

「どっちかっていうと敵のドロイドに似てる」

「うそ」

「自分で言ってたよ」

「いっしょに見たことあるの?」

「たまにな。基地でときどき上映会をやった。みんなが好きな映画を順番にかけて」

「楽しそうだね」

「ほかに娯楽もないしな」

「ねえハニー」

「なんだ?」

「訊いてもいい?」酒が入ったチョコレートミントの声は少しトーンが高い。「マスタードさんのこと」



【現在 10:40 a.m.】

 タブ上の点滅する光は、278号線を南に向かって進んでいた。車に乗ってるな、とハニーとメルバは首をかしげた。いったいなぜ? それに、どこへ向かっているんだか。シグナルを追ってトンネルを抜け、マンハッタン島を出る。かなりのスピードを出しているが、メルバはおかまいなしで「もっとスピード出ないの?」などとけしかけてきた。そのくせ「運転が荒い」と文句をつける。「これ手動運転? ポピーはもっとスッと車線変更するよ」

「あの人とくらべるのはやめてくれ」

「チョコレートミントがいなくなったらぼくの研究はおしまいだ」

「ぞっこんじゃねえか」

「そういう意味じゃないよ。彼女はぼくの研究に必要な人だ」

 ハニーは少しのあいだ考えをめぐらせた。「士気とか?」

「ほんとに叩き出すよ? だいたいね、睡眠を必要としない人間が、研究者の興味を引かないわけないだろ」

 そう言われればそうなのだが。先ほど研究対象とも口走っていたことだし。

「もともとボスも無眠症に興味があったんですか?」

「そりゃあね」

「……宇宙生物学となにか関係してる?」

「え? というかさ」メルバは説明しかけたが、再びタブに心を奪われた。「近づいてる。あと三百メートルくらいだぞ。さて、どれがミントだろう?」

 車線を移りながら、次々と車を追い越していく。チョコレートミントの位置情報に近づくにつれて、抜かすたびに運転手の顔を確かめるのが決まりのようになってきた。だが、チョコレートミントは見当たらない。

 車はとうとうミントの信号を追い越してしまった。

 自分で運転しているとは限らないということにメルバが気づいた。「運転手がいるのかな。それに、後ろの席にいたら見えないかも」

「席を倒してたらなおさらな」ハニーはなにげなく言った自分の言葉でとんでもないことに思い至った。「ボス、ミントが自分の意思で車に乗ってないとしたら」

「誘拐ってこと? それだと、さっきの『ギャーッ』の電話のあとでさらわれたことになるよね? 忙しいなあ、あいつも……。そもそもきみがミントから目を離すから」

「それは承知です、でも、このあたりの車はみんな見たでしょう」

 メルバはうなった。「もうちょっとくわしく表示できないかやってみる」

 そのとき、白い車が左側からハニーたちを抜いていった。続いて黒い車が通り過ぎ、速度を緩めることなく白い車に追突した。

 うわ、とメルバは声に出した。

 白い車はぐらついたもののそのまま走り続けている。黒い車は鼻先でがつんがつんと白い車の尻をつつき、それを振り切ろうと白い車はスピードを上げ、ハニーとメルバの車の前に割り込んできた。黒い車が後を追ってその身をねじ込んでくる。

「羽生!」メルバが身を乗り出してきた。「あれを追え! 白い車だ! あそこからミントの信号が出てるよ!」

 ハニーはアクセルを踏み込んだ。

 黒い車の窓からにゅっと拳銃を持った手が出てきて、白い車に向かって撃った。わっ、とまたもやメルバが声を上げる。「なんだあいつら! 羽生! 止めろ!」

「どっちを?」

「わかんない! 両方だよ!」メルバはじたばたと助手席に這い出してきた。

 白い車は右に左にゆれた。周囲の車からいっせいにクラクションが上がる。

 衝突おかまいなしにゴーワヌス・エクスプレスウェイを突き進む二台に追従する。黒い車にはなにやら人が大勢乗っているようだ。スモークのウィンドウが開き、サブマシンガンが突き出される。銃撃を受ける白い車の運転手は男だった。広い額に浮かぶ汗をぬぐっている。サイドミラーが粉々に飛び散り、破片がこっちのフロントまで飛んできた。

「仮説だけど」とメルバ。「あの男が誘拐犯で、黒い車の人たちは警察とかなんじゃないかな」

 窓の奥から手榴弾が投げられ、白い車のとなりにいたピックアップトラックがとばっちりでひっくり返った。本来の標的は黒煙を引いて走り続けている。

「仮説一は捨てる」

「それがいいでしょうね」

「仮説二。黒い車は殺し屋、あっちは追われるミントを助けてくれた通りすがりのいい人」

 ちょうど一番左の車線に入ったところだった。助手席から白い車の運転手がよく見えるはずだ。

「仮説二もだめだな」窓に額を押しつけてメルバが言った。「とてもそんな胆力のある男には見えない。汗がすごいし目が血走ってる」

「同感です」ハニーは拳銃を引っ張り出し、運転席の窓を開けた。「直接聞こう。ボス、ハンドルだけいいですか」

「え?」

 とまどうメルバにハンドルを持たせると、ハニーは窓から身を乗り出した。屋根越しに白い車に向けて撃つ。銃弾は前輪を射抜いた。白い車はがくんと揺れ、蛇行して中央分離帯に衝突して止まった。

 メルバがブレーキを踏むのに手間取ったせいで、車は少し離れたところに停車した。ふたりが車を飛び出したときには、すでに白い車は黒い車から降りてきた男たちに囲まれていた。

「やめろ!」手に手に銃をたずさえた連中に叫んだ。「撃つな!」

「だれだよ、おまえら」もっともな質問とサブマシンガンの銃口が上がった。「引っ込んでろ」

「警備だよ!」メルバが両腕を振り回す。「中に契約者が乗ってるかもしれないんだ! 車の中を見せてくれ」

 なるほどこういう言い方をするのか、とハニーは心の中でメモを取った。このあとどうやってこの連中を蹴散らすかということばかり考えていたのだ。

 男たちが互いに目くばせした。「コスチェンコが警備を?」「聞いたことないぞ」「そんな金ないだろ」

「コスチェンコって?」とメルバ。

 困惑した空気が広がったとき、低い声が響いた。「おい。話聞いてやれ……」

 サブマシンガンのやつらが居住まいを正すと、黒のバンの奥からひげ面の男が降りてきた。とてもじゃないがカタギとは思えない様相だ。「おう、にいちゃんたち……ありがとな……」

 メルバは心持ちハニーのほうに立ち位置をずらしたようだった。

「車を止めてくれて助かったぜ。コスチェンコの野郎、なかなかの運転しやがる……おまえら、撃つなよ!」ひげの男がつばを飛ばすと、ハニーとメルバに向いた銃口が下がった。「警備って言ったな? だが車を撃ったってことは、コスチェンコのじゃねえよな?」

 コスチェンコというのは白い車の運転席でがたがた震えている髪の薄い男で間違いないようだった。ハニーとメルバは後部座席を確認した。だれもいなかった。

 コスチェンコが引きずりだされた。ひいひい泣きながら連れて行かれる。

「こいつは――」ひげの親父が親指で彼を指した。「うちの社員なんだが、あー、今朝がた会社の大事なものを持ち逃げしてな。ま、内々の問題ってやつだ……気にすんな」

 気にするなというのは難しい話だったが、ハニーとメルバはぱっかり開いた白い車のトランクから目をそらそうと努めた。トランクにはなにやら粉の詰まったような袋がたくさん積んであり、マシンガンの男たちがそれをせっせと運び出していた。その中のひとりが、なにかをつまみ上げて親父のところへ持ってくる。

 チョコレートミントの携帯電話だった。

「ぼくたち、その持ち主を探してるんですけど、あの人に聞いてもらえませんか?」

 メルバがそう言ったせいで、バンの裏でなにかが行われたようだった。くぐもった悲鳴がたしかに二度上がり、やがてひげ親父がすまなさそうな顔でのっそりと姿を現した。

「知らないってよ。そんな女は見たこともないそうだ。なぜその携帯が車にあるのかもわからないらしい。やつは本当のことを言ってると思う……悪いが信じてもらうしかない」

「いえ、どうも」

「見つかるといいな。これもなにかの縁だ……なにか力になれることがあったら連絡してくれ」

 ハニーはもらった名刺をメルバに渡し、メルバはそれを不安げにためつすがめつしてから、礼儀としてポケットにしまった。名刺には「サンドフスキー製粉」とあった。

 ひげの男が車に戻ると、男どもは撤収作業をはじめた。

「じゃあ……」メルバが手をもみしぼる。「じゃあ、チョコレートミントはどこなんだ?」

 お手上げだった。すぐそばを車がびゅんびゅん通る道端でふたりは立ち尽くした。もうなんの手がかりもない。

「一度研究所に戻るべきでは?」バンに乗り込む男たちを見ながらハニーは言った。

 メルバは目を閉じた。「そうだな……うん、そうだ」

 研究所に戻ったところでどうなるわけでもないのはふたりともわかっていたが、高速道路のど真ん中で「もしチョコレートミントが帰ってこなかったらどうしよう」と考えはじめるのはあまりよくないことのような気がした。

 とぼとぼと車に向かっていると、電話が鳴った。メルバの電話だった。

「知らない番号だ。もしもし?」

 男の声が返ってきた。「あなたがメルバさん? ニューヘブンクラスト警察です。あなたの部下って女性が今こっちに来ててね、人を殺したとかなんとか言ってるんですが……」

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