グランドキルージョン④

「動きがないな」

 相棒のつぶやきに、殺し屋ソルトは顔を上げた。

 食堂棟を縄張りと定めて早数時間、三人を仕留めた。我ながら賢い選択だと思う。ここには飲み水があり、わずかながら食料も残っている。災害用の備蓄が放置されていたのだ。長期戦になった場合を想定してここにとどまっているのだが、思いのほか、同じことを考えるやつがいたようで、そいつらを迎撃するのに屋根の上はおあつらえ向きの場所だった。

 解体工事の延期と再開が繰り返された結果、食堂棟の周辺には重機が数台置きっぱなしになっている。その影に隠れて近づくのがソルト、上から見張り遠くから仕留めるのが相棒のヴィネガーだ。長い付き合いだ、互いの動きは手に取るようにわかる。

 今はソルトも屋根に上がり、会話でつかの間の退屈をまぎらわせていた。

 最初にふたりでやった仕事は駐車場の警備員だった。そこで意気投合したふたりは、金をためて無店舗型のデリバリーサービスを始め、それがうまくいかないとわかると業務用洗剤の販売員になった。ソルトがバリスタの、ヴィネガーがソムリエの資格を取ったのでカフェをはじめたが、画期的なクリーニングサービスを思いついたのでそっちをメインにし、飽きると中古車に手を出した。駐車券を切りながら自分の夢について語り合ったあの日から、ふたりはなにをするにもいっしょだ。もうかりそうなことならなんでもやった。ツアーガイド、イチゴ農家、食品加工工場、いろいろな仕事をしてきたが、直近のふたつは猟場管理人と銀行系の警備会社社員、そして今は独立したての治安維持業者というわけだ。

「残りは四人しかいないんだからな」ヴィネガーはくわえ煙草を揺らした。「ペースが落ちるのもしょうがないさ」

「そうだな」ソルトはしゃがれ声で答えた。若いころかかったのどの病気のせいでこの声になったのだ。その話をしてから、ヴィネガーの煙草に火がついているのを見たことがない。別に構わないと何度も言ったのに。「なあヴィネガー、どう思う?」

「噂どおりだな」短く答える。トーヤマアンドジョンソン警備で働いていたとき、フリーの殺し屋たちの噂は何度か耳にしていた。イカれたやつらの終着駅、金になる市場、めったに表に出ないという最強の殺し屋の伝説。研修と称した新人つぶし、バトルロイヤル賭博、殺し屋番付での成り上がりなどなど。

「おれはさ、ワークショップには裏ルールがあるってやつがどうにも気になるんだよな」

「主催側がモニターの向こうで採点してるっていう、あれか」

「そう」

「だとしても手の打ちようがない。それに」ヴィネガーが口の端をひん曲げる。「今のところは、そんなに悪くない評価だと思う」

「だな」ソルトは疑問を振り払った。「優勝賞金、なにに使う?」

「貯金」

「冗談だろ? せめてもっといい武器でも買おうぜ」

「おまえに金の管理をまかせておくとまた店がつぶれる」

「ビニールハウスはしょうがなかっただろ? あの年の雹は……」

「待て」ヴィネガーはソルトを制した。「だれか来たぞ」

 ふたりは体を屋根にぺったりと寝かせ、頭だけを出して下を見た。

 林から、猫背の男がどこか軽快な足取りで食堂棟に近づいてくる。ふと頭をもたげ、こちらを見て、おっ、という顔をした。

「ドリアンだな。すまん、目が合った」

「じゃ殺そう」

 ふたりは屋根を這いあがった。

 ドリアンに向かって続けざまに撃ち込むと、「あーっ、待て待て、撃たないで」と声が上がった。攻撃は重機の影に隠れてやりすごしたようだ。「ちょっとお話いいですか?」

 ショベルカーの端から手を出して振っている。撃つのをやめると、両手を上げてそろそろと出てきた。「おたくら、食料と飲み水持ってんだろ?」

 ソルトとヴィネガーはちらりと互いを見た。ヴィネガーは肩をすくめ、ボウガンに新しい矢を装填する。

「だったらなんだ、ナイフ野郎」

「そこでちょっと提案なんだが」

 それは最後まで聞けなかった。

 銃声で言葉が途切れた。ドリアンの首ががくりと折れ、前に倒れた。林の中から頭を撃たれたのだ。

 ふたりはぱっと屋根に伏せた。

「狙撃だ!」ソルトは声を上げた。

「そんなに遠くない」ヴィネガーが判断した。「林にいるな」

 ソルトは二丁のリボルバーの装填をたしかめた。「出る」

「援護する」相棒は口の端をちょっと上げた。「ご安全に」

 工場勤務のときよく使っていたその言葉に笑いながら屋根をすべり、壁の排水管をつたって地面に降りた。矢の援護の下、体を低くして一番近くの破砕機まで走る。重機のボディをキンと弾がかすめる。ひやりとしながら、クラッシャーの下から手だけ突き出して撃ち返した。かすかだが、草が揺れる音がする。当たらなかった、移動した。動きが速い。まず、動きを止めたいところだ。

 そこで矢の雨が茂みに降りそそぎ、ソルトはいいぞ、と口の中でつぶやいた。ボウガンの攻撃は襲撃者を追い立てて、やぶのすき間へとあぶり出した。

 彼とソルトは互いに相手を見た。

 妙な狙撃銃を携えた男だ。鋭い眼光と真一文字に引き結ばれた口元、そして顔に施された迷彩が今までの相手とは違うことを物語っていた。

 なるほど狙撃かとソルトは考えた。食堂棟の正面側はちょっとした広場をはさんで森に面している。今までの敵さんはその二百メートルほどの空間を越えて食堂に侵入することはなかった。接近して近づく奴は屋根の上から見えるので対処できた。頭上から射るなり、重機から奇襲なりができたが、こいつは違う。見張りの目が届かない林の中から、おれらの額を撃ち抜くチャンスを待って、いくらでも粘れる。おれたちが食堂棟を放棄しない限り。

 なので、ここで必ず、仕留めておく必要がある。

 食堂前に引きずり出すのだ。そうすれば、自分ができなくても、必ずヴィネガーが仕留められる。ああ、懐かしい。歓喜に似た感情に体がふるえる。密猟者を追うこの感覚が好きだった。前の仕事も、前の前の仕事も嫌いじゃなかった。今の仕事はもっと好きだ。

 木々の中に消えようとする男に追いすがる。待て、とヴィネガーから声がかかったと思うと、矢がひゅんと風を切った。灯油のにおいがふっと鼻についた。

 林の中で火の手が上がった。

 燃え上がる炎を避けて広場まで下がりつつ、高笑いしたい気分で、待った。まったく我が相棒は最高の仕事をしてくれるぜ! さあ、あぶり出してやれ。

 コンテナの後ろでなにかがさっと動き、ソルトは腕を上げた。銃声はほぼ同時に響いた。拳銃も持ってるのか。オートマチック、九ミリくらいか、と検討をつける。

 それぞれ標的に弾は当たらなかった。相手の位置を探りつつ、盾にする重機を次々に替えていく。相手の弾が頬を一閃し、ソルトは肩で血をぬぐった。あぶねえ! 射撃の名手かよ。こりゃとにかく、足を止めないと話にならねえな。ソルトはすばやくかがむと、ショベルカーの下から三発撃った。

 これも当たらなかったらしい。一瞬間が空いたあと、「てめえ!」と怒鳴る声がした。「足を狙いやがったな!」

「それがどうかしたかよ!」ソルトは叫び返した。「狙うだろ、そりゃ!」

「傷がついたらどうすんだ、クソ野郎!」と襲撃者。「どこのどいつだてめえは! 待ってろ、弾をありったけぶち込んでやるからな!」

「なんなんだよ」当惑が色濃く声に出る。「頭を狙えば満足だってのか?」

「次からそうしろ、タコ!」クレーンの後ろから気配が消えた。

「変なやつだな」

「気にするな!」と上からヴィネガーが言った。「どっかおかしいんだろ」

 ショベルカーのバスケットの下から様子をうかがうと、ひらめく服のすそが見えた。相手は鉄パイプの山の向こう側に回り込んだようだ。足場材が重ねて置いてある一角だ。ソルトは飛び出し、発砲した。

 銃弾が固定具を弾き飛ばし、鉄材の山を押した。金具や板ががらがらと音を立てて崩れていく。よし、これで動きを止めた。裏側に回り込む。

 鉄材の下にはだれもいなかった。

 しまった、わざとだ、誘い込まれたと気づいたときには、背後に奴がいた。

 左の太ももが焼けつき、ソルトはその場にくずおれた。手から拳銃が蹴飛ばされ、届かないところへ転がる。

 男が自分を見下ろしていた。泥かなにかを顔に塗りたくっているせいで異形の怪物のように見えた。なぜか拳銃を腰に差すと、背負っていたライフルの銃口を後頭部に押しつけてきた。

「やめろ!」

 思ったより近くからヴィネガーの声がしたのにソルトは仰天した。自分が撃たれるのを見て屋根から降りてきたのだ。「来るな!」とソルトは叫んだ。「いったん引け!」

「黙れ」男は鋭く言って、ソルトを蹴りつけた。銃創の激痛に目がくらむ。

 相棒のうなり声が聞こえる。「野郎、よくも」

「出るな、ヴィネガー!」

 遅かった。食堂棟の角から頭が出たその瞬間、銃声と共にヴィネガーの首が大きくのけぞった。手からボウガンがすべり落ち、そのあとを体が追いかけた。舞い上がる砂ぼこりが肩を包む。帽子が飛んで、ゆるくカーブを描いて転がっていく。ヴィネガー自身の足に当たって止まった。

 たばこが彼の口からこぼれ落ちたのを見たソルトは、小さくうめき声を上げると目を閉じた。

 次の銃声で意識が消えた。



 ハニーは長く息を吐き出し、銃を下ろして頬を手でこすった。即席の泥のペイントが乾いてぽろぽろと落ちる。

 ライフルに弾を込める。これで残りはあと三人だ。

 チャイムが鳴る。残り三人になったアナウンスだろうと思っていたので、「残り人数がふたりになりました」という発表に驚く。「七番と十四番、決勝戦はこのふたりです。ニッキーとハニーマスタード」

 ということは、あのじいさんはやられて、残ったのはあの探偵と自称していた優男だ。意外だった。虫も殺さないような顔をしていたが。

 一回切れた放送がノイズを流したので、ハニーは再び傾聴した。

「あ、あー」と響いてきた遠慮がちな声はニッキー・スペンスのものだ。「聞こえるかな……ハニーマスタードくん……最初にいた建物の裏手に、広い芝生のスペースがある……そこに来てくれ……さもなければ、お友達の命は保証しない」

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