グランドキルージョン③

 道中に何度か現れる工場内の地図の立て看板を参考に、敷地の四分の一ほどを探索したが、鍵が反応することはなかった。地道にいくしかないなと言いながらファッジがどこからかチョコバーを出してきたので、ハニーはこんなときだがおかしい気分になった。基地でも、派遣先でも、どんなところへもファッジはチョコバーを箱いっぱい持ち込んでいた。キャラメルチョコバーは酸素と同じだと主張しているのを聞いたことがある。ジャングルだろうが真空だろうが、チョコを持って行けないところには行かないと。

 ファッジは割れて落ちたナッツのかけらをぱっとキャッチして口に放り込んだ。「なんでおれ、こっち側なんだろうなあ」

 どうせ裏で糸を引いているんだろうと追及するのは後回しと決めたあとなので、ハニーは「なんでって?」とふつうに聞き返した。「殺し屋じゃないのに、って話?」

「そう。おれはあくまで仲介」チョコバーを噛みながらとつとつと話すファッジを見ると、これは本当にわからないことなのかもしれない。「ランキングにも載ってないから、おれが“ディスカッション”に参加するメリットは金しかない。不公平だろ? これは殺し屋のイベントであって、ふつう仲介業者は参加しないはずだ」

「というと?」

「はめられたのかもなあ」

「はめられた?」

「殺し屋番付の運営か、あるいは運営に太いパイプがある同業者かに、おれが邪魔なやつがいる、のかもしれん」くっくっと笑う。「だれだろうなあ。全然わからん」

「さんざん嫌われてるだろうしな」

「おっ、よくわかるね」

 余計なひと言がないので、考えが行きづまったらしい。「あいつは?」とネタを引っ張り出す。「じいさんと顔見知りだったろ」

「ああ、殺し屋ジャンドゥーヤね。あの人とは前に情報をやりとりしただけだよ」

「その割に警戒されていたような」

「あれだって相当ヤバい人なんだぞ。“復讐代行”なんだ。復讐に取りつかれた男で、復讐以外の依頼は受けないと明言している。自分の家族を殺した人物を二十年追いかけたあげくに殺害、以来復讐の魅力に取りつかれ、それだけが我が人生と気づいてしまった哀れな人だ。それで稼げるだけマシだが。まったくいい世の中だよな」

 ハニーが先を歩いていたのだが、そこでファッジを制した。声が聞こえたのだ。ハンドサインを送る。ファッジはチョコバーをポケットに突っ込み、体を低くしてハニーのあとに続いた。

 やぶの隙間から声がした方をうかがう。道路のまんなかでふたりの殺し屋が対峙していた。話題にしていたジャンドゥーヤと、探偵ニッキー・スペンスだ。互いに得物がある。槍を構えるジャンドゥーヤに対し、ニッキーが持っているのは黒い傘一本だった。ふたりとも体にあまり緊張が見られないので、殺し合う気は薄いのかもしれない。なにごとか話している。と、いきなり銃声がした。ハニーとファッジがいるのとは反対側のやぶから、銃を持った別の男が飛び出してきた。ジャンドゥーヤの反応はすさまじかった。腕を軸に槍を半回転させて持ち替えると、体をひねって投擲した。それは二発目の引き金を引くより早く男ののどに突き刺さった。ひと言、ふた言、言葉を交わすと、ジャンドゥーヤは槍を回収しに茂みへ分け入り、ニッキーは道の先へ走っていった。共通のピンチを脱したことで、互いに見逃したようなふしがあった。

「すごいな」

「じいさんもすごいが、見たか? ニッキー・スペンスも完全に反応してた」

「傘でなにができるわけでもないだろうが」ジャンドゥーヤが草の向こうへ消えていくのを確認して、ハニーは立ち上がった。「それらしいものを手に入れるっていうのは、いいアイデアだな。鉄パイプでもあればいいんだが」

「いや、あれは彼の武器だよ。うっ」

 ファッジのうめき声にハニーは振り返り、すんでのところで飛んできたナイフをよけた。肩からナイフの柄が突き出ているファッジの向こうに、刃物を複数もてあそぶ、やせた若い男がいた。舌打ちはファッジを一撃で仕留められなかったことか、それともハニーによけられたことか、あるいはその両方か。この男はさっき見たとハニーは思い出した。足を机に乗せていた……。ジャケットの内側にナイフがたくさん格納されているのが見えた。箱を開けたのだ。

「ナイフ使いのドリアンだな」ひざをついたファッジが言った。

「えっ、ご存じ?」片頬をゆがめるように笑う。「おれなかなか仕事来なくてさ。知名度低いみたいなんだよね。ほら……殺し方もふつうだし……だから、おれを知ってる人をあんまり殺したくないんだよな」と、一本新たに抜き出してひらめかせる。

「あ?」ハニーは強気に出た。「ナイフ投げで一撃必殺ができなかった時点でおまえは負けてんだよ。二対一だぞ。死にたくなかったらとっとと失せろ」

「いやあ、耳が痛いなあ」へらへらと笑いながらもドリアンの眼光は鋭い。広告料無料につられているタイプのようだ。「おっと、余計な動きはしないでほしいね」

 左足に伸ばした手をナイフの先で示すので、ハニーは動きを止めた。

「待てよハニーマスタード殿、この御仁、なかなか話がわかりそうじゃないか?」

 適当な御託で時間を稼ぐファッジの背中でハンドサインがひらめく。――合図する。二手に分かれよう。ライフルを早く探しに行け。

「話って?」

「この“ディスカッション”、いくつか勝ちパターンがある。そのうちのひとつが一時的に手を組むって話で」

 ファッジはなんの前兆もなく突然に、握った手の中のものをドリアンに投げつけた。右手いっぱいの土にドリアンがとっさに顔をかばう。アーモンドファッジとハニーはそれぞれ別の方向に走り出した。

 林の中を駆けながら、ハニーは自分に言い聞かせた。ファッジがただでおとりになるようなわけがない。まさか体を張って自分を逃がすなど、あるわけがない。なにかの作戦なのだろう。



 手近な建物に入ってみることにした。入る前にIQと話す。

「IQ、画像をサーモグラフィーにできたよな」

「できるよー」

「こっちに近づく熱を検知したら教えてくれ。そうだな、十メートル以内で。できるか?」

「まかせて!」

 錆が浮くドアから中にすべりこむ。鍵は壊されていた。

 動きを止めたラインのあいだを慎重に探索する。窓がどこか割れているのか、風が吹き抜けるようで、ときたまこだまする風音が不気味さをかもし出していた。ハニーははたと足を止めた。それに混じって、ピーというかすかな音が聞こえる。自分の鍵を見るが、ランプはついていない。「十二時方向に熱源感知」とIQが言った。「動きはないよ」

 音を頼りに進み、タンクの影に来たとき、人の足が目に入り、ハニーは息をひそめた。機械の隙間に見えるジーンズをはいた足は、ひざをついた形で動かない。「IQ?」

「動きないよ。脈拍もないよ」

 男だった。小さなコンテナのような、金属製の箱に覆いかぶさるように倒れている。ハニーは近づき、死んでいることをたしかめた。死体をあらためる。武器は持っていないが、右手に光る鍵を握っていた。ここまできて、箱を開けることなく死んだ。どうして? 一見したところでは、死因になるような外傷は見当たらない。

 死体から鍵をもぎ取ろうとして、少し考える。罠かもしれない。男がなんで死んでいるのかわからない以上、手を出さないほうがいいかもな。武器は欲しいところだが、ほかの殺し屋が仕掛けた罠や即席爆発装置IEDの可能性も考えて、そのまま建物を出ることにした。出る間際に、なにかのシャフトらしい金属の棒を拾った。とりあえず、物を持っていることを相手に視認させた方がいい。となりの棟へ向かおうと足をめぐらせたとき、例のピーという音がした。

 鍵の頭についたランプが点灯していた。近くにある。その場で円を描くように歩いて、方向を見定める。建物の裏手の方だ。

 古びた消火栓のそばに、箱があった。これだ。鍵穴に鍵を突っ込む。かちりと音がして、開いた。

 箱の中には、いつも持ち歩いている黒い肩掛けかばんが入っていた。チャックを開けて中身を見たハニーは、しばらく絶句した。――アーニー、あの野郎。

「だれか接近してくるよ」IQの警告が入った。

 ハニーはシャフトを右手に、箱を背に、低い姿勢で構えた。

 茂みの向こうから姿を現したのは女だった。すその長いチュニックを着た、そばかすの女――前の席にいた殺し屋だ。

「待って」女はゆっくりと言って、持っていたポーチを地面に落とすと、両手のひらをこちらに向けた。「ほら、なにも持ってない」

「それ以上、こっちに来るな」ハニーは言って、片手でかばんの中身を探った。

「なにも持ってない」女は繰り返した。「あたし、プラム」

 目がかすむような気がして、ハニーは強くまばたきをした。「そうか、プラム、それじゃあ、あんたは後ろを向いて、そのまま振り返らずに行ってくれ」

「なにもなかったみたいに?」

「そう」つばを飲み込む。「そうだ」

「助かる……ほら、力じゃ絶対かなわないから」

 返事ができなかった。

 視界がちらちらとまぶしく、立っていられず両膝をつく。

 動悸がひどい。呼吸が苦しい。

「ああ、効いてきた」プラムがほほえんだ。

 シャフトを取り落とし、ハニーは両手を見た。左手の親指に、点を打ったような小さな血のしずくがポツリとついている。さっきの、箱にもたれて死んでいた男……彼の指もこうだっただろうか……激しい鼓動が考えの邪魔をする。

「お庭に咲いたお花から自分で抽出したの。紫のかわいい花よ。やっぱり、なんでも自分で作らなくっちゃ、安心できないでしょ」

 彼女の声が降ってくる。殺し屋プラムは丸腰ではなかった。すでに自分の武器を手に入れていたのだ。

 しくじった、と地面にくずおれながら思う。くそったれ、羽生マサムネ、おまえは大バカ野郎だ。なんで爆弾が予期できて毒が予期できない? 前からそうだ、大局を見ないから詰めが甘いって、いつかマスタードにも指摘されただろう。

 ――マスタード……。

「ああ、とてもいいですね。やっぱり即死の毒はつまんない。自然にある毒でゆっくり殺すのがあたし、マイブームで……」

 左足を引き寄せる。服のすそをやっとのことでまくりあげる。すねの外側を探り、ある一点を押しながら、ぐっと手前に引く。グリップが引き出される。短針銃のグリップだ。

 プラムのおしゃべりが止まった。彼女にかかとを向けて、引き金を絞る。

 軽い銃声だった。単発式に設定されていたので、針は三発きりしかあたらなかった。たいした殺傷効果もない。だが十分だった。

 手の甲に刺さった針を、プラムは恐怖の目でまじまじと見た。

「なにか塗ってあるの?」彼女は叫び、針をつまんで投げ捨てた。倒れたハニーをゆすぶらんばかりの勢いで、「ねえ、なんなの?」

 答えず、ゆっくり首を振った。短針銃は、主に弾丸である針に毒を塗って使うことが多い。麻酔薬ということもあるが、毒を使う殺し屋プラムにそんな楽観的な考え方はできないだろう。

「アルカロイド? シアン化物? ああ、やだ、もう!」

 半狂乱のプラムはポーチを引っかき回した。ピルケースと小さなコップを取り出し、消火栓を驚異の力で開ける。吹き出す水を汲んで、砕いた錠剤を溶かすと、コップをハニーのくちびるに押し当てた。「飲んで! 飲みなさい! 早く!」

 何杯か、同じ作業が繰り返される。

「さあ、これであなたは大丈夫」水と泥でびしょぬれのプラムが叫んだ。「早く教えて! なにを塗ったの? 言いなさい!」

「なにも」ハニーはかすれ声で言って、シャフトで彼女を殴った。



 レッドベルベッド工場全域に、ピンポンパンポンとチャイムが流れた。

「残り人数が半分以下になりましたのでお知らせいたします。ただ今の人数は六人です。順に紹介していきましょう、ナンバー一番、復讐専門家のジャンドゥーヤ、今年の最高齢ルーキー。ナンバー七番のニッキー、殺し屋セサミを斬り殺した実力を今日は見られるでしょうか。ナンバー十番ドリアン、ナイフの扱いならお手のもの。ナンバー十二番・十三番はソルトとヴィネガーのコンビ、金庫系警備会社から独立したふたり組。警備の知識とコンビネーションは群を抜いています。ナンバー十四番はハニーマスタード、あまり情報がありませんが登録から二か月とたたないうちにあのフレジエを退けたという噂の持ち主。さてさて、配信をご覧のみなさま、ディスカッションはここからが佳境です。どうか最後までお楽しみください」

 ください、ください、ください……放送の残響が広がって消えていった。

 ハニーは死体のあった棟まで荷物を持って戻った。武器を確認する。ライフル一丁と、かばんの底から今朝着けていた自動拳銃が見つかった。ライフルは……。

 放送にはアーモンドファッジの名前がなかった。

 ――アーニーのやつ……。

 頭に来ていた。腹が立つことこの上ない。殺し屋番付とやらも、それに乗せられる殺し屋どもにも。おれはただマスタードに会いたいだけなのに、ディスカッションと称して一時間のうちに二度も殺されかけた。こんなことってあるか? いいぜ、おまえらがそういう気なら、こっちだって。

 操作盤の脇にもたれかかる。「IQ、見張りを続けてくれ。少し休む」

「はぁい。ごゆっくり」

「三十分後に行動開始だ」そうIQに宣言すると、重ねた両腕に頭を付けた。

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