第9話 グランドキルージョン

グランドキルージョン①

 風が吹いていた。やや西寄りの南風が、かすかな血の匂いを運んでくる。すぐに、錆や、草、そして遠くに見える海の――潮の匂いにかき消される。砂ぼこりが舞い上がり、ゆっくりと動いていく。もとは赤かったであろう、ぼろぼろの社旗が見張り台の上ではためいている。今にも糸くずにほどけてしまいそうなほど激しく。

 静かだった。布が風にひるがえる音と、風のざわめきしか聞こえなかった。人の声は、聞こえない。動くものもいない。

 ハニーの立っているところからは工場跡が一望できた。よく見れば、タンクやパイプのあいだに横たわる肉体を認めることもできただろう。ほんの数時間前には他人をぶち殺すために生き生きと動き回っていた殺し屋たちの姿を。今は、砂煙のまみれるまま、地面に伏している彼らの体を。

「おめでとう」隣にファッジが来ていた。「絶対勝ち残ると思ってたよ」

 ハニーは無言だった。手早く銃をかばんにしまう。

「さすがは火星一のスナイパー」ファッジは喜びを隠さなかった。「やっぱりさそってよかった。少しは腕がにぶってるんじゃないかって、少し心配もしてたんだけど、問題ないね。それどころか」とにやにやする。「ハイランカーも夢じゃない」

「それはどうかな」ハニーは小声で言った。

「え?」

「いや」ハニーは仏頂面で振り向いた。「もう帰っていいだろ」

「ああ。お帰りはこちらだ、ハニーマスタード殿」

 うながされて、かばんをかつぎ、ハニーはきびすを返した。もの言わぬ彼らを後にして。



 話は六時間前にさかのぼる。

 グリニッジビレッジのとあるホール、その二階、なんの変哲もない会議室を一室貸し切って、〈警備・防衛・治安維持業者のためのワークショップ〉は行われていた。NYCCの殺し屋どもが一堂に会するというので、どんな殺伐とした様子かと思っていたハニーは拍子抜けしていた。服装こそまとまりがないものの、みんな講師の言うことに耳を傾け、うなずきながらノートをとっている。講師本人はというと、そのへんの会社員と変わりないスーツ姿のさえない男だ。

「ちゃんとメモしろよ」アーモンドファッジが言ってくる。「こういう勉強会はなかなかやらないんだぞ」

「なあ、あの人が案内に書いてあったランク上位の殺し屋なのか?」

「いや、業界の人だけど違う。さっき自己紹介してただろ」

 周りの様子をうかがうので忙しくまともに聞いていなかったのだ。

「それに、殺し屋じゃなくて『ボディガード』とか『治安維持業者』って体だから、そこよろしくな」

「なんだよ、イコール殺し屋でいいんだろ? よくわかんねえけどそうなんだろ」

「あんまり表立っては言わないんだよ。いいからノートをとれ。そういうのも説明してくれるから」

 まじめに講義を聞くファッジおよび殺し屋どもの姿を見ながらハニーは、なんだか思っていた殺し屋と違うぞと、この前からうすうす気づいていたことを確信に変えた。殺し屋っていったいなんなんだという疑問が、哲学的な響きを伴いながら頭の中で回り始める。もしかして、銃を持って、人を殺し、金をもらう殺し屋というおれの認識は、他のやつらとはちょっと違うのかもしれない。

 講師が投映した資料を指しながら話している。NYCC市における治安維持業の特殊性について……市長が治安自由化推進派だったことが大きな要因ですね。まず富裕者層が契約した業者に個人的な紛争解決を依頼するようになり、業者対業者の構図が……。

 眠くなってくる。座学なんていつ以来だろう。

 ハニーはプリントの時間割をながめた。休憩時間をはさみ、第二部が十時から始まる。いくつかのグループに分かれてディスカッションをやるらしい。ディスカッションという単語が脳内で回る問いに加わる。殺し屋同士でいったいなにをディスカッションしろというのだろう?



 講義は休憩時間に入った。会場を移動するので荷物をまとめるように言われる。

 殺気を感じて振り返ると、小柄な人間がまっすぐハニーに向かって歩いてくるところだった。人垣がざわついてすっと割れ、金髪の少女が髪を振ってずんずん近づいてくるのが見える。ハニーもそちらに向かった。

 ふたりのつま先ががつんとぶつかった。

「あらぁ」凶悪な光をたたえたまま、フレジエが目尻を下げる。「お元気そうね。ええと、名前なんだったかしら」

「あ? なんだよおまえ」見下ろしてやる。「迷子?」

「思い出したあ、砂浜でぶざまに這いつくばってたおじさんね」

「そういうおまえは腕ぶっ壊れて癇癪起こしてたガキか」

「足の調子はどう? 見事にへし折れちゃってどうしたかなぁと思ってたの」

「おまえこそ感電して黒焦げになってたけど、意識はいつ戻ったんだ?」

「調子に乗らないでよ。そっちのほうがダメージ大きかったくせに」

「やつあたりか? ランキング十位が新人に負けたらくやしいよな」

「消えてよ」

「おまえが消えろ」

 まあまあとファッジがにらみあうふたりを引き離した。「そのへんにしとけ」

「アーモンドファッジ!」フレジエの眼光がファッジに飛ぶ。

 フレジエの後ろからカシスが会釈をしてくる。さすがは殺し屋番付ハイランカーというところか、殺し屋姉弟はぴんぴんしていた。フレジエは義体を変えたのか、損傷の名残すら見当たらない。

「ふん。いいわ」弟の手を振り払うと、フレジエはつんとあごを上げた。「この業界でいつまで生き残れるか見ものね! すぐ死なないでよ? あんたがボロボロになるの超楽しみなんだから」

「すいません、おれたち二年目なんで、このあと会場違うんす」とカシス。「あ、一年目のディスカッションって結構ハードっすよ」

「アドバイスどうも」

 ハニーは静かに言った。このあいだの礼をしたいところだが、素手でやりあって勝つのは難しいことはわかっている。煮えくり返る心ごとファッジに引きずられて会議室を出る。

「ほら、次の講義が始まるぞ」とアーモンドファッジが言う。



 ぱちんと指が鳴る音がして、ハニーは我に返った。

 状況が把握できない。あたりを見回す。室内だが見覚えがない。ここはどこだ? なにをしていたんだっけ。他にも人がいる。ふところの自動拳銃に手を伸ばし――銃がないことに気づく。軽いパニックになりかけるが、受付の時にロッカーに預けたことを思い出した。どうやら他の人々も同じようだと気づいて少し落ち着く。「なんだぁ?」とだみ声を響かせる男に、きょろきょろする若い女がそばにいる。さらに、「うおっ」という声に振り向くと、アーモンドファッジが目をぱちぱちさせていた。「なんだここ」

 教室というのが近いと思われた。あまり広くない。床のリノリウムや壁紙がところどころ剥げ、さびれた風だ。パイプいすと長机が並び、ハニーを含めて二十一人が、あっけにとられて座っていた。

 ザッとノイズが入り、スピーカーからアナウンスが流れてきた。「そのまま、どうか、みなさん、そのままでお願いします。みなさんは〈警備・防衛・治安維持業者のためのワークショップ〉に参加中です」

 意義をとなえるようなせきばらいをしたのはひとりだけだった。おのおのが、近くにいる人々と顔を合わせ、武器に――武器があったところに――伸ばしていた手を戻した。状況がわからず丸腰なのは自分だけじゃない。

「みなさんはワークショップ第二部、ディスカッション会場に来ています」アナウンスが続く。そう、そうだった。ただ、不自然な記憶の途切れがある。ファッジと会議室を出たあとの記憶がない。

「準備を行うあいだに、説明をさせていただきます」

 天井から下がっているプロジェクターが光り、前方の壁に投映が始まった。

 移動する自分たちの映像が流れ、みなさんはまぎれもなく自分でここまで来たのだというナレーションが入る。おとなしく階段を下り、バスに乗り込む姿に、殺し屋どもがちらちらと互いを見る。――まったく覚えていない。

「ご記憶にないのも当然です」とアナウンス。「なぜなら、みなさんの輸送は殺し屋ペカンの担当だったからです。……ぼくのことですが」

 なるほどという顔をするファッジを小突いて説明を要求する。

「番付三位の殺し屋だよ。催眠術師だって話だ」

「催眠術師!」横に座っていただみ声の中年男が鼻を鳴らし、「なんでもありだな、殺し屋業界」とハニーの心の声の代弁をしてくれる。だみ声の連れらしい長身の男が無言でたばこを一本出してくわえる。

「三位?」と斜め前の若い男。さっそく両足を長机にかけている。「マジかよぉ。ランキング一位の殺し屋が来るって噂だったからひと目見たかったのに。三位かぁ」

「え、おまえら正気なの」ファッジは首を百二十度ほど回す。「あのなあ、おれたち全員、この何時間かのあいだ、記憶もなくいいように動かされてるんだけど、それに対して危機感はないわけ?」

「そんなことより、あんたもいっしょにいるってのがきなくさいよ、アーモンドファッジ」

 そう言ったのは後ろの席の長いひげをもつ老人だった。アーモンドファッジが業界でも一癖ある人物としてならしているのはまあわかるが、この人も殺し屋一年目なのか、この歳で、という点に驚く。

「おれだってそう思うよ、ジャンドゥーヤ公」ファッジはなごやかにあいさつをかます。「お久しぶりですね。相変わらず復讐に忙しいようで」

 老人は目を細めただけだった。

 映像が終わった。投影機のランプが消え、放送が再開する。

「あらためましてみなさん、治安維持業界へようこそ。ワークショップはいかがでしょうか。どの業界もそうですが、仕事において、習得の基本は理論と実践というふたつの柱。どちらかにかたよっていてはいけません。みなさんは先ほど理論を学びましたね。次は実践です」

 いやな予感がする。

「今ここにいるのは、この一年以内に業界に入ってきた、志の高い人たちばかりです。我々の業界は、日に日に市場が拡大し、参入業者も増えています。その中で、このワークショップに参加されたあなたがたは、将来に期待できる人材と言えるでしょう。まわりの人の顔を見てください。所属や信念が違えども、同期として助け合っていける人たちです。そして同時に」アナウンスはひと呼吸おいた。「これから殺し合っていただく人たちの顔です。殺し屋の主な業務は“対殺し屋”、おわかりですね。前置きが長くなりました。観客のみなさま、おまたせしました――“殺し屋番付”主催! 第四回、ワークショップ後半、死のディスカッションがここに開幕です」

 ならずものどもの雄たけびが上がった。そうこなくっちゃ、といっせいに机をたたき床を踏み鳴らす。スピーカーの向こうからも聞こえてきていた。アナウンスの声は自分たちだけではなく、どこか別のところにいるだれかに向けてもしゃべっていたらしい。

 まわりの喧騒に負けないようにハニーは声を張った。「おい、なんなんだ」

 平坦な声でファッジが答えた。「どうやらおまえはデスゲームに巻き込まれたようだな」

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