ガール・イン・ブラック②

 狩人のように青年に追いつき、すばやくかつごく自然に声をかけ、会場の端に用意されたソファへと誘導したチョコレートミントは、己の用意の良さに感謝しつつポーチからソーイングセットを取り出した。青年に上着を脱いでもらうのは赤子の手をひねるより簡単だった。

「うまいなあ」青年が感心してボタン付けをするミントの手元をのぞき込んだ。

「お裁縫、嫌いじゃないから……」

 ほめ言葉よりも顔の距離の近さに、チョコレートミントは顔を赤らめた。

「ぼくはそういうの全然だめなんだ。クリーニング屋にでも頼もうと思ってたよ。ありがたい」

 なのにボタンを切らせるんだ、とチョコレートミントは思った。なんて優しいのかしら!

 青年はグレイといった。レイモンド・グレイ、自分よりふたつ年上だった。建築事務所に勤めているという。ミントのストライクゾーンよりだいぶ若いが、整った顔とやわらかな物腰、仕立てのいいスーツがそれをおぎなってあまりある魅力を放っていた。

「新郎の友達なんだ、小学校の時の……。まわりは高校か大学の知り合いだらけで、まいったよ」

「あたしも! あたしはたぶん、新婦の一番新しい友達だと思う」

「一緒にいた彼は?」

「ああ」ミントはさらりと言った。「あたしのボディガードなの」

 グレイがちょっと笑ったので、「本当に」と言いつくろう。そういえば、前にも彼氏とかん違いされたことがあったっけ。あせらないように、嘘に聞こえないように、やんわりと付け足す。「あたし、これでも業界じゃ重要人物なんだから」

「へえ、仕事はなにを?」

「研究職なの」まあ、間違いじゃないよね? 研究所で働いてるし。エイリアンハンターだなんて言ったらきっとびっくりしちゃう。

「わあ、そいつはすごいな」

 グレイが真剣に感心してくれたので、ミントは笑顔を浮かべた。さてさて、このままでは行きずりの会話で終わってしまう。次につなげるなにかを仕掛けなければ。

「できた……」ミントは糸を切った。「灰色の糸がなかったから、ちょっとここだけ浮いちゃう」

「ああ、平気だよ。これなら全然わからないさ」

「だめよ。ほんとにいいスーツだもの……見る人が見ればすぐわかるわ。きちんとやり直さなきゃ」

「そう?」

「よかったら、あたしにやらせてくれる?」チョコレートミントは熱を込めた。「今回のおわびに……同じ色の糸もたぶん用意できるし……」

 さあ、どうだ? ちょっと苦しいかな? でも、服とイケメンは見たらすぐ確保しろっておばあちゃんも言ってたし!

 グレイは驚いた顔になったが、それは一瞬のことだった。

「それなら、お願いしようかな。いつにする? 連絡先を交換しようか」

 心の中でガッツポーズをしながらチョコレートミントも携帯を取り出した。と、相手のスマートフォンのカバーに目が留まった。



 検索サイトを駆使し、グレイのスマホカバーに刻印されていたロゴがとあるテレビドラマの作中に出てくるものだと突き止めたチョコレートミントは、その日のうちに動画サイトで全話をレンタルした。二クールずつの三シーズンにプレシーズンが一話、別番組とのクロスオーバーが一話、放映中の第四シーズンが八話、合計八十二話を、チョコレートミントは昼夜を徹し五日で観終わった。自分の体質が、これほどまでにありがたいと思ったことがあるかしら? 

 勉強の成果は存分に発揮することができた。

「『捜査官マークス』好きなんですか?」

 グレイは顔をほころばせた。「わかる?」

「それ、特務四課のロゴですよね?」

「大好きなんだ。多重人格の主人公が人格を切り替えながら捜査するのがかっこよくて」

「あたし、第二人格のバートが好きだなあ。マークと正反対で、ワイルドなのに実は気が小さいとこが」

「演じてるチャールズ・セロン、これがデビュー作だって知ってた?」

「うそ、信じられない」

「第四人格のアリーが消えたときは泣いたよね」

「あの回はベストエピソードよ! モード救出回も捨てがたいけど」

「わかる!」

 次に会ったのはそれから五日後のランチだった。“仕掛け”はなんと相手のほうから放られたのだ。他に話せる人がいないんだ、よかったらもっとドラマの話をしたいと。

「今度の日曜日」クラムチャウダーを食べ終わったグレイが切り出した。「友達がパーティーをやるんだ。結婚披露パーティーなんだけど……もしよかったら、ぼくと一緒に行ってくれない?」

「ほんとに? ぜひ行きたい!」

「決まり」とグレイはほほえんだ。

 その笑顔を脳裏に焼き付けて研究所に戻ったチョコレートミントは、さっそくハニーに再びの休日出勤を要請した。

「おれの休みは何回パーティーに消費されるんだ」とぼやくハニーの声は、なにを着ていこうかということで頭がいっぱいのチョコレートミントの耳には入らない。

「またパーティーに出るの?」メルバがあきれる。「自重しろよ! はしゃいじゃってさあ……なにが『アポロダイナーズでアールグレイ氏とランチデート! 楽しい!』だよ」

 メルバが言及したのはSNS“ベイカーズ・バスケットBB”の投稿の話だった。ハニーがデスクのパソコンをそっとのぞくと、その通りの記事が画面に表示されている。BBでは短い記事が食パンの形のテキストボックスで表示され、投稿することを「トーストする」と呼ぶ。チョコレートミントの最近のトーストはもっぱらグレイ関係のことのようだった。

「アールグレイってだれだよ」

「グレイさんのこと!」チョコレートミントは頬を染めた。「レイモンド.グレイだからアールグレイ。本名書けないじゃん? まだ付き合ってないし」

「どうして場所をトーストするんだよ! バカなの?」メルバははたと硬直した。「『まだ』?」

「付き合うのか」

 ハニーが代わりに訊いてやると、チョコレートミントはきゃーっとさえずり両手を頬にあてて身をよじった。

「わかんないけど、そうなるといいなって! 彼、素敵でしょ? 彼もあたしのこと好きだと思うんだけど、ね、どう思う? とにかく、今度のパーティーはビッグチャンスなの。絶対出て、距離をぐぐっと詰めてやるんだから。行かないなんて選択肢はないの! 無論ハニーもね」

「最近きみ浮かれすぎじゃない?」

 痛烈なメルバの言葉などどこ吹く風、ミントは鼻歌を歌いながらネットで新しい服とアクセサリーを物色し始めた。

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