第5話 ガール・イン・ブラック

ガール・イン・ブラック①


 花嫁が入ってくると、チョコレートミントは思わずため息をもらした。純白のドレスに身を包み、しずしずと一歩ずつ通路を踏みしめていく。繊細なレース、計算されたフリル、落ちるドレープ、そのすべてが彼女の美しさを引き立てていた。ブーケに添えられた青いリボンは目が覚めるようなあざやかさだ。ともすれば涙さえこぼれそうな壮麗なシーンを、隣にいる男が無感動にただやりすごそうとしているのが気にさわり、チョコレートミントは彼をひじでこづいた。

「もうちょっと空気読んで」

 ハニーマスタードは心持ち背すじを伸ばしたが、人を祝う表情ではないのは相変わらずだった。いやなやつじゃなさそうだし、そんなに顔も悪くないんだから、もうちょっとほがらかになってくれれば接しやすいのにとチョコレートミントは思っていた。やっぱり火星で過酷な仕事をしてたから表情がかたいのかなあ? 前職はなんだか機密が多いらしく、火星で具体的になにをしていたのかは教えてもらえていない。ボスのメルバも細かくは知らないようだが、どうやら少々物騒な仕事に従事していたみたいだ。

 ――そうでもなきゃ普通、初見のビターに真顔で銃ぶっ放せるわけないよね……。

 チョコレートミントとハニーマスタードのファーストコンタクトは銀行強盗に襲われた首都第一銀行だったが、初めてさわる対ビター拳銃をメルバ研究所員の自分よりもうまく使いこなし、ワンショットで仕留めた仏頂面の男こそ、情報屋アーモンドファッジが寄越す元軍人の用心棒であろうとは、そのときのミントには本当に知るよしもなかったのだ。ハニーマスタードは銀行の一件もメルバ研究所とアーモンドファッジの共謀なのではないかと疑っていたときもあったようだが、いくらメルバ所長でもビター発生を予知することなんかできない。

 誓いの言葉が始まり、チョコレートミントは考え事からはっと意識を引き戻した。いけない、仕事のことばっかり考えてちゃ、特に今は、大事な友達の結婚式なんだから!



 六日前のこと、ポピーシードに頼まれて昼食の材料を調達したハニーが戻るなり、メルバとチョコレートミントがわっと駆け寄ってきた。

「ねえハニー、今度の日曜日空いてる? 空いてるよね?」

「ミント! 彼にだって一応、休日をもらう権利はあるんだ」

「おねがい、いっしょに来てえ」

「わざわざ休みの日に出てくることはないぞ。なんならずっと来なくたっていい」

「前から決まってたことなんだから! ボスはあたしに約束を破れっていうの?」

「機・を・見・ろって言いたいの!」

「なんてこと言うのよ! リサの式になんて絶対にないんだから!」

 ハニーはやっと口をはさんだ。「何の話?」

 ふたりがまたいっせいにしゃべりだしたので、全容が知れたのはその十分後になった。

「友達の結婚式に出たいんだけど」チョコレートミントはソファにそっくりかえった。「ボスが出ちゃだめっていじわる言う」

「いじわるじゃない」メルバも座って足を組む。「きみ、命を狙われてんのわかってんの?」

「だけど、もう行くって返事しちゃったし」

「なおさらだめだろ。待ち伏せされるかも」

「招待客は新郎新婦の知り合いしかいないし、殺し屋がいたらすぐわかるよ」

「わかったら対処できるわけ?」

「うるさいなもう!」ミントの指先がスイングしてハニーをぴしりと指さした。「護衛がいればいいんでしょ?」

 難しい流れだった。メルバに賛成してご機嫌を取りたいところだが、自由な女チョコレートミントはたとえひとりでも行くと言いかねない。放置するわけにもいかないので結局ついていくことになるだろう。だがメルバはそれをよく思わない……。

 ハニーはひかえめにコメントした。「知り合いだらけの式におれがいるのはよくないだろ」

「別にいいでしょ、用心棒なんだから」

 メルバが「行く気か?」と眉を上げたので、ハニーは罠を踏んだ心地がした。

「とにかく! あたしは絶対行くからね!」

「だめだ、危険だ。許可できない」メルバも強情だ。

 チョコレートミントは両手でバンとテーブルを叩いた。「メルバ博士」といつもと違う呼び方をした彼女の声は低く冷たかった。「条件を忘れたわけ?」

 メルバはぐっと詰まった。「……あのときとは、状況が違うだろ」

「そう? あたし次第ってことに、変わりはないでしょ」

「正気かよ、たかだか結婚式だろ」

 チョコレートミントが目をすがめ、黙って立ち上がると、メルバは降参した。「わかったよ、行けよ。でもガードは連れてけよな。きみ、休日出勤して」

 ハニーは息をひそめていたが、下された指令にはすみやかに了解の返事をした。



 晴れ着をひとそろい新調しなければならなかった。思わぬ出費になった。体型の変化から、“火星前”の衣服はほとんど捨ててしまっている。最後に出た結婚式は同期のだから軍服だったはずだし……あまりよく思い出せず、ひどく年を取ってしまったような気がした。そもそも、火星に行く前は何を思ってどういう生活を送っていたのか、今となってはよくわからない――ハニーは深く考えるのをやめにした。

 チョコレートミントは光沢のあるブルーグレーのドレスで現れ、ハニーの恰好を上から下までながめてひとつうなずいた。及第点のようだ。

 知り合いがひとりもいない結婚式会場で、ハニーはひたすらチョコレートミントに付き従い、近づくやつの手に刃物がないか注視し、高さのある足場やカーテンの影に目を光らせた。

「リサ、結婚おめでとう! すごくきれいだよ」

「来てくれてうれしいわ、ミーナ!」と花嫁。「コーヒーメーカーもありがとう。わたしが欲しいって言ってたの覚えててくれたのね。そちらはボーイフレンド?」

「ううん、ボディガード」

 花嫁は冗談ととらえたらしかった。

 新郎新婦が別の招待客のところへ行ってしまうと、チョコレートミントも話し相手がいなくなった。

「どういう知り合いなんだ?」

「半年前バーでとなりになったの」

「それだけ?」

「それだけでも大事な友達だよ。それに、出会いってのは大事にしなきゃ」チョコレートミントはそう言いながら新郎の親戚らしい人の集まりに目を留めた。「そうでしょ?」

「ボスも言ってただろ、あんまり派手には……」

「いいじゃない! 人脈を広げるだけでしょ」

 ハニーは天井を仰いだ。「ものは言いようだな」

「それにねえ、ここ最近、殺し屋さん方のせいで自由に出歩けなかったんだから! 少しぐらいこの機会に楽しんだっていいじゃん」

「毎日遊びまわってるだろうが」

 ハニーの指摘を無視し、勇んで歩き出したチョコレートミントは、横から来た青年にぶつかった。

「あっ、ごめんなさい!」

「これは失礼……おっと」

 ミントが小さく悲鳴をあげた。髪が青年のスーツのボタンにからまってしまったのだ。両者がおろおろすればするほど、複雑にからんでいく。

「やだ、もう」ミントは髪が引っ張られないようにそろっとハニーを振り返った。「はさみ持ってるよね? 切ってくれない?」

 もはや手放せない道具となったスイス製ツールナイフを取り出すと、相手の男が念を押すように言った。「ボタンの方を切ってください」

「だめですよ」とミント。「せっかくの良い服が」

「もともとは、ぼくがよそ見をしてたのがいけないんだし」

「髪はまた伸びるから」

「だって、こんなにきれいな髪を切って、ふぞろいにしてしまうのはもったいないですよ」

 チョコレートミントが黙り込んでしまったので、ハニーは青年の進言を聞き入れた。

 もう一度あやまって、青年が去っていく。ミントはその後ろ姿をぼうっと見つめていた。ハニーはふたりを見比べた。

「なに?」チョコレートミントが我に返る。

「あいつ、ボタンを忘れていった」

 ミントはぽかんとしてボタンを受け取った。直後、行動を始めた。

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