第4章 心の在処 ⑤
栞ちゃんと随分話し込んでしまったようだ。夏姫のマンションに着いた頃には日が傾きかけていた。マンションの駐輪場にバイクを停め、部屋に戻る。
「ただいま」
駐車場に夏姫の車があったことから、夏姫が在宅なのはわかっていた――声をかけながらリビングへ入ると、夏姫は薄暗い部屋でテレビもつけず、紅茶の入ったグラスを手にソファでぼんやりとしていた。
俺の声にはっとしたように顔をあげる。
「あっくん――おかえり。夕飯、外で食べるのかと思ってた」
「夏姫ちゃんと一緒にでかけてたらそうしたかもね」
驚いた様に言う夏姫――その隣に座る。
普段は俺から夏姫に距離を詰めるようなことは滅多にしない――夏姫のアピールに応えてスキンシップするときも、距離を詰めるのはいつも夏姫の方からだ。
「え? あれ? どうかした? あ! あっくんも紅茶飲む?」
俺らしからぬ行動に夏姫は戸惑ってソファから立ったが、俺は彼女を見上げ、視線でそれを制した。おずおずといった様子で夏姫はそのまま座る。
「夏姫ちゃん」
「はい」
呼びかける俺に応える彼女――その声は固い。きっと別れ話というか、なんというか――そんな類いの話を予感しているのだろう。
だが、俺が伝えるのはその真逆のことだ。隣に座る夏姫――俺はその手を握る。
そして、俺の考えを伝えるため、あえて言葉を選ばずに伝えた。
「俺さ、よく考えたけど――夏姫ちゃんの言う通り、俺は表社会でまともにやっていくのは向かないタイプだと思う」
「……うん」
「大学生になって――夏姫ちゃんに嫌がらせをする女がいたとして、そいつを殺さなきゃ気が済まないとは言わないよ。だけど、冷静でいられるって自信もない。そのうち警察の厄介になるのが目に見えてる」
「……うん」
「結婚なんて、軽々に口にして……期待させて悪かったと思ってる」
そう言うと、夏姫は何も言わなかったが、俺の手を強く握り返してきた。
「私、あっくんと離れたくない」
「わかってる――だから、結婚の代わりに別の約束をするよ」
「約束?」
「ああ――T市の件は俺の敵だ。だから予定通り
「……じゃあ、
「かもね。けど今度奴から逃げるために国外に出るときは、夏姫ちゃんも連れてこうと思うんだけど、どうかな」
俺がそう言うと、夏姫は目を丸くした。驚いた表情で俺を見る。
「――この街にいるより住みにくくなる。危険もあるかも。でも、俺が全力で守るし、夏姫ちゃんには着いて来て欲しい」
「それって――……」
「まあ、普通の結婚は無理だから、事実婚ってことで手を打ってくれないかな。海外逃亡中に離婚することになっても、日本まではちゃんとエスコートするからさ」
「あっくん――!」
俺の言葉に夏姫は涙目になって――俺の首元に抱きつき、俺をソファに押し倒す。
「ホントに連れてってくれる?」
「ああ――と言っても俺もこの街でそれなりに平和に生きてく方がいいから、できることなら
だろう? と締めるつもりが、遮られた。夏姫が唇を重ねてくる――おい、舌はちょっと過激じゃないか?
俺は彼女の肩を押し退けて激しめのキスを中断させる。
「イエスってことでいいかな?」
「もちろん!」
「普通の暮らしはできないと思うよ。どうしたって俺は裏社会の人間だ。これまで通り――何でも屋でその日暮らしだ。籍も入れられない。まあ、同じ名字がいいなら俺は偽名だし、天龍寺を勝手に名乗ればいいんだけどさ」
「名前なんてなんでもいいよ!」
夏姫がそう言って俺の胸に額を押しつける。
「私はあっくんがいればそれでいいんだよ。あっくんが無理をしたり、社会に馴染めなくてまた離ればなれなっちゃうぐらいなら今のままでいい」
「……俺、愛ってのがまだよくわかんない。好きと区別がつかないんだ」
「うん」
「だけど、夏姫ちゃんとぎくしゃくするのは嫌だな」
「私も」
「爺さんに、結婚はやめたって言わないとな」
「私たちと縁が切れないってことだから、喜んでくれるかも」
「それはまた別の話だと思うけどな。孫娘が一生日陰の道を行くってことなんだし」
「一生側にいてくれるの?」
「夏姫ちゃんが離婚だーって言わなければね」
夏姫の頭を撫でる。泣くのを我慢しているらしく、夏姫はぐすっと鼻をすすった。
静寂――俺も夏姫もそのまましばらく黙り込んだ。だが、昨夜や今朝のような嫌な雰囲気ではない。柔らかくて、大切な――そんな時間だ。
そのうち、夏姫が俺に抱きついたまま口を開く。
「……
「だね。……ゲヘナシティで見たあいつは、俺とやり合ったときより確実に強くなってたよ。能力の使い方が段違いだった」
「あっくんでも勝てない?」
「楽勝ではないかな。でも、俺と夏姫ちゃんにとって邪魔なんだからどうにかしないと。でも公安殺しはなぁ……」
「じゃあもういっそT市の件が片付いたら、二人でゲヘナシティに移住する? あっくんしばらくいたんだし、私は英語ネイティブだし、困らないでしょ?」
「公安と手を打てなかったらそれもアリかな。あの街ならトラブルバスターで名前売ったし、仕事には困らない」
トラブルもついて回るが。明らかにここU市より治安は悪いが、公安から逃げ回りながら日本中を回るより向こうの方が住みやすいかも知れない。
――まあ、その辺りはT市の件の時に
ともあれ――昨夜の襲撃者のせいでぎくしゃくした俺と夏姫、そして浮き彫りになった問題点もこれで解決だ。目の前にぶら下げられた戸籍――新しい人生なんてものに飛びついた俺が浅はかだった。
三つ子の魂百まで、なんて言葉がある。俺はどこまでも行っても異能犯罪者だ。今更他の生き方はできない。
だったら、俺のやり方で俺が大切だと思う人の――夏姫の望みを叶えてやるだけだ。
それに夏姫とのことが修復できたことで、もう一つの考えなければならないことに集中できる。小鳥遊清花と死んだはずの佐木柊真が襲撃者として襲いかかってきたことだ。
――と。
「ねえ、あっくん……」
夏姫が俺の胸から離れ、熱っぽい息を吐く。姿勢は夏姫に押し倒される形でベッドに寝転んだまま――潤んだ目で俺を見下ろす。後ろで結んだポニーテールの束が肩から落ちて俺の胸に落ちた。髪の匂いが鼻腔をくすぐる。
……流されてもいいかと思ったが、そうも行かない。
「そういうのは後にしよう。小鳥遊清花と佐木柊真の件が残ってるからね」
「――もう! あっくんは!」
◆ ◆ ◆
きっぱりとお断りしたはずなんだけど、せがむ夏姫に根負けしたカタチでほんの少しの間それなりに甘い時間を過ごすことになったわけで。
満足したらしい夏姫が鼻歌を歌いながらキッチンで夕食の準備をするのを眺めながら、死んだはずの佐木柊真が生きていたことについて考えていると、夏姫がリビングのテーブルに置きっぱなしにしていたスマホが鳴った。
電話の着信だ。発信者の名前に見覚えがある――丹村仁。《スカム》の遊興事業を取り仕切る中年の幹部で、シオリが兼定氏を襲った時は何気にいい立ち回りでシオリを追い払い、ギリギリのところで兼定氏の命を救った功労者だ。
「誰ー?」
着信音で電話に気付いた夏姫がキッチンから問いかけてくる。
「丹村のおっちゃん」
「ごめんー、今手が離せないの。あっくん、出てもらってもいい?」
「はいよ」
夏姫の言葉に頷き、俺はディスプレイに表示された応答のボタンをタップする。
そして。
「夏姫ちゃんを夕食に誘うとかって用件なら却下な。今俺に飯作ってくれてんだよ」
『――先代ですか! すいません、先代に用があったんですが、先代は今端末をお持ちでないのでお嬢の電話へ。おくつろぎのところ申し訳ありません――』
俺のジョークに、電話の相手は愛想笑いさえせず――焦燥が混じった声でそう返してくる。
「や、聞きたくないな。いい予感がしない」
『すみません、どうにも先代の力が必要だと、カズ――会長が』
ちっ――カズマくんからじゃ断れないな。
「なんでカズマくんが直接かけてこないんだよ」
尋ねると、おっちゃんは焦りながらも答える。
『会長は現場へ向かってて――代わりに助けを求めろと』
「……現場?」
妙な言い回しに問い返すと、おっちゃんは即答。
『妙な恰好のガキが、裏通りで《
――その言葉に、俺は佐木柊真が――昨夜殺したはずの佐木柊真が現われたのだと直感した。
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